2019年06月13日
照間漁港の朝陽
うるま市勝連半島。照間漁港の朝陽。
雲が美しい空を大きく取り入れるため広角側
で構図をつくっていると、波状雲の近くに飛行
機雲が見えた。
雲のある広々とした漁港の風景が好きで、
何回かこの漁港には来ている。今回は朝
陽を撮ろうと思い立ち早朝訪れた。
港を囲む左右の防波堤の間を平安島の上
に朝陽が昇る。
左右の防波堤を入れた構図でも撮ったが、
朝陽がやや小さくなる。
画面の中を黒い影が動いた。カメラから眼
を外して確認すると鳥だった。
朝陽と一緒に撮りたかった。
かなり近くを飛んでいるのだろう。気ままに
右に左に飛ぶと画面の外へ飛び去った。
どうにか端っこに捉えることができたのは
2枚。
しばらく立って、突堤近くの彼方に飛び交
っているのが見えた。だが、その影はあま
りに小さい。
広角側にすると今の位置なら朝陽とともに
大きく切り取ることができる。急いでレンズ
を回している間に逃げ去った。
子育ての海鳥たちにとって草むらのある広
い漁港はいい場所なのだろう。
漁港内を往き来し、係留された小舟や漁船、
陸揚された漁船など前景に朝陽を撮る。
いい位置に電柱が立ち、護岸のいい場所に
係留された漁船。朝陽を浴びた陸揚された
漁船の船体。ファインダーを覗きながらも美
しさに感動する。
照間漁港。港の大きさに比べて漁船は少ない。
好きな漁港の一つ。
漁港を出て干潟に下りる。干潟の潮溜まりか
ら鳥が飛び去った。眼を凝らして干潟の奥を
見ると鳥を撮影している方がいた。撮影の邪
魔をしてしまったようだ。
前回(4月)に訪れたときの朝焼けの光景を追
加する。雲が美しかった
早朝訪れ、朝陽や朝焼けの後は照間から
具志川にかけて海岸や畑地を散策する。
引潮時であれば干潟の波紋も美しいので
干潟で1時間余の楽しい時間が過ごせる。
2019年06月10日
サーファー
青間(おうま)海岸。サーファーが波乗 りをし
ているのをたまに見かける。



逆光の朝陽が強くなる。海が波が飛沫が
光る。



サーファーの波癖読みし粘り腰 (能村研三)

詩のように撮れたらいいと思う。海の詩の絵が。
普段、青間海岸を訪れる人は少ない。
地元の老人が砂浜を散策をしているのを
見かける程度。
ここへ来たら海岸を端から端へ往復を
する。その時間が好きだ。
その間に必ず何枚かいい絵が撮れる。
海岸線はおおよそ250メートル。その3分
の2ほどは砂浜。
砂浜の先は波に洗われた平らな岩床の海
岸で、米海軍基地「ホワイトビーチ」が接し
ている。


大洋から繰り返し繰り返し波は押し寄
せる。その中に立ち無心にシャッターを
切り続ける。


波の白いシーツが広がる。爽快かつ幸せ
な気分になる。
光る海を遠く津堅島の定期船が過ぎる
静かな砂浜。足裏から響いてくる砂利の
音を聞きながら帰る。
波打ちぎわからいきなり千鳥が飛び立
った。波の上をさらに砂浜の前方に飛ん
でいく。
ーー孤独、静寂、緩やかな時の流れ
にもまた、わたしたちへの贈り物が託
されている。(メアリー・C・モリソン)
2019年06月04日
イソヒヨドリ
朝日を撮っていると黒い影が横切り、
眼の前の手すりに止った。
隣の屋根から眺めていたのだろう。
慌ててカメラを鳥に向けた。
飛び立つなよと小声で話しかける。
じっと動かずに・・・いい鳥だ。
きっといつもやってくる鳥だろう。
数年前、イソヒヨドリの止る辺りにときど
き犬の餌つぶを投げ置いていたりした。
1年ほど前からは人影や車を見るとど
こからともなくサッと舞飛んでくるように
なった。
投げられた餌つぶにパッと飛びつく。
咥えるとパッと飛び離れ車の下などに
逃げる。
餌は一粒づつ与える。そのたびごとに
同じことをくりかえす。3~4つぶで飛び
去っていく。
ある自動車販売店でイソヒヨドリが数
羽、修理場の車や地面に止ったり飛
び回ったりしているのを見た。
人が近づいても逃げることはない。
昼食の弁当をあげたりしたら慣れて逃
げないようになった。雌は雄よりも慣れ
ている。雄は警戒心が強いようだという。
慣れてくると玄関先まで近寄ってくるよう
になった。
よっぽど餌が欲しいと戸口近くまで近寄る
こともある。
5月のある日、餌を1~2つぶ投げ与え
たあと、手に持ってそのまま待っていた。
