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2018年08月04日

アダン

アダン




アダン




アダン




アダン



  お国は?と女は言った
  さて、僕の国はどこなんだか、とにかく僕は煙草に火をつけるんだが、刺青と蛇皮
  線などの聯想を染めて、図案のやうな風俗をしてゐるあの僕の国か!
  ずっとむかふ

      
  ずっとむかふとは? と女が言った
  それはずっとむかふ、日本列島の南端の一寸手前なんだが、頭上に豚をのせる女
  がゐるとか素足で歩くとかいふような、憂鬱な方角を習慣してゐるあの僕の国か!
  南方


  南方とは? と女が言った
  南方、濃藍の海に住んでいるあの常夏の地帯、竜舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤな
  どの植物達が、白い季節を被って寄り添ふてゐるんだが、あれは日本人ではない
  とか日本語は通じるかなどゝ談し合いながら、世間の既成概念達が寄留するあの
  僕の国か?
  亜熱帯


  アネッタイ! と女が言った
  亜熱帯なんだが、僕の女よ、眼の前に見える亜熱帯が見えないのか!

  この僕のやうに、日本語の通じる日本人が、即ち亜熱帯に生まれた僕らなんだと
  僕はおもふんだが、酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのゝ同義語でも眺めるか
  のように、世間の偏見達が眺めるあの僕の国か?
  赤道直下のあの近所



 ーー沖縄が生んだ著名な詩人山之口漠(1903~1963)の「会話」という題の詩で
 ある。獏が女との会話で思い浮べているように阿旦(アダン)は亜熱帯気候の沖縄を
 象徴する植物のひとつ。


 夏はアダンの実が熟れる季節。海岸を歩くと、緑の葉とのコントラストが美しい黄赤
 色に熟したアダンの実が目につく。




アダン

 青空をバックにアダンの実を見上げて撮る。



アダン




アダン




アダン




アダン




アダン

 陽光に透ける四方に拡がった葉の形が面白い。  



アダン



 アダン(阿檀、阿旦)は『琉球神道記』の開闢伝説にも登場する。 

  昔此国未ダ人アラザル時天ヨリ男女二人下キ、男ヲ シネリキュ ト云、女ヲ アマミキ    
  ュト云、二人舎ヲ並ビテ居ス、 此時此嶋尚小ニシテ波ニ漂フ、此ニダシカト云木ヲ
  現シテ殖エ山ノ体トス。次ニシキユト云草ヲ殖ヲ又阿檀ト云木ヲ殖テ漸ク国ノ体トス。


  「昔、この国にまだ人がいなかった時天からシネリキヨとアマミキョという男女二人の
  神が降り来た。この時この島なお小さくして波に漂っていた。そこでダシカという木を
  植えて山を造り、シキュという草を植え、阿檀という木を植てようやく国の形を造った」


  ※ ダシカ=(和名)シマミサオノキ。海洋博公園沖縄郷土村のおもろ植物園に植栽
          されている。
    シキュ=(和名)ススキ。
  
    ダシカとシキュの和名については東南植物園やおもろ植物園の方に教えていた
    だいた。



 『琉球神道記』は袋中上人(1552~1639。浄土宗の僧)によって書かれたもの。
 1603年に琉球に渡来して3年滞在。馬高明という人の請いにより『琉球神道記』を著
 わしている。馬高明とは袋中上人の高弟であったサツマイモでよく知られる儀間真常
 だという。また、浄土宗布教のため念仏踊りを考案。この踊りエイサーの源流と言わ
 れる。
 



アダン



 アダンは古謡にも謡われている。



   あまみちゅが    (アマミチュが) 
   しぬみちゅが    (シヌミチュが)
   しちゃとうたる    (仕立てた)
   ぬらとうたる     (宣立(のだ)てた) 
   
  
   たきねーい     (獄ねーい)
   むいねーい     (森ねーい)
   くぬしま       (この島)
   くぬくねー      (この国は)
   うちくさ        (浮き草)
   ゆいくさる      (寄り草で)
   やゆる       (ある) 


   あまみちゅが    (アマミチュが)
   しるみちゅが    (シルミチュが)
   あらぎういてぃ   (アダン木を植えて)
   なみけーすん   (波を返す)
   びるぎうぃーてぃ  (ビルギを植て)
   すーけーすん    (潮を返す)

  
   くるしうぃーてぃ  (黒石を植て)
   まいしをうぃーてぃ (真石を植て)
   しまとうどみ     (島の留め) 
   くにとうどみ     (国の留め)


