2019年01月25日
桜が咲いていた(大宜味村)
大宜味村謝名城(じゃなぐすく)集落背後の山を
上がる坂路。片方の側にカンヒサクラの木が十数
本植栽されている。
坂の途中。曲がり角に一本の桜が、春がやって
来たかのようにほぼ満開に咲いていた。
後方に緑の葉を茂らせた木が立っている。その
木の葉の爽やかなな綠に桜の花がひきたてら
れて美しい。
縦構図で二つの木を重ねてみた。
重ねた縦構図はどこか気に入らない。二つを少
だけ重ね横に並べた。この方がいい。
白っぽく写る曇空は目立つので入らないように切
り捨てた。
綠の若葉の木は坂路沿いではなく、土手下の民家
の庭に生えていた。樹高は8~9メートルほどあり
かなり高い木だった。
集落内の古いブロック瓦の民家の側に、桜の枝が
垂れていた。まだ花はついていない。
花が咲くときっと美しい絵が撮れるかも知れない
風景。花が咲いた頃にまた来たいと思う。
曲がり角の一本をのぞき、他の桜の木は花をつ
けていないかごく僅かでちらほらと咲いている程度。
本部町の「八重岳桜まつり」は、1月19日から始
まっているというから、ここ大宜味村の桜の開花は
やや遅い。
高い枝にちらほらと咲いているのを見つけた。
花の色は白っぽい。これからピンクに色づく。
綠の葉がかなり付いている。若葉の色に見える。
この木は早めに咲き、花はもう葉になったのだろ
うか。
坂道をさらに上がると三叉路がある。
三叉路の角にリュウキュウベンケイの鮮やかな黄
色い花が咲いていた。
リュウキュウベンケイは、一週間前に本部町「田空
(でんく)の駅」のあるハンソー公園で見たばかりだ
ったのですぐ分かった。
三叉路は一方は田嘉里の集落へ下り、もう一方
は根謝銘グシク方面へ上がる、そしてさらに大国林道
方面へ続いているようだ。
ことのついでにリュウキュウベンケイの花の写真を
参考に2枚(本部町ハンソー公園で撮影)。
リュウキュウベンケイの花。
密生している光景はツワブキの花と同じように
素晴らしい。
本部町ハンソー公園のリュウキュウベンケイ。
ハンソー公園では、「もとぶリュウキュウベンケイ
ソウ花祭」が行われている。
期間は1月12日~2月3日(日)。
この花は沖縄県では絶滅危惧IA類に指定されてい
るという。
「絶滅危惧IA」とは「ごく近い将来における野生での
絶滅の危険性が極めて高いもの」
なお、リュウキュウベンケイは環境省のカテゴリは
「野生絶滅」の分類という。
根謝銘(ねじゃめ)グシクの近くの坂路から集落方面
を眺望する。手前は謝名城、奥の海側は喜如嘉。
山の道路に入ったのは根謝銘グシクを見たかったか
ら。場所を集落で訊ねたら、すぐそこの山の上、眺望
がいい。5分ほどでいけると教えられた。
ヤンバルの5分は30分以上だった。時間感覚が異な
る。結局、暗くなってきたためグシクのある森へは入ら
ずに引返した。カメラのメモリーも気になった。
ヤンバルの山路では鴉と蝶々はつきもの。
帰りの坂。谷を渡る鴉の啼き声が聞える。寝ぐらへ帰
るのだろう。
山頭火の「からすかあかあ」を思い出す。真似て一句
つくる。風も冷えてきた。
夕暮れて鴉かあかあ寂しくなる
「があがあ」がいいのか「かあかあ」がいいのか?