しばらくして意を決したようにすばやく
飛び込み、粒を咥えると一瞬に離れる。
これを2~3回繰り返し隣の建物の高
い軒辺りへ飛んで行く。
やって来たのはいつも雄だった。
その前は雌も来たりしていた。
子育ての時期なのだろう。
巣があるだろうと思われる場所と往復
を繰り返していた。
朝、隣家の屋根やブロック屛で待って
いて啼いて餌をねだることもある。
小さな貝の殻に餌を入れておく
ようにした。昼にはなくなっている。
最近は、イソヒヨドリの餌に気付いのだ
ろうか鳩が辺りを飛んだりする。鳩がい
るとイソヒヨドリは近づかない。
梅雨のこの時期でも美しい朝焼けの
空が見れる日もある。露の晴れ間だ
からからこそかも知れない。
2019年06月02日
泡瀬漁港の朝景
窓から眺める夜明前の空が美しかった。
ふと漁港が脳裏にふと浮かんだ。カメラ
と取り敢えず必要なものを急ぎ準備する。
カメラの予備のバッテリーは充電してい
なかったかも知れない。まあいい。
小銭はバックか車のどこかにあったはず。
よくあることはどうにかなる。
朝陽が昇る方角を確認しながら車を走
らせ、行き先の泡瀬漁港のイメージを
あれやこれや描く。
漁港のはずれの廃船。何年も前から
ある。
操舵室の壁に朝陽が当る。
撮る位置を移動。朝陽を画面から
外し空を広く組み入れた。
別の廃船。二つの廃船が前後に
傾いて並んでいる。
朝陽の高さをどうしようか迷う。もっと
昇るのを待つか?しかし昇りすぎると
輝きが増し形が崩れる。
少し低いアングルからだと少し高めに
朝陽を持ってくることができるが、廃船
のシルエットの美しさが失われる。
撮影している道路を通る背中の車に
も気をつかいながら、背伸びしたりし
ゃがんだり廃船のシルエットを確認し
ながら撮った。
よどんだ海。船影がゆったりと揺れ
動いていた。操舵室のガラス窓の
輝きも美しい。
朝陽はかなり高くなった。撮るのは止める。
漁港内を歩きながら被写体を探す。
浮き標識のブイの揺れ動く旗影の反映。
船のカラフルな波紋も一緒に。
「令和」を見つけた。
漁港はいい。朝、昼、夕と絵になるいい
被写体が豊富だ。
幾つかの漁港のそれぞれにイメージ
が浮かんでくる。
毎日通うことができる地元の方なら、
もっといい情景をきっと知っていること
だろう。
遠い場所の漁港やマリーナだと、地
の利はうらやましい。
寂しいのはあのサバニをもう見かけ
なくなったこと。
2019年06月01日
イジュの花を間近で楽しめるやちむんの里
イジュの花の季節がめぐってきた。
新聞のイジュの花の写真をみていると
昨年のことを思い出す。
座喜味城趾で、年配の女性の方にこの
辺りでイジュの花が見れる場所を知ら
ないかと訊かれた。
カメラを下げている者ならひょっとした
ら花のことを知っているかと思ったの
だろう。
琉歌や俳句に詠まれ親しまれている
イジュの花。
花に寄って花を手に触れたい。香りを
かいでみたいという思いの方も少なく
ないだろう。
しかし、ヤンバルは遠い。
本島中部あたりにゆっくりとイジュの
花を楽しめる場所がないか。
中部にイジュの花を見れる地域は多い。
だが、駐車の心配や車の往来を気にせ
ずゆっくり、花を手に触れる見ることが
できる場所なら 「やちむんの里」だと
思う。
やちむんの里入口にさしかかると、
すぐに道路左側にイジュの高木が幾本
かあり白い花が多く咲いている。
昨年気になった下草が刈り取られて
おり、花に触れるほどの高さの枝も垂
れている。
駐車場近くの工房兼ギャリーの裏庭。
イジュの花が庭の土手や縁に咲いて
いた。
敷地内には立入り禁止の区域もある
ので要注意。
イジュの太い幹と花を組み合わせた。
なかなか見つけにくいが、いい構図が
見つかった。
やちむんの里の敷地内の道路脇、ほと
んどの陶房やギャリーの庭などあちこち
にイジュ花が咲いている。
手に触れて見たき高さにイジュの花
イジュ以外に、他の草花も種類多く咲い
ているので撮影を楽しめるのはいい。
やちむんの里の左奥に教会がある。
教会前庭のイジュ。庭の周りにはイジュ
の木が数本ある。
工房やギャリーの庭より気兼ねが入ら
ないのがいい。
花の香をかいでみた。
甘酸っぱいアダンの実の匂いがした。
教会の敷地の入口付近。奥にイジュの
花。
聖歌だろうか、曲が聞えてくる教会の庭
