
2016年12月27日
宜野湾マリーナの夕陽
2冊の、日々の人生を考えさせる小さな本に出会った。
1冊目は、 ノーマ・コネット・マレックの詩の本
『最後だとわかっていたなら』 (佐川睦訳、サンクチュアリ出版)
西條八十の詩に関する本を探すため立ち寄った宜野湾市の書店で、たまたま目の前の
棚にあった本。5~10分ほどの立ち読みで読める小さな冊子。500円くらいだろうと思っ
ていたら、カウンターの店員は1000円だと言う。本を裏返し確認する私を見て店員曰く、
「(本の)中はぎっしり詰まっている」。たしかにそうだった。
『最後だとわかっていたなら』(原題は「Tomorrom Never Comes」)は、著者のノーマ・
コネット・マレックが亡くなった息子に捧げた詩である。この詩は1989年に発表され、
アメリカで起きた2001年9月11日の同時多発テロ後、世界中に広がったと訳者後書き
にある。この詩はインターネットでも公開されている。
ノーマ・コネット・マレックは1940年アメリカケンタッキー州生まれ、2004年64歳で死去。
最後だとわかっていたなら (詩:ノーマ・コネット・マレック)
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても わかっていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・ 「あなたを愛している」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
わたしは今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していることを
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」
「ありがとう」や「気にしないで」を 伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
この詩の書かれた背景と、世界中に広がった経緯が訳者の後書きにある。
それを読み詩を再び読み返すと、作者の気持ちが一層伝わる。長い文の引用になるが
記す。
「(詩の作者の)ノーマは2児の母となり、その後夫と離婚した。と同時に、命よりも大切な
子どもを失ってしまった。・・。夫がふたりの子どもを連れ去ってしまったのだ。
警察の協力のもと必死に子どもたちの行方を探したが、消息もつかめぬまま時間だけ
が過ぎていった。
そして突然の息子の訃報、失踪して、2年後の出来事だった。
10歳だった長男のサムエルは、弟と水辺で遊んでいた時、遠くで小さな子どもが溺れて
いるのを見つけた。それを助けようとして自分も溺れてしまったのだ。
その後、ノーマは悲しみを抱えたまま、残された次男とふたりで暮らした。しかし、亡くな
ったサムエルのことは決して忘れられない。
長男に伝えたかったけれど、伝えきれなかった数々の言葉、想い。
それらをノーマは一篇の詩に託し、1989年に発表した。その15年後、ノーマはガンに
より永眠。テネシー州に埋葬された。
この詩は、作者の悲壮な体験が生み出したものだった。そしてそれを偶然目にし、共感
した誰かが、9.11テロの時に亡くなった人々を偲び、平和を訴えるために、無断で配信
したのだ。それが徐々に世界中に広がっていった。」
2冊目は、4~5日前に図書館から借りた
『幸せへの扉~世界一小さなアドバイス~』 という、これも薄い本。
著者はアナ・クィンドレンというアメリカの女性作家、コラムニスト。相原真理子訳で集英社発行。
母親をガンで失った経験などから、人生において大切なことはなにか、仕事と人生は別物であ
る本物の人生を生きようと語っている。これも長い文になるが心にふれた箇所を抜き出した。
ーー 人生と仕事。このふたつを決して混同しないでください。わたしが言いたい
ことはただそれだけです。仕事は人生の一部にすぎません。
ポール・ツォンガス上院議員がガンと診断されて再出発を断念したとき、友人が
彼に書き送ったこの言葉を忘れないように。
「死の床で、もっと仕事をすればよかった言った人は、かっていません」
昨年、父からもらったはがきにはこう書かれていました。
「ネズミがいくら働いて出世競争に勝とうと、ネズミはネズミだ」
ジョン・レノンも、ダコタ・アパートの正面で射殺される前にこう書いています。
「人生とは、ほかの計画をたてるのに忙殺されているあいだに起こっていること」
わたしにできるアドバイスはそれだけです。
ーー 人生は短いもの。そのことを忘れてはいけません。
わたしはそれを知っています。・・この何十年か、命には限りがあることを知りつつ
生きてきました。十九のとき、四十歳だった母を卵巣ガンで亡くしたのです。その
経験から、自分がいつかは死ぬという認識は、神から与えられた最大のプレゼント
であることを知りました。
わたしたちは人生を、与えられた日々を、時間を、浪費しがちです。ときわぎの若
草色の新芽や五番街の石灰岩の輝き、子供たちの目の色、シンフォニーのうねり
に注意をはらわずにすごしています。ともすると生きるのではなく、生存するだけに
なってしまいます。
ーー マツユキソウやタンポポ、子供と一緒にソファに座るときのぬくもり、後ろ
からランプの光を受けて本を読んでいる夫の姿、フェットチーネ・アルフレード(パスタ
料理)、ファッジ(キャンディーの一種)、『風とともに去りぬ』 ・・・わたしにとって人生
とは、こうしたものの集まりです。
人生はいくつもの瞬間からできています。・・・忙しい生活で・・そのために場所をあけ、
それらを愛し、本当の意味で生きることを自分に言いきかせる必要があります。
ーー わたしは何年も前に生きることを学びました。とても恐ろしいことがおこり、
そのために人生が変わったのです。・・・・・
わたしが学んだのは、目的地ではなく道中を楽しむこと、そして人生には予行演習は
なく、毎日が本番だということ。
思いわずらうのをやめよう。赤ちゃんの耳の産毛に目をとめよう、太陽を顔にあびて
裏庭で読書をしよう、楽しむことをおぼえよう、不治の病にかかっているつもりで生き
よう。
ーー コニー・アイランドの遊歩道で、最高の教師に出会いました。十二月のことで
す。ホームレスのきびしい生活について書くため、取材していました。・・・
(ホームレスの男性が)毎日をどのようにすごすかを話してくれました。・・・だいたいの
ときは遊歩道でこうして海のほうを向いて座っている、と彼は言いました。寒くなって
読み終わった新聞を着なくちゃならなくなってもね。
なぜ、施設へいかないの?
