2017年03月12日
シュトルムの詩「海辺」

遠く水平線の灰色の島影はケラマ列島。2017,2,9 残波岬にて
海 辺 詩:シュトルム
訳:藤原 定(さだむ)
川口のあたりをカモメが飛び
あわただしく 夕ぐれてくる。
うちつづく浅瀬のうえに
夕映えがうつり、
灰色の鳥が
水面をかすめて飛んでき、
島々は 海上の霧のなかに
夢のように 浮かんでいる。
ぼくは聞く 秘密めかしく
浅瀬に潮がみちてくる音、
さびしい海鳥の鳴きごえを ーー
いつも変わらず このようだった。
いまいちど とおり雨が降り
それから風がおち ひっそりとして
深き淵の声までが
ききとれそうになってくる。
※ テオドール・シュトルム
1817~1888.独の作家、詩人、法律家
世界詩集5『シュトルム詩集』(角川書店)より
この詩は、シュトルム37歳のとき異郷にあって書いたものという。
どの時代でもどこの国にあっても海辺は郷愁をさそうものだろう。
夕暮れのひっそりとした海辺で聞き取る「深き淵の声」とは
どのような声だろうか。
シュトルムの生地は、ドイツ北辺りのフーズムという「北海に面し、
冬が長く、風が強く波が高い、春が待ち遠しくなる見渡す限り砂浜」
の小さな港町。
『魔の山』の作家トーマス・マンは、シュトルツのこの「海辺」の詩を
「どんなに賞賛しても賞賛したりない」と絶賛したという。

2014,9,28
シュトルムには、「月光」という詩もある。34歳の時の作。
訳は藤原 定(さだむ)。シュトルムは抒情詩人だ。
月 光
月のひかりの中に
世界はすっかり ひたっている。
ものみなを つつんでいるのは
天上のきよらかな平和だ!
月の光がおだやかなので
風はしずまらずにはいられない。
ざわざわと うごいていたが
とうとう寝入ってしまうのだった。
あつい真昼には
目をさましてひらこうとしなかったが
花はようやく 萼(がく)をひらいて
夜気(やき)の中で においただよう、
いつの頃から こういう平和を
ぼくは忘れてしまったろうか!
平和よ ぼくの一生
いつくしみの月となり 照らして下さい。

2014,9,9 泡瀬
「わが息子らに」という詩もある。詩の2~4章は略した。
訳は他に同じ。
シュトルムは弁護士でもあった。
わが息子らに
真理を隠蔽(いんぺい)してはならない!
真理は苦しみをもたらすことはあっても、 後悔はさせぬ、
だが、真理は真珠だから
豚に投げてやるべきではない。
たとえどんな職業につこうとも
きらうな 働くことや緊張を。
だが立身出世のため
たましいを 売るのはやめよ。
ありとあらゆる俗物どもが
金倉(かねぐら)のまわりで さわいでいても
仲間になるな。 人生のさいごに
頼りになるのは自分ひとりだ。
みどりの木の葉
もえさかる夏の日の 木の葉一枚
散歩しながら採(と)ってきた
いつの日か ぼくに話してくれるよう、
道すがら ウグイスが高らかに鳴き
森のみどりが 眼にしみたことを。
シュトルムは森が好きだ。「森の中で」や「森の道」という題の
詩もある。「みどりの木の葉」は33歳のときの作。
※
やんばるの森で、若い青年二人に出会ったことがある。
奥の林道で木の葉に触れたり、葉を採って口に含み咬んで
味見をしたりしていた。
林業関係の職場に勤務しているという。
彼らが口に含んでいた木の葉を私も咬ませてもらった。
昔はこの木の葉をガムのように咬んで味わったという。
木の名も教えてもらったが、メモを紛失してしまった。
休日を森の中で過ごす若者もいる。
シュトルムの詩を詠みながら森で会った二人を思い出した。
Posted by 流れる雲 at 01:30│Comments(0)
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