からの戻り道。土手際に素晴らしい、す
でにそこに在ること自体が絵になってい
る仏桑花の花を見つけた。
背景が暗い。その黒の中に赤い花が印
象的に浮かぶ。茶赤の混じった葉の綠。
白く細い線のような小枝など。全てがす
でに整っている。
カメラのフレームのなかの花の高さ、幹の
傾きを神経質に調整しながら数枚撮った。
イジュの花よりもこの仏桑花の花を見つ
けたことが嬉しかった。この日の天から
の素晴らしい贈り物。
ノボタンの花も道端の藪に咲いていて
間近で見れる。
やちむんの里の奥にある大嶺工房
のギャラリー。室内から外にイジュ
の花が眺められる。
ギャリーの名は、「囍屋(きや)」。
靴を脱いでスリッパに変えて上がる。
ギャラリー内は一見するとカフエか
と間違える雰囲気がある。
右手にイジュの花。やや離れていて腕
を伸しても花に触れることはできない。
コーヒーなど飲みながらイジュの花見
もいいと思ったが、カフエではないと
いう。
ギャラリー専門の店。イジュの花のた
めにだけで室内には上がれないだろう。
他のお客さんやお店の方に迷惑をか
けてしまうことになる。
何か一品あるいは二品でも、気に入った
陶器を購入ついでに、イジュの花見を楽
しむのがいい。
1年に1回はそのこともいいかも知れない。
そぅいえば、ケラマブルーのきれいな皿が
展示されていた。
花をアップで撮ろうとベランダのすぐ前
のイジュから色のきれいな花を探してい
たら蝶が飛んできた。
花をまわりをふわりふわりと飛んでは
花にとまりまた飛んで次の花へ移って
いく。眼の前の花に止った。
なんといういう名の蝶なのだろう。図鑑
で調べたら載っていなかった。
もしやと思い他のページを開いたら見つ
かった。
「チョウと混同しやすいガの仲間」だった。
蝶ではなくガ。名はキオビエダシャク。
日中に活動する種や翅が美しい種の
ガはしばしば蝶と混同されるという。
『フィールドガイド日本のチョウ』(誠文堂
新光社)には次のようなことも書いてある。
「ガといえば毒があるとの先入観を持つ
人は少なくないが、実際に成虫が毒を持
つものはドクガなど数種にすぎない。
ガには落ち着いた美しさがあり、チョウと
はまた違った魅力がある」
なお、キオビエダシャクについては、
「日中に花に来る。大発生するとイヌマキ
を枯らす害虫となる」とある。
ギャラリーのベランダからの眺め。
右手のイジュの木は花の咲いた枝の
広がりが富士の形に見えることもある
という。
ベランダの向こうは背の高い種々の木
が茂る谷になっている。
谷のこちらも向こうもイジュが多い。
谷の向かいの斜面を望む。
ここはイジュの花の谷だ。
おしなべて読谷から嘉手納にかけて
の谷間の林地帯にはイジュが多い。
その密集度はヤンバルでは見かけ
られないほど。
ギャリー囍屋(きや)の庭で小さな水鉢
に蓮が咲いていた。
庭先の道に猫。黒と白の二匹が所在
なさそうに寝転んだり歩いたり。
月桃によく似たクマタケラン。
やちむんの里の駐車場から近くで見か
けた。
花は垂れないで上に向く。月桃と同じ
ように葉は餅を包むのに使われる。
クワズイモの葉を敷いた上に浮かせた
仏桑花。強烈な赤。
別のギャラリーの前で見かけた。
やちむんの里は芸術家たちの里。いろ
いろな物に芸術的センスが溢れている。
戯れる二匹の蝶。シロオビアゲハ。
やちむんの里を出て谷向かいの集落まで
散策した。ギャラリ囍屋(きや)から見えた
イジュの花を見たかったからだが、場所は
探せなかった。
その途中で住宅のブロック塀で見かけた
蝶。一匹があきることなく一方を庭の花の
上や空に追いかけていた。
カメラの機能を「スポーツ」(の図の絵)に
設定しやや遠くから撮る。ピントも合い、
しきりに動いている翅もうまく撮れた。
これは最初に普通の設定で撮った。
翅がブレて蝶の形が崩れている。
集落内の道端で撮っているので長くはい
られない。道を訊ねながら駐車場に急ぐ。
30分ほど前、イジュの場所を探し公園ら
しき広場から谷へ下りようしたら、近くの建
物の中から見ていたのだろう、若い自治会
長さんに不審者と思われ声をかけられてい
た。
2019年05月31日
入江の夕暮

中城湾がくぼんだ北中城村渡口地先の
入江。収穫量県内一の一重草(アーサ)
の養殖場である。