つまらぬことが気になった。ねぐらの上の空で何匹か
群れて啼きさけんでいる場合は「があがあ」とうるさい。
余談だが、大国林道で空から鴉に糞を落とされたこと
がある。
鴉啼き糞一丁もらう夏の森
鴉は集落内でも数羽見かけた。シークワァサ-の実
を狙って山から下りてきているようだ。
鴉だけでなくイソヒヨドリなどの小鳥もシークワァサー
畑の木の中を飛び交って実を啄んでいた。
鴉も小鳥たちも冬場のビタミンC補給には不足しない。
ビタミンCの多い秋冬の果物は鳥にも人間にも冬を乗
り切る食べ物だ。
シークワァサーを一個、口にくわえて運んでくると、安全
な木の枝の上で皮から中の実を取り出す。
まだ一口目なのだが、その一口を咥えた際に残
りを落としてしまった。これで二度目。
懐メロの鴉は「あほー、あほー」と啼くことを思い
出した。
しかし、心配はない。シークァサー畑には食べき
れないほどある。
シークワァサーをもぎ取って鳥たちのように食べた
いが、良心が邪魔をした。一個くらいなら神も許す
だろうと思いもするが・・・。
喰いたい里は鈴なりのシークワァサー
大宜味村喜如嘉のヒンバー森。
拝所のカンヒサクラ。ピンク色の花が咲き始めて
いた。2分咲きほど。
八重岳や今帰仁城趾の桜風景とは、また違った
風情のある桜が撮れることだろう。この風景を見
るとやはりもう一度満開の花の頃に来たい。
いい撮影スポットを知ると嬉しい。ヤンバルの集
落や野山を歩きまわればいい桜の花の風景が
撮れる場所がもっと見つかるかも知れない。
ヒンバー森は喜如嘉共同店の裏山。拝所がある。
共同店の横から上がる階段がある。99段あるそうだ。
よく見ると階段途中にも桜らしき葉の落ちた木が数本
見える。もしそうならばますますいい絵が撮れそうだ。
拝所には山の裏側からも上れる。裏の方は階段
はない。車で途中まで行ける。
拝所(神屋)の隣にも桜の木があった。何の拝所
かは分からない。
見晴らしがいい。集落全体と海が見渡せる。
喜如嘉に来たら七滝だけでなくヒンバー森も訪れる
べきだと思った。
(追記)
拝所(神屋)のことを図書館で調べた。
『大宜味村史 民俗編』(2018,3)にあった。
「ウンバル(上の集落)とサンバル(下の集落)の火
の神石二組が崇められている。その前の広場で
ウンガミ祭りやその他の行事の催しものが開かれ
る」と記されている。
ヒンバー森から喜如嘉の西の方角を望む。
同じく北の方角を望む。
手前は喜如嘉。左上奥は謝名城。その間に喜如嘉
ターブックヮー。
ターブックヮーは5月頃にオクラレルカの花が咲く。
オクラレルカは、いま40~50センチほどの高さに成
長していた。
歌碑があった。
右の赤いのは古い集落ではよく見かける釣り鐘。
ああ喜如嘉かの山村に生まれなば
少しこの世が楽しくありけむ
歌の作者は「積宝」(せきほう)とある。
石碑の裏には「一九六三年十一月三日建立」
「大山岩蔵書」と記されている。大山岩蔵は喜如嘉
出身だと教えてもらった。
積宝こと池宮城積宝。1993(明治26)~1951
(昭和26)はかなり名の知られた小説家、歌人だ
ったようだ。放浪詩人とも称されていたという。
ムラサキカタバミ。方言名はヤファタ。
ムラサキ(紫)というが、見かけるのはピンク色の
花だけ。紫色の花はまだ見たことがない。
「冬場をのぞき年中開花」している、と図鑑に書いて
ある。今は冬。冬でも咲いている。
また、今年は例年より花が多く咲いているように感
じる。
ヒンバー森裏手の路傍で撮る。
どこでも咲いているきれいな花。よく撮っている。
地面に腹ばいになったりして地面すれすれの低
い位置から撮る。
塩屋湾後方の山。六甲田原展望台近く。
六甲山の山腹から道路(村道六甲線)に突
き出しているカンヒサクラの花。
午前中は背景の岩壁の暗い陰に桜のピンク
の花が目立つ。道路側に下向きに低く倒れて
いるので構図も作りやすい。
今頃は花がもっと開花しているのではないだ
ろうか。
放浪の俳人山頭火のさくらの句を拾ってみた。
