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2016年12月05日

海見る度に

海見る度に



           亡き母や海見る度に見る度に    (一茶)



     この俳句は最近知った。     

        「やせ蛙まけるな一茶これにあり」や「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」などの句で広く
     知られる一茶50歳のときの季語の無い句。
    
     一茶はどのような心境でこの句を詠んだのだろう。海を見つめている一茶の心中にはど
     のような感情が渦巻いていたのだろうか。


     一茶の母は一茶が3歳の時に亡くなり継母に養育されている。父親や祖母がいたとはい
     え継母にはなつけず孤独な幼少時代であったようだ。        
      
     人生の終の住処を求め故郷に戻る決意を固めていた一茶。しかし、故郷で暮らす継母や
     義弟との間に財産相続問題を抱え、その解決で江戸と故郷を行き来していた。不仲な親
     族の住む故郷で暮らすのも容易とはいかないだろう。

     そのような時期、親しかった女性俳人の三回忌で訪れた富津(現千葉県の南部)に滞在
     していたときに、上総(現千葉県の中央部)の海を眺めて詠んだ句だといわれている。
     
     親しい人の三回忌に接し、人生の後半に入っていた一茶は人生のはかなさ、自分にも必
     ず訪れる死を強く意識したのではないか。それだけに故郷に戻り晩年をすごしたいとい
     う思いは強かったことだろう。
    
     故郷で暮らした幼少時の生活に楽しい記憶はない。15歳で奉公に出たのも継母との不仲
     が理由のようだ。俳人になった一茶は江戸を拠点に放浪の生活。良い思い出のない故郷
     の記憶は母の死と孤独。帰郷の決意で思い起こすのは3歳のときに亡くなった母のおぼろ
     な面影ではなかっただろうか。

     母が生きていれば生きていればと必死に思った少年の頃の孤独。親しいものの死の後、
     上総の海を前に、故郷を思えばおもうほど母への慕情がわきおこり、「亡き母や海を見る
     度に見る度に」の句が詠まれたのではないだろうか。

    
     聖書の言葉にある 「川はみな海に流れ入る、しかし海は満ちることがない」(伝導の書第
         一章7)。母親の広い心は海と同じ、子どものすべてを受け入れる。寂しさを受け入れ包み
     こむ母なる広大な海を前に優しい心根の一茶の頬を涙が伝いおちたことだろう。


     一茶の句は素朴で親しみやすいものが多いが、この句は一茶の句の中では特異だと思う。
     その性格がいろいろ語られる一茶であるが、句に詠まれることのない心を誰が知るだろう。         



            亡き母や海見る度に見る度に

     
     詠み返しても詠み返しても寂しく悲しい句だ。声を出して詠むと5・7・5の句にならない前の
     魂の叫びが聞こえてくるように思える。周囲に理解されることのない子ども時代の、心の奥
     に秘められた孤独の記憶と母へ思慕は人生の終わりまでついていく。

            
            我と来て遊べや親のない雀


      この句は一茶52歳の時の句。幼少時は彼にいつまでもつきまとっている。消すことの
      できない記憶も、言葉にすることで癒やされるものがある。




海見る度に


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Posted by 流れる雲 at 14:16│Comments(0)フォト俳句
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