アーサの収獲期も去り静かになった入江
の夕暮れを撮った。
海原の果てまで静かな夕暮れだった。
霞がかった天候。空の暗い雲は西日を受
けてかすかに色を見せている。
養殖網の杭には一艘の小舟。
なによりも、小舟の縁取りの白い色と調和
した夕日に映えた舟尾の茜色に心を惹か
れた。
印象に残る絵のような風景が撮れた。
舟は、その上に網を引き上げアーサを掻き
採る作業(舟に備えた回転器で行う)や、
収獲したアーサを陸に運ぶのに使われる。
2019年05月30日
残波岬のテッポウユリ(3)
残波岬のテッポウユリ。花がしおれ
ていたり朽ちて散ったものも多く花の盛
りはもう過ぎている。
しかし、咲いたばかりのように美しく花
をつけたテッポウユリを、まだ見ること
ができる。
<
草むらから突出た、花を多くつけた一本
のテッポウユリを見つけた。
夕陽は傾き灯台の上あたりを静かに落
ちていく。
灯台のシルエットを遠くに配した構図を
つくって撮る。夕暮のテッポウユリ。
クサトベラの茂みのなかから突き出た
1メートルを越える高さのテッポウユリ。
クサトベラの茂みをかき分けて入り
仰向けぎみに身体を傾け空を大きく
組み入れ撮った。
夕暮の茂みのなかで動物のように動
いている変な人物を、散策路の外人
夫婦が横目に見つめ通りかかる。
茂みの中から腕を上げてカメラを見
せ写真を撮っているといいわけする。
たぶん理解したのだろう。微笑み頷
いて去った。
夕映えの空に浮かぶ土手のテッポウ
ユリ。シルエットが美しかった。
灯台に灯りがあればいいアクセントに
なる。点灯するのを待った。
雲が量を増しながら南から北へ流れて
くる。灯台が点灯する前にテッポウユリ
のシルエットが雲にかさなってしまった。
待つのは諦める。
灯台に灯りがともる。回転する灯りが
消えては現れる。6~7秒ほどの間隔。
何度訪れてもその都度ごとにちがう美し
い自然の光景を残波岬は見せてくれる。
夕暮れでまでは断崖の淵沿いを歩い
たり土手の当たりを眺めたりして時間
を過ごしていた。
毎年アジサシがやってくる。数匹飛ん
でいた。
断崖下の洞窟入口の岩でサギがじっ
と休んでいる。
散策路の東の方の土手際で見つけた。
空はまだ明るいが、雲は西日にほのか
に染まっている。
その雲の配置と空のしぶい青さとを背
景に、腰をやや落とした低いアングル
からテッポウユリを撮った。
最初の一枚目は、空を大きくいれた。
普通の風景写真で物足りない感じ。
テッポウユリをアップにし、さらに位置
を右側に寄せた。
いまひとつしっくりしない。じっと眺め
ているとおちつかない。
今度はテッポウユリを左に寄せる。
大きさもよりアップにした。前の2枚
よりはこの方がいい。
と思ったが、あらためて並べて眺め
ると土手をカットしすぎた。
と言うか画面に納まりきれなかった。
2枚目の写真が今は好きだ。
雲の影が海に落ちていた。それを
右上に配置して構図のバランスを
とり逆光で銀色に輝く海を撮った。
夕陽が低くなり西空が染まりだした。
断崖のシルエットと輝く海の面積の配分。
シルエットが作る線の形を大きく斜めに
構図を作った。
太陽の高さやカメラの設定などで写し撮
った光景の色は変わる。
夕映えの空に浮かんだテッポウユリの
シルエットを撮ったあと、思い直して再
び断崖の方へ戻った。
増えた雲で水平線上も雲にすっかり覆
われている。
突然、「雲 きれいですね」という外国人
らしい声が背中から聞えてきた。
振り向くとすぐ間近に背の高い若い外
国人がカメラを持って立っていた。
英語はできない。灯台の回転灯のタイミ
ングを数えていると、手でジャスチャアー
をして伝える。
少したって、もう一度「雲、きれいですね」
と日本語で言いながら、日本人の彼女の
待つ方に戻り去って行った。
よっぽど感動したと思われる。その感動
をカメラの同志と共有したかったのだろう。
冷静に考えれば、彼は日本語で話してい
たのだから、日本語で会話ができたはず
なのだ・・・・。
太陽が海に沈んだ。時間が立つと雲が
少なくなってきた。
宇宙まで広がるダイナミックな自然があ
る。人間の思いなど取るに足らないとい
う思いが湧いてくる。
2019年05月29日
荒崎(糸満市)のテッポウユリ
少し遅すぎたかも知れない。花はもう
朽ち散ってしまっているのではないか