   いづみぐち      (泉口を)
   かめーてい      (探して)
   わちぐち       (湧き出口を)  
   とぅめーてぃ      (尋めて)

        
   あかちゃん       (赤土も)  
   ふいんざち       (掘り出して)
   くるんちゃん      (黒土も)
   ないんざち       (成りだして)
   しまんしまなたん   (島も島となった)
   くにんくになたん    (国も国となった)   



 これは座間味村の古謡「たきねーいぬうむい」。
 

 

アダン



 勝連村平安名の島歌謡「三月ぐわいにや」はおおらかだ。アダン林の中で逢引きを
 楽しむ。



   真三郎や 銛(とざ)持て ヘイ     (真三郎は銛(もり)を持って ヘイ)
   まぐさみーや てぃーる持て ヘイ   (マグザミーは籠を持って ヘイ)
   白浜や おりたこと            (白浜に下りたので)
   あだにがきしちゃに            (アダン垣の下に)
   まぐざみーが御裳(すん)はぢて    (マグザミーが御衣を脱いで)
   まくらしち寝なしち             (枕をして寝て) 
   干る潮の潮の満つまでも        (干る潮の満つまでも)  



 毛アシビー(遊び)ではさぞ盛り上がる楽しい歌だったことだろう。



アダン



 民話にも登場する。八重山諸島の民話「木々の由来」。


 八重山の島々を創生した神様はむき出しの岩だけの島々を緑でいっぱいにするため、
 木たちに集合を呼び掛ける。集まった木たちは、誰もがよい場所に住もうと喧嘩をはじ
 めた。そこで集まった順番ごとに神様はそれぞれの木の住む場所と役割を決めたとい
 う内容。


 開闢伝説のアダンは一番最初に集まったかと思ったがそうではなかった。タケ、クバと
 ともに遅れてきている。

  
 最初にやってきたのはフクギ。人間の屋敷を守る役割が与えられた。近衛兵だ。次ぎに
 マツ、クワと続く。
 遅れてやってきたアダンに、神様は「海岸が大波にけずられないように島を守る」ことを
 言い渡し、そのかわり牛や馬に喰われないように棘が与えられたという。
 

 遅れに遅れやってきたのがガジュマル。皆の木の役割も決め終え帰ろうとしていた神
 様は怒り、勝手にせよ「石でも抱いておけ」と言って帰ってしまった。
 それで今でもガジュマルは岩を抱いているという。




アダン





アダン





アダン


 民俗クラブに所属していた先輩が,琉球国時代の三司官蔡温(1682~1761)が
 アダンの植栽を奨励し海岸に農地や集落を包護するように植えさせた。現在、沖縄
 の海岸地域に見られるアダンの帯状の群落はその頃植栽されたものだと教えてく
 れた。川や水路の土手にもアダンを植えさせ土地を防護させたという。
 



アダン
                                         


 古謡に詠まれ歌謡で歌われ民話で語り継がれ、開闢伝説に登場するアダン。島を守り
 続けてきているアダン。実にすごい木なのだ。

 

アダン


 強風に抗して立つ姿が勇者に見えてくる。
  



アダン



 海岸地帯の自然が、戦火や開発などで破壊されず残っている地域では、蔡温時代の
 アダンの群落がまだ見られるが、かなり少なくなったという。

 上と次の写真は名護市豊原の海岸の後背地のアダン林の中の細道。丈の高いアダン
 が生えジャングルを思わせる。



アダン

 高さ2~3mほどもあるめちゃくちゃなほど無数の支柱根。太く枝分かれした樹冠をひろ
 げ横倒れした幹を守ろうと根も懸命だ。5~6mもある幹の中ほどから支柱根が垂れて
 いる。




アダン

  


アダン



 第二次世界大戦。1945年6月。日本兵や沖縄の人々が追い詰められた南部の戦場
 で艦砲や機銃掃射、戦車の攻撃や探索の米歩兵たちからのがれさまよったのも、喜屋
 武や荒崎海岸の岩場や断崖の上に生い茂るアダンのジャングルだった。


 そのアダンのジャングルも米軍の火炎放射で焼き払われていく。 
 生死と隣り合わせの荒崎海岸のアダンのジャングルの戦場の様子は『ひめゆりの塔を
 めぐる人々の手記』(仲宗根政善著)や『ひめゆりの少女~16歳の戦場』(宮城喜久子
 著)で知ることができる。


 現在、