2018年12月04日
釣りをする人

早朝の渚。釣りの男性が糸を垂れ引きながら進んでくる。
挨拶を交わす。「朝はすがすがしいですね!」といい、「チン」
という魚を狙っていると話す。

行き交ってまもなく、「釣れた!」と大きな声が聞えた。振り返
ると釣り竿が大きくたわんでいる。駆けつけ釣り上げる様子
を撮った。

暴れもがきく魚が水面に現われた

勢いよく跳ね体をくねらせる。

魚の唇から釣り針を外している。

魚が落ち、ぴしゃっぴしゃっと水面をはたき飛沫を跳ねた。

釣りあげたチンは海の中。逃げられてしまったようだ。
・・・と思ったが、釣りの男性は慌てて魚をつかまえようと
することも残念がる様子もなく立ち上がった。

何事もなかったかのように釣り竿を振りかぶり糸を海に投
げ入れると、「逃がしたんですよ」と大きな明るい声で笑っ
た。笑顔がなんともすがすがしく印象深かった。

人生を楽しめ、しかし殺生はするな!
釣り糸の投げ入れを繰り返しながら、早朝の渚を軽快な
足取りで往復していく釣り人。かっこいいね。クールだ。
こういうのをスポーツフィシングを楽しむというのだろうか?
釣りたい魚とその魚との駆け引き、釣り上げるまでの手に
伝わる感覚は忘れられないものらしい。この喜びを求め釣
りをするという。どこか写真を撮ることと似ている。
釣った魚を再び海に放す「キャッチ&リリース」は釣りの醍
醐味を味わせてくれる魚への責任という。
「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。」と釈迦も教えて
いる。
キャッチ&リリースを信条とする釣り人は、釣り上げると
き魚を極限まで疲労させるような駆け引きをしない。また
釣り針による損傷を最大限におさえるため、簡単に釣り
針が外せるように返しのない釣り針を使用する。ほかに、
釣り上げたあと空気に晒させない。釣り針を外すとき魚
の口をつかみ頭部と脊椎に過度のねじれと負担をかけ
ないなど、いろいろと可能な限りの配慮をし、駆け引き
で釣り糸と格闘した魚の回復を遅らせないようにしてい
るようだ。
ネットで調べて分かったが、この日出会った若い釣り人
が釣り上げた魚を手に持ち上げ空気に晒したのは、私
に見せるための好意でやったのかも知れない。

糸満市喜屋武岬近くの海岸。
釣りは子どもの頃にやったきりである。嫌いではないが好
きでもない。しかし、海岸を歩きながら釣り人を見かけると
写真に撮ることがある。大な海原に向かう釣り人の孤影は
絵になる。

ヤンバル(名護市)の東海岸。素晴らしい褶曲が見られる
バン岬へ続く石ころだらけの長い海岸である。
釣りについて、中国に次のような古い諺があるという。
一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
三日間、幸せになりかったら結婚しなさい。
八日間、幸せになりかったら豚を殺して食べなさい。
一生、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。

糸満市摩文仁の海岸。
釣りの名言もある(以下は全てネットから)。
釣りを知らないことは人生の半分の楽しみを知ら
ないことだ。(ヘドン)
仕事か人生の楽しみか悩んだ場合への助言の名言も
ある。
もし釣りが仕事の妨げになるなら、仕事の方をあき
らめなさい。(スパース・グレイ・ハックル)
冗談だろうと意見する人向けに用意された名言もあった。
魚釣りと言う病気は死ぬまで治らない難病であると共
に人生という難病を治療する特効薬でもある。
(ロイ・キリーク)
・・・・ どうころんでも魚釣りの病気になれば仕事をやめる
しかないのだろう。海が病院。主治医は魚。潮騒や磯の香
は看護婦。
釣りについて哲学的な考察をした人もいる。
魚釣りは奥深い数学のようなものだ。誰も完全にマス
ターする事はできない。(アイザック・ウォルトン)
アイザック・ウォルトンは『釣大全』を著わしたイギリスの随
筆家で伝記作家で有名人のようだ。ヘドンほか他の人物に
ついては知らない。。

国頭村東海岸。
・・・・・・ しかし、次のような諺もある。
神はつかの間の人生から。釣りに費やした時間を
差し引いてはくれない。(バビロニアの諺)
いい諺だ。釣り以外の楽しみについても言える。もちろん
写真を撮ることについても。
釣をする人には痛烈な皮肉になる名言もあった。
釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者を
つけた棒である。(サミュエル・ジョンソン)
サミュエル・ジョンソンはイギリスの詩人で批評家らしい。
よっぽど釣りが嫌いなようだ。唇か耳を釣り針に引っかけ
られた記憶でもあるのだろうか。

入り日の逆光で海が金色に輝き釣り人は黒い影になる。
残波岬。釣りの影は女性である。

名護市嘉陽の早朝の海岸。朝日の逆光にきらめく海を前に
釣りをする人。

上に同じ嘉陽海岸。同じ釣り人。
しばらく釣りを止め左奥の方をじっと眺め想いにふけって
いるようだった。

モノクロにしてみた。
モノクロは色彩がなくなるので余計なものに視線の注
意が行かなくなるので深みのようなものを感じさせる。
釣りは精神の歓び、思索する遊び。(アイザック・ウォルトン)
Posted by 流れる雲 at 23:00│Comments(0)
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