と思いながら荒崎海岸にテッポウユリ
を撮りに行った。
平和創造の森公園に車を置き、与那寄り
の海岸へ歩いて向かう。
海岸で岩場を見渡すとすぐ近くにテッポ
ウユリが咲いていた。またいくつかあち
らこちらに白い花が見える。
嬉しくなり、すぐにごつごつした琉球石
灰岩の岩場に下りる。
荒崎海岸の先端あたりにあるひめゆり
学徒の碑文のある岩まで片道おおむね
1.5キロの岩場を往復しようと思った。
イメージしていたテッポウユリの風景が
あった。花も咲いたばかりのように真っ
白。
ところどころの岩場で同じように咲い
ている。
岩場から海を見つめて咲くこのような
風景は残波岬ではごく僅かな場所で
しか撮れない。
しかし、ここ糸満では荒崎から大渡に
続いている海岸一帯の低い岩場で見
られる。
波は低くおだやか。。
引潮で干瀬がイノーの淵へ広がってい
く時間帯だった。碧に緑の海色が美しい。
風に僅かに磯の匂いがする。
イノーの礁淵あたりの波の上。クロ
サギが移動していく。
白いサギも波の白さに見え隠れしな
がら飛んで行った。
餌の小魚や蟹などを狙ってイノーの
波打ち際をこのように往復移動して
いる。
広い海原の打ち寄せる波を背景に
飛ぶ姿には惹かれる。
オオハマボウ。方言はユウナ。
岩場では幹は低く腰の高さほどだった。
遺骨拾ふ戦跡開けてゆうなの黄
(瀬底月城)
潮騒の岩間に低き花ゆうな
(渡真利春佳)
白い花が美しいハマオモト。海岸の砂
浜や岩場ではこの花も多く見かける。
下草に混じりグンバイヒルガオのピンク
の花が咲いていた。
4~5月に海岸に咲く草花は多い。
テッポウユリの花びらは6枚に見えるが
正確には3枚。
そう言われて花びらの重なりをよく見て
みると、内側3枚に外側の3枚になって
いる。外側は「がく」が変化したみせか
けの花びらだという。
雌しべ一つに雄しべは6つ。
淡い紫色の花が多数集まって咲いて
いるのはハマゴウ。
幹は地をはって周囲に広がる。
グンバイヒルガオと同じように砂地を
好み浜辺に多く見かける。
蕾がついているテッポウユリが多い
場所もあった。もうしばらくは花を楽
しめるだろう。
ハマボッスの花に初めて見る昆虫
が止まっている。
グンバイヒルガオが広がっていた。
「ひめゆり学徒散華の跡」の碑文のあ
る近く。碑文のある岩への小径の途中
にあるやや平らな場所。
小径の先の岩にひめゆり学徒隊散華の
地跡の碑がある。
島はてに華と散りにしいとし子よ
夢安らかに眠れとぞ祈る
(瀬良垣宗子)
巌かげに一すじの黒髪乙女ごの
自決の地なり波もとどろに
(仲宗根政善)
碑文が嵌め込まれた岩を横から見る。
黒く壕の穴に見えるのは5~6名が膝
を抱えてやっと座れる程度の岩陰。
去った大戦時、荒崎海岸一帯を逃げ
さまよったひめり学徒隊の体験は、
生き残った学徒の証言記録になまな
ましい。
白百合や鉄の暴風荒れし野の
(知念広径)
野の百合に安らぐ御霊いく柱
(島袋暁石)
生き伸びて島は野百合の香り満つ
(深山一夫)
広いイノーに黒い傘の人影(左下)が一人
長いあいだ海を見ていた。
いわまくらかたくもあらんやすらかに
ねむれとぞいのるまなびのともは
(仲宗根政善)
やがて6月23日慰霊の日がくる。
2019年05月24日
残波の波(13)
残波岬。展望所の東側の断崖下は引潮時に
素晴らしい波の絵が撮れる。
風は北あるいは北西。次から次へと
断崖下に波が打ち寄せている。
風の方角に強さ。波の高さもいい。
構図を探し撮る。
断崖の淵の岩に片足または両足を固
定。あるいは腹ばいになり顔を淵から
乗り出して身体を固定。
この場所は、断崖から落ちないように
他の場所よりも特に慎重に撮りやすい
姿勢をつくる。
少し離れた小さな岩の周りを泡沫が
渦巻く。
詩人はあたりに満ちあふれる波の
ことばを感じとれという。
むつかしい。
ことばで感じ取ることができるなら
詩人になれるだろう。
海辺にて
(詩:長田 弘)
いちばん遠いものが
いちばん近くに感じられる。
どこにもないはずのものが、
すぐそばにいるような気配がする。
どこにも人影がない。それなのに
到るところに、ことばが溢れてる。
空には空のことば。雲には
雲のことば。水には水のことば。
砂には砂のことば。石には石のことば。
草には草のことば。貝殻には
