2017年08月05日
山入端利子の詩「夜の井戸(ハァー)が」
夜の井戸(ハァー)が
詩:山入端利子
母の
四十九日が過ぎると
誰も来ないようになった
夜が怖くて眠れない
暗闇の淵で目が醒めた
あれ! 熱が高い 妹の頭から足の先まで
高熱におそわれている
冷やさなきゃ! バケツを持って
闇夜に飛び出した
夜の深い井戸から
山姥の目玉がとび出してくる
白蛇も 鼠も 木精(マジムン)までも
銀のよだれを垂らして おそってくる
しゃがみこむ私の姿は わななく蛙
”母さん 母さん、水は何処!”
妹のために 水 水 水
あった! あった!
仏壇の花差しの 水を失敬して
布ぎれに浸し おまじないを掛けた
母さんがやっていた通りに
魂の芯までぬかれた 妹と私
東の方で
一番鶏が鳴いた
窓が白みはじめると
汐が引くように
妹の熱はひいていった
うそみたいに
「山入端利子詩集」
(新選:沖縄現代詩文庫⑦)より
※『米軍記者が見た沖縄』に掲載された沖縄の古井戸のスケッチ画を編集。
母の
四十九日が過ぎると
誰も来ないようになった
夜が怖くて眠れない
母親を亡くし訪問客も絶える。子どもだけで過ごす寂しい夜につのる喪失感と不安。
突然発熱した妹を救おうと必死の姉。恐怖と安堵の闇夜の一夜がドラマの場面の
ように浮んでくる。
この素晴らしい詩に写真をつけようと思った。イメージになる昔の井戸はもう見られ
なくなった。古井戸の写真は数枚撮っているが詩のイメージに合わない。
そのようなとき、図書館から借りた『米軍記者が見た沖縄』に昭和20年当時の沖縄
の風俗や風景などのスケッチ画が多数掲載されていた。その中に古井戸もあった。
山入端利子氏は1939年に沖縄県大宜味村で出生。現在は那覇市首里在住。
『山入端利子詩集』(脈発行所、2010)は過去に発行された4つの詩集
『握りしめた手の中の私』(1997)
『消え行く言葉たち』(2001)
『ゆるんねん いくさば(夜がない戦場)』(2005)
『藍染め』(2007)
から自選したものにエッセイを加えた詩集である。
なお、『ゆるんねんいくさば』は方言による詩集。これにはCDもある。
山入端利子には他に『ゑのち』(2013)、『尚円王は松金(まちがに) 妻はカマル』
(2016)の詩集がある。
「夜の井戸(ハァー)が」は『握りしめた手の中の私』から選出されている。
エッセイ「つわぶきの花明かり」には、八月の暑い夜、那覇市与儀の市場で働いて
いた母親が過労で亡くなった時のことが記されている。
詩:山入端利子
母の
四十九日が過ぎると
誰も来ないようになった
夜が怖くて眠れない
暗闇の淵で目が醒めた
あれ! 熱が高い 妹の頭から足の先まで
高熱におそわれている
冷やさなきゃ! バケツを持って
闇夜に飛び出した
夜の深い井戸から
山姥の目玉がとび出してくる
白蛇も 鼠も 木精(マジムン)までも
銀のよだれを垂らして おそってくる
しゃがみこむ私の姿は わななく蛙
”母さん 母さん、水は何処!”
妹のために 水 水 水
あった! あった!
仏壇の花差しの 水を失敬して
布ぎれに浸し おまじないを掛けた
母さんがやっていた通りに
魂の芯までぬかれた 妹と私
東の方で
一番鶏が鳴いた
窓が白みはじめると
汐が引くように
妹の熱はひいていった
うそみたいに
「山入端利子詩集」
(新選:沖縄現代詩文庫⑦)より

※『米軍記者が見た沖縄』に掲載された沖縄の古井戸のスケッチ画を編集。
母の
四十九日が過ぎると
誰も来ないようになった
夜が怖くて眠れない
母親を亡くし訪問客も絶える。子どもだけで過ごす寂しい夜につのる喪失感と不安。
突然発熱した妹を救おうと必死の姉。恐怖と安堵の闇夜の一夜がドラマの場面の
ように浮んでくる。
この素晴らしい詩に写真をつけようと思った。イメージになる昔の井戸はもう見られ
なくなった。古井戸の写真は数枚撮っているが詩のイメージに合わない。
そのようなとき、図書館から借りた『米軍記者が見た沖縄』に昭和20年当時の沖縄
の風俗や風景などのスケッチ画が多数掲載されていた。その中に古井戸もあった。
山入端利子氏は1939年に沖縄県大宜味村で出生。現在は那覇市首里在住。
『山入端利子詩集』(脈発行所、2010)は過去に発行された4つの詩集
『握りしめた手の中の私』(1997)
『消え行く言葉たち』(2001)
『ゆるんねん いくさば(夜がない戦場)』(2005)
『藍染め』(2007)
から自選したものにエッセイを加えた詩集である。
なお、『ゆるんねんいくさば』は方言による詩集。これにはCDもある。
山入端利子には他に『ゑのち』(2013)、『尚円王は松金(まちがに) 妻はカマル』
(2016)の詩集がある。
「夜の井戸(ハァー)が」は『握りしめた手の中の私』から選出されている。
エッセイ「つわぶきの花明かり」には、八月の暑い夜、那覇市与儀の市場で働いて
いた母親が過労で亡くなった時のことが記されている。
Posted by 流れる雲 at 14:53│Comments(0)
│詩・歌・俳句