彼は海の彼方を見つめて答えました。
「見てごらん、おじょうさん、このながめを」
それ以来、彼に言われたことを毎日少しずつでも実行するよう努めています。心して
風景をながめるようにしています。
心をこめてすべてを見てごらん。
そのとおりにして失望したことは、一度もありません。
書店で、『最後だとわかっていたら』と写真月刊誌『フォートコン』を購入し、外に出て空を見る
と夕陽がかなり傾いていたので、車を宜野湾マリーナに走らせた。
夕陽はマリーナに停泊するヨット群の樹立するマストの上で輝いている。護岸の方に女性が
いた。立って夕陽を見ているシルエットを撮りたかったが間に合わず、座っている姿になった。
大気のせいか、夕陽の輝きが強すぎ夕陽の輪郭がではっきりしない。夕陽の近くに露出を合
わすと、今度は全体が暗くなりすぎた。
突堤の方に釣り人が数人いた。突堤の上まで行ったが、夕陽が離れすぎているため釣り人を
シルエットにした構図で撮ることはできなかった。ヨットのシルエットも含めて、宜野湾マリーナ
の場合は、夏から秋にかけての方が夕日や夕焼けを撮るには良いのかも知れない。
小型の船がマリーナを出港していこうとしていたので、夕陽と一緒に撮れる場所まで来るのを
待って撮るが、船が近づく間に夕陽は雲の中に入り込んでしまった。船もヨットではない。雲の
下から出る斜光もあまり美しいかたちではない。期待がしぼむと撮る気もすぼんでしまった。
このマリーナで撮るのは久しぶり。以前に撮った写真もパソコンのどこに保存されているのか
わからなくなっているほど。数年前の写真で見つかったのが、下に載せた夕焼け雲のある写真。
ヨットが出航していくところにうまく出会うことができた。写真はかなり劣化している。
マリーナ近くに住んでいると、このような光景が撮れる機会が多いだろうな、とうらやましくなる。
嘉手納にもヨットの停泊場があるがヨットはごくわずか。米軍関係施設だが、今は自由に出入
りできるようだ。
一度、マリーナの中を散策しながら停泊しているヨットを撮っていたら、守衛に注意された。
プライバシーのことを言われたが、人物が写っている訳でもない。ここに停泊していることを
ヨットの名前から知られたくない人もいるのだろうかと思ったが、どうだろう・・・。難しい。
仕事帰りの人たちが多くなってきた。平日だが黄昏の時間を憩いに海岸に寄る人が多いよう
に思えた。北谷や読谷でも夕暮れ時になると、老若男女問わず、一日の終わりを海岸に出
て海を見ている人たちが多かった。
朝陽の場合、東海岸に住む人たちはどうだろうか? 朝陽の撮影に良い場所を探しながら
高台を散策していたとき、海を見下ろす展望のよい住宅の庭で草取りをしている方に、朝陽は
今の時期はどこの方角から出るのですかと訊ねたら、朝陽を見たことがないのでわからない
と返答されたことがあった。
夕陽と朝陽とは人の心に訴えるものが違うのだろう。
外国には、朝陽を写真に撮る人は少ないというのを何かで読んだことがある。

(追記) 『幸せへの扉』のホーレスの男性の話のところを読み直した。すると、
「写真を撮るのをちょっと止めて 見てごらん このながめを」 とホームレスの
男性から言われた気がした。
そして、これまで写真を撮るのに気を使い、じっと静かに風景を心して眺めたこと
がなかったことに唖然とした。
※ ※ ※ ※
宜野湾マリーナには、入り口に鍵がかかり立ち入り出来ないように金網で囲われている区域
がある。どこから入り込んだのか猫が数匹いた。猫のいる場所は金網内の雑草が生え、雑多
な物が積まれて放置されている場所なので、住みついているのかも知れない。
金網越しに猫は人間を眺め、人間は猫を眺める。
この猫を撮っているときは気づかなかったが、写真で見ると左の耳が切られている。切り口の
形はよくわからないが、不妊手術された「さくら猫」だろうか。
「さくら猫を見かけた場合は優しく接してあげてください」とのインターネットのメッセージを思い
出した。
Posted by 流れる雲 at 23:00│Comments(0)