貝殻のことば。漂流物には
漂流物のことば。影には影のことば。
椰子の木には椰子の木のことば。
風には風のことば。波には
波のことば。水平線には
水平線のことば。目に見える
すべては、世界のことばだ。
すべてのことばのうちの、
すべてのことばは、ほんの一部にすぎない
風は巻いて椰子の木がいっせいに叫んだ。
悲しむ人よ、塵に口をつけよ。
望みが見いだせるかも知れない。
人の悲しみを重荷にしてはいけない。
※ 長田弘 詩集『人はかって樹だった』所収。
詩の4カ所で、読み易いよう引用者が便
宜上行間をあけた。
西日の残波岬灯台。断崖の陰。
灯台西側。湾曲した岩場の夕刻。
潮が満ち波が岸を打つ。
イソヒヨドリがふいっとどこからともなく
飛んで来て、岩の上に休んだ。
逆光に鳥影が浮ぶ。
背景に白波が起つのを待ってシャッタ
ーを押す。
ふと横を向くと、すぐ近くで観光客らしい
年配の男性も同じ方向の波飛沫を撮っ
ていた。
岩の上にカメラを固定し、熱心に撮って
いた。きっといい絵が撮れたことだろう。
夕陽を撮る。
夕陽がかなり落ちてきた。あたりが夕暮
色になってくる。
場所を移動し、夕陽と波飛沫の構図をつ
くる。いい夕陽が撮れそうだ。
狙っていた波飛沫が舞う。
これ以上の波はもう来ないだろう。
やっと帰れる。
駐車場への戻る途中。空に満月。
ちょうど前をいく車のバックライト
が赤く光った。
偶然出くわしたいい光景だった。
家路へ。戻る時間はかなり遅くなる。
ささげる詩
(詩:シュトルム)
道はなんととおいことか。けれども
わが家でやすめば 元気になれる!
そして 夕暮と夜とのあいだに
愛するひとよ 君がいる!
※ 掲載したのは「ささげる詩」の一部
2019年05月14日
残波岬のテッポユリ(2)
海を見下ろし咲いているテッポウユリを撮り
たいと思った。
あまり見かけなくなったが、テッポウユリは
ひと昔前は海岸沿いの山すそや崖に多く
自生していた。
ふる里の遠い記憶のなかのテッポウユリも
そのような風景のなかに白く咲いている。
眼を閉じると瞼に浮ぶ。
残波岬。
舗装された散策路を行き進むと、アダンと
テッポウユリの花越しに海が見える場所が
ある。
今年の岬のユリの開花は早かったが、
ここは散策路周辺より遅咲きのようだ。
咲いたばかりのようにきれいな花。朽ち
た花は少ない。
釣り人たちが踏み固めた細い径を辿って
みたが草が生い茂り通りぬけることはで
きない。
もう少し次の海が見える場所まで散策路
を進む。
残波岬の東端
先ほどの場所から散策路をごく10mほど
進むと断崖のある海側に開けた赤土と岩
が露出した場所がある。ここから断崖の方
へ下る。
両側はアダン。断崖の淵につづく向こうに
クサトベラの茂る緩やかな斜面の野が広
がる。眺望のいい場所。
ここまでは人はあまり来ない。ごくたまに
ひょっこりと見かける程度の静かな場所。
海に向かって大声で叫んだりうなったり
あるいは歌ったり。そんな阿呆みたいな
こともやっていいひとりの場所になる。
テッポウユリが草むらのあちらこちらに立ち
花を咲かせている。
青空に碧い海に映えるユリの花をイメージ
していたが、この日は空も海の色もすっきり
しない。
しかし、ユリの花と景色に心も足どりも蝶が
飛ぶように軽い。
ついでに言えば懐は家を出る頃からとても
軽かった。
赤土のでこぼこ地を下った左手の風景。
右奥に二つの人影。
一つの影は立ってしきりに身体を動かし
ていた。吹き上げてくる穏やかな潮風に
身体をあずけ揺らしているように思えた。
中高生くらいの男子にその母親のようだ。
男の子がここが好きだから時々来るという。
さらに東側にアダン葉やクサトベラを分けて
斜面の小径を進む。東シナ海を見下ろして
テッポウユリが咲いている。
思い描いていた好きな風景の中を分け入っ
て行くのは楽しい。
ユリの花追って分け入る釣りの道
ごく小さな範囲にすぎないがふる里の山に
似た風景があった。懐かしくなる。
ふる里の山の花なりテッポウユリ
幾つかのテッポウユリの花に囲まれた
なかに寝転ぶ。灰色の空。ほのかにユリ
の香。アゲハ蝶も飛んでいる。
ぼんやりと亡き母浮かべテッポウユリ
テッポウユリの花が咲く頃は、母は床
の間の花瓶に毎年数本挿していた。
香りが部屋に漂い、夜になると蚊たち