いつとなくさくらが咲いて逢うてはわかれ
(山頭火)
六甲田原展望台。見晴らしが素晴らしい。
展望台へは、塩屋湾に沿って走る国道331号線か
ら、屋古の集落を過ぎたあと左に折れて私道を
山に上る。
展望台に二台の車で若者4名がやってきた。
一人の若者が塩屋湾を眺めながら、「いやされる。いや
される」と何度も口に出して言う。案内してきた青年は
夕陽もとてもきれいんだよと仲間に教えている。
遠く本部半島の山の彼方、南シナ海に沈む夕陽は壮大
だ。
すぐ近くに座したイノシシの石像がある。
六甲山の山中には猪垣があることから設置された
のだろう。散策路を利用して山中に入り見ることがで
きるようだ。
石山展望台の通路沿いにカンヒサクラが何本か植栽
されている。その梢の間から近くにある風力発電の巨
大な風車を望むように構図をつくる。
もう少し花が多かったらと思いながら形のいい梢の隙
間を探した。ここもまた来たいとの思が浮ぶ。
石山展望台側から風力発電の風車を望む。
この風車と仏桑花を一緒に撮ることができる山路も別
にある。
石山展望台から東シナ海を望む。海に突出ているの
は国頭村の奥間ビーチの一帯。
大宜味村に桜を撮りに行くならば、
次のようなルートで一日カメラ旅もいい。山には舗装道
路が走っている。
塩屋湾→六甲田原展望台→押川集落→イギミハキン
ゾー展望台→ネクマチジ岳→石山展望台→大保ダム。
展望台が3カ所ある。いずれも海が望める。特に石山
展望台からは国頭方面の海(東シナ海)と東村方面の
海(太平洋)が望める。
いずれの場所もトイレが設置されている。
早朝だと、塩屋湾の面に映る山、砂州の上の建物や
木の影も美しい。
大保ダムの湖面に映える山の樹影も美しい。また周辺
は蝶も多い。
山あいにある小さな押川集落もなかなかいい。他の集
落にない趣がある。いい絵が撮れる。
イギミハキンゾー展望台のある山中にはトレッキングを
楽しめる数キロの散策路がある。
ネクマチジ岳も頂上へ登れる。
ヤンバルの山から開放感のある展望が楽しめるのが
大宜味村の山路歩きのいいところだろう。
小さな春も見つけた。
見上げる桜や空から目を足元にやる。
リュウキュウコスミレがもう咲きだしていた。
嬉しくなる。足元にも春。
山路来て何やらゆかしすみれ草
(芭蕉)
押川集落から川沿いの山路を上がる。イギミハキンゾ
ー展望台前の路傍に可憐な紫色の花のリュウキュウ
コスミレが咲いていた。
芭蕉の『野ざらし紀行』の有名な句を口ずさみたくなる。
山路来てなにやらゆかしすみれ草
旧喜如嘉小学校前(3年ほど前に廃校)で。
身のまわりは日に日に好きな草が咲く
(山頭火)
「いつも歩く道ばたに生えている草。毎日、見ているは
ずなのに、どんな草が生えているのか、何の花が咲い
ていたのか、もし思い出せないとしたら、
『見えているけれど、見ていなかった』のだと思います」
ーー埴 沙萠(はに しゃぼう)『足元の小宇宙』
(NHK出版。2013年)
自分の場合はどうだろうか。草木に関心はあるが好
きな草木だけ見ている。
関心はあっても名を調べる難儀をしない。何という名だ
ろうと気にしただけだ。そして忘れる。見かけるとまたそ
のときだけ気になる。
調べても次ぎに見かけたときは忘れている。強い関心
ではないのだ。
同書には「花が咲いたときだけのつき合い」では、草木
と仲良しになれない。草木に親しみは持てないという
ことも書いてある。
白花のリュウキュウコスミレ。同じ旧喜如嘉小前の路傍。
紫色の花から1メートルほど離れて咲いていた。
やっと咲いて白い花だった (山頭火)
次の二つの句も山頭火。
ほんにしづかな草の生えては咲く
生えて伸びて咲いてゐる幸福
旅から旅へ山路を歩きながら、春の路傍に咲く小さな
草花に心をやり慈しむ山頭火の姿が目に浮ぶ。
締めくくりに桜の花をもう一度。
大宜味村ではなく、他の場所の公園で1月中旬に見か
けた。初春らしい雰囲気がある。
いちりん咲けばまたいちりんのお正月
(山頭火)