2018年09月10日
幻日(げんじつ)

夜明けをやや過ぎた7時頃。県総合運動公園東の空に高くそ
びえる積乱雲が発生していた。積乱雲の背後は巻雲がすじを
引いている。
積乱雲の端に虹のような色の輝きが見えた。幻日だ。

積乱雲の背後に隠れる太陽。雲の反対側(右側)に幻日。

積乱雲の背後に太陽が完全に隠れると、雲の周りをかさ(ハロ)
がかこみ、雲の左右に幻日(げんじつ)が現れた。美しい光景だ
った。
露出をアンダーにして撮り、仕上がりで明暗や色を編集しかさ
(ハロ)と幻日がはっきりと見えるように強調。実際に見える光
景よりもダイナミックな絵画のようになった。
太陽の周りのかさ(ハロ)は何回か見たことがあるが、幻日は
初めて。雲の本には幻日はちょくちょく現れるとある。
「幻日」は、太陽の光が巻雲や巻層雲の氷晶を通過するとき
屈折し、太陽の左右に明るく色づき輝くのが見える現象。
幻日のことを英語の俗称は「モック・サン(偽物の太陽)」と
か「サンドック(太陽の犬)」という。「太陽の犬」とは、美しい
幻日からはかけ離れたなんとも風情のない呼称。黙って、
頷くしかない。
輝きが大きく強いと太陽が三つあるように見えることもある
ようだ。
シューベルトの歌曲集『冬の旅』の第23曲目は「幻の太陽」。
詩はヴィルヘルム・ミュラー。
太陽が三つ空にかかっていた、
ぼくはいつまでも見つめていた、
それらもそこにじっとしていた、
ぼくから離れたくないみたいに。
ああ、おまえたちは僕の太陽ではない!
ほかの人たちを照らしてやってくれ!
ぼくはこころに太陽を三つもっていたが、
今はよい方の二つがなくなった。
三つ目も消えてしまうがよい!
暗闇こそがぼくのほんとうの住みか。
心の中の三つの太陽「希望」「信仰」「愛」を空に架かる三つの
太陽に絡め、旅する孤独な若者の心情を綴る。

ギャヴィン・プレイター=ピニーの著書『雲の楽しみ方』の中に
次のような文章がある。
ーー「テレビの二ユース記者を引退したジャック・ボーデン
は空に夢中になり、アメリカでフォー・スペーシャス・スカイ
ズ(広大無辺な空のために)という組織をつくって活動して
いる。目的は、空のすばらしさを人々に気づいてもうことだ。
ジャックは人に会うとかならず幻日を見たことがあるかと
たずねることにしている。空にどれだけ関心があるかを試
すリトマス試験紙になると思ったのだ、と彼は言う。
どん人にも、ただ幻日を見たことがあるかときいてみる。
たいていの人は何にのことかわからない。そこで幻日の写
真を見せる。ジャックの計算では幻日を見たことがある人
は、100人中わずか5人。しかも、そのうち2,3人は一度
しか見ていない。」
空をよく眺めているが、昨日までだとジャックのリトマス試験
では赤の反応が出る。よく観察しながら空を眺めるのでなけ
れば、見えていても気がつかないのだろう。

空を見上げ、あの一瞬の美に驚嘆なさい。
そして雲のなかに頭をつっこみ・・・・・
(ギャヴィン・プレイター=ヒピニー)

かなとこ雲。
対流圏と成層圏の境界に達し水平に広がりかなとこ状にな
った積乱雲。中城湾上空にはこの頃よく発生している。

かなとこ雲が崩れていくのを眺めていたら、海岸沿いをやって
きた方が通り過ぎて行った。絵になる光景だった。急いでシャタ
ーを押した。

ここの海岸は引き潮になると海に向かって伸びる小規模な砂
州が現れる。その先端に向かってぐんぐんと歩いている。
低いアングルから砂浜を高くして人影と積乱雲を組み合わせた。
物語を感じさせる絵になった。

海岸の方から砂州の先端までは約200m。先端にたたずむ人
影は小さい。
風が出てさざ波が立つ海面を前景にしたイメージが浮んだ。
思い切って裸足で海に入り撮った。海中の珊瑚の破片が足裏
に痛みよろけそうになる。2~3日前に購入した靴を濡らしたく
なかった。ただそれだけのこと。

久し振りに来た海岸。新しい流木が打上げられていた。
この流木自体の形は好きではなかったが、影を入れ低い
アングルから水平線を傾けてフレーミングすると.なんと
かいい構図が作れた。
そして、石川啄木のようにあたりを見回し、よこたわる流木に
物言ひてみる。

かじりかけのリンゴ。落としたのか食べるのに飽きて放り捨
てたのか、
朝日が照らす波打ち際で寄せては返す波に転がされる。
波が引いた砂面にリンゴの赤い影が映るのを待って撮る。
リンゴを喰らいながら無心に大海を眺めるのもまた風情がな
いではない。
と、あはれ秋風よ・・の節が想い浮かんだ。
佐藤春夫の「秋刀魚の歌」という題の詩である。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ
・・・ 男ありて
今日の夕餉にひとり
さんま喰いて
思いにふけると
・・・詩はまだ続くが、ここまでがいい節だ。確か、学生時代、首里の
長屋のような安い貸し屋に住んでいた、人生論好きの友人から教
えてもらったと思う。
砂浜で波に揺すられているリンゴ。あるいは昨日の夕暮れ時のもの
かも知れない・・・・。思いにふけっていてつい、手にしていた食べか
けのリンゴを落とす・・・。
空想は膨らむが、子どもが投げ捨てたものかも(公園にはキャンプ
場がある)と考えていくと風情が失せ撮ることもできなくなる。
ともあれ最初に見たときに動かされたものは詩心であった。詩の
ように撮りたかった。

やどかりを撮るのを忘れてしまった。
朝や夕、波打ち際では小さなヤドカリが歩いている。

運動公園にはガジュマルが多い。
梢の間から射し込む陽光に輝くガジュマル。

ガジュマルの幹にからみついたつる草。葉の緑色の輝きが美しい。

赤く熟した月桃の実が見られるようになった。
今年は実のつきが例年より悪いように感じるが、緑に葉の間
に見える赤い実の房には目がいく。
緑と赤のコントラストをフランスの画家アングルは好きだった
という。
月桃の実をお茶にして飲む人もいる。昨年、飲んでみた。
・・・まあまあの味。今年も作るという話だ。
公園にはお気に入りの月桃があったが、今はもうない。
刈り取られてしまって、それ以後以前の姿の月桃はなくなっ
てしまった。

マンホールのふたに溜まった水を飲む鳩。

ウオーキングの人たちを画面に入れたいと思った。待っていると、
鳩がやってきた。いいアクセントになった。

餌になる虫を探しているのか、鳩は飛び立つことなくちょこちょこと
先の方へ歩いて行く。そこへ二人づれがランニングしてきた。

陽に照らされた芝の緑とモクマオウの影の対比が美しかった。
雲がもっと高く撮れないかポジションを変えてフレーミングして
見たが、その場合は芝の明るい緑の大部分を犠牲にしなけれ
ばならなかった。

久しぶりの県総合運動公園のいい写真がとれた朝だった。