が訪れてきた。
百合の香やしきりに思う母のこと
島での子どもの頃のあれこれの思い
が浮かんでくる。
街とはちがうもうひとつの静かな時間が
両の腕を枕にした草むらの小さな空間
に流れる。
しばらくカメラのことを忘れる。頭の上の
ユリの花陰にリュウキュウコスミレの小
さな花が一輪咲いている。
ユリの葉の茂みから柄の先に花だけが
見えている。濃いきれいな花だ。
もう時期はずれではないのか。ふと思
ったがコスミレには言わずにおく。
アゲハ蝶を撮ろうと思ったが難しかった。
テッポウユリの花に蝶は止まらない。近く
を飛んでいても止まるかに見えて、触れる
か触れないかで素通りしていく。
何故か蝶はユリが好きでないようだ。
海を前にした蝶を見ていると、安西冬衛
(あんざいふゆえ)のあの一行詩が思い
浮かんでくる。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った
我々の蝶に海を渡る気はないらしい。海
と反対のどこかへふんわりと風に乗って
飛び去った。
起ち上がる風の百合あり草の中
(松本たかし)
崖下の岩場へは釣り人たちが踏み固
めた小径がある。崖の岩壁を下るの
は初めてだとかなり慎重になる。
周りに人影はない。背をかがめテッポウ
の花先に鼻を突き出し、子どもように匂
いをかぐ。
鼻先に黄色い花粉がついた。
野に咲くテッポウユリの花には純朴さを
感じる。
もう一つの場所。西の岩場
もう一カ所海を眺めて咲いているテッポウユリ
の花が撮れる場所がある。
灯台の西側。そこの岩場に別の日に行った。
駐車場の側のモクマオウ林の中にある釣り人
がよく利用する小径を行く。初めてだと入口は
わかりにくい。
灯台の西側の岩場。ザンパビーチも望め
る岩場。上は底の厚い運動靴か登山靴で
ないと歩きづらい。
岩場に上がって撮る。
岩場はごつごつとしており雑木も茂って
いて足場はとても悪い。
ユリの花の左の空からツバメがいき
なり飛び込んできた。
ツバメの周回してくる経路を確認。撮れ
そうな場所でツバメを待った。
素早い飛行で鮮明に撮るのは素人の自
分には何度撮っても難しい。
ほんとに楽しそうにすいすいと風を切っ
て飛び回っている。
餌を捕るのに大げさな飛び方だと思わ
ないでもないが、爽快に旋回する姿は
じつに胸がすく。羨ましい。
一日はつばめとなって、あのようにこの
空を自由に飛んでいたいと思う。
ツバメを撮っている岩場にふいに老人と
その孫らしき二人がやってきた。海の様
子を見に来たようだ。
通りすがりに老人がぽつりと「すぐそこに
ハート岩があるよ」とつぶやくように教え
てくれた。
近くの岩場にハシゴが架けられていて楽
に下りられる場所がある。
波に浸食された岩が左右から突出てい
て見る角度によってハートの形になって
見えた。
この場所は何回か海から岩場に上がる
のに通ったりした知っている場所だが、
ハート型に見えるとは気付かなかった。
なお、左右の岩は前後しており一続きの
岩ではない。
ハシゴは数年前はなかった。観光客がく
る場所ではない。一般の人でももちろん
くる場所ではない。
ハート岩とは、ごく新しく誰かが言い始め
それが呼称となって口コミで広がったの
だろう。
引潮時にはハート型をバックに記念写真
が撮れる。
青空の日の残波
比較的青空の見えた日の残波岬。
雲を期待して行ったが思う場所の空に思
い描いた雲は出ていなかった。
しかし、グラジオラスやヒルサキツキミソウ
がとても咲いていた。
ヒルサキツキミソウがきれいに咲いて風に
花を揺らしている。
腹ばいになって何枚か撮る。
今年は、特にビーチ側の芝生の休憩所の
あるエリアではヒルサキツキミソウは満開で
咲き乱れていた。
グラジオラスが咲いている左手前には、例
年テッポウユリが咲くのだが、どうしたのか
今年は見かけなかった。
ツバメが画面に飛び込んできた。
病み明けの空の広さよつばくらめ
(芳澤史子)
この場所は好きな場所。グラジオラスや
ユリの花が咲く時期には必ずここをのぞく。
灯台と断崖と花が一緒に撮れる。
運が良ければ夕陽もそれに追加できる
と思うが、まだ撮ったことはない。
夕陽と灯台をいい絵で撮れる場所が多
いのでここのことはすっかり忘れてしまう。
棒の柵とグラジオラスの赤い花の
茎を平行に並べて縦構図にした。
綠と赤の強い補色の組み合わせに、
空の青と雲の白がいいバランスにな
ったように思う。
近寄ってきた際に撮った画面を見せ
了解を得る。
「ノー・プロブレム」が聞けたときは嬉
しい。
風の通り道になっている草むら。
同じ方向に倒れたカヤの中にぽつんと
テッポウユリの花の白。
夕陽を撮る
母の日。西空に霞が多かったのでいい
夕陽が撮れるかも知れないと思った。
この日もっとも撮りたいと思った絵。
灯台の天頂に夕陽がくる構図で撮れ
る場所を見つけるのに苦労。
探しているうちにも夕陽は静かに落ち
ていく。岩場で身体を傾け不安定な状
態で撮る。
間一髪間に合った。
カメラはシーンモード(夕焼け)で設定。
「A」モードでは調整が夕陽に追いつけ
ずチャンスを逃してしまうため。
夕陽の沈むのに合わせて断崖の上を
落ち着きなく移動しながらイメージに
合う絵を探した。
ごつごつした琉球石灰岩の断崖の上
の移動は慣れないと危険だ。
断崖の上に一晩釣りをするという方が
いた。「邪魔になってないですか」とこち
らに逆に気を使っている。申し訳ない。
釣り人のシルエットを検討したが灯台と
岩の陰になりいいシルエットはできない
ので諦めた。
背をぐっと低くかがめ、岩場の岩のつく
る影を遠い山脈の稜線にイメージして
撮る。
撮る位置を変えればいろいろと広い
光景の絵がつくれる。
テッポウユリのことを思い出した。
あわてて断崖の方からユリの丘へ駆け
つけて撮る。
間に合う。今日はほんとに良い日。
暗くなり始めた。人影も少なくなり辺り
はやがて静寂に包まれる。
灯台の青白い灯が回転し時々光が現
れる。テッポウユリの岬に別れの時刻
が来た。
咲いた花は、人間がぐっすり寝ている
夜も咲き続け数日で生を終える。
鉄砲百合立ったままなり昼も夜も
(宮城正勝)
次ぎ訪れたときなじみの花たちは朽ち
ているかも知れない。
おわかれするときに
(詩:堀江菜穂子)
おわかれするときには
さよならって みんないう
わたしはくちがきけないから
いつもだれにも
さよならはいわない
さよならってことば
いえなくてよかった
わたしはだれともまだ
さよならをしていない
堀江菜穂子詩集『いきていてこそ』
(サンマーク出版、2017)より
堀江菜穂子(1994年~)は
[脳性まひとたたかう”声なき詩人”」
とも言われる。
観光客のシルエットで絵をつくる。
いい配列の動きになるのを待った。
残波岬以外で
残波岬以外でも海を眺めて咲くテッポ
ユリを探してみた。
今帰仁村。福木の路地が風情のある
今泊集落の海岸。
蘇鉄の陰の崖の中腹にテッポウユリ
が咲いていた。
海岸沿いの墓前に咲いていた。
ここで一枚だけ道草。
今泊集落には福木になった雌のオーム
がいる。
もうかなりの大木になっている。
空を気ままに飛ぶ自由は失ったが福木
になって長い寿命を生きているようだ。
表情は幸せのように見える。
別のことも思う。
福木の木がオームになりたかった。
例えつかの間の生であっても自由
に大空を飛びたいと。その思いの
強さが。
福木は備瀬集落が有名だが、今泊の
福木並木も実にいい。福木の空の雲
が一緒に撮れいい絵ができる。
真栄田岬夕陽の丘。
テッポウユリはとても少なかった。
海を組み込んで構図をつくっていると
釣り人がたまたまやってきた。通り過
ぎないうちにあわててシャッターを押
す。逆光に輝く海は白トビ。
うるま市浜比嘉島。浜漁港右手に
ある海神の拝所のある岩山で。
勝連半島東海岸の海の中の岩の上に
一輪咲いていた。
岩全体を撮ると小さなユリの花は分か
らなくなるので諦めて一部分を切り取
った。
県総合運動公園前の海岸。いるか島。
意外なところにユリの白い花が風に吹
かれ揺れているのが見えた。
見つけた時は嬉しかった。空には白雲
が広がっている。
撮った後は自然とガッツポーズになる。
岩の根の方から人影の去るのを待って
縦構図にした。
この風景、夕映えはどのような色で撮
れるのだろうか。
天気のいい日の夕刻があるなら来てみ
たい。その時までテッポユリには咲いて
いて欲しい・・・。
糸満市荒崎。自生のテッポウユリが多い。
イノーには白浪が立つので、きっともっと
いい絵が撮れるだろう。
なお、荒崎には「ひめゆり学徒散華の跡地」
の碑文のある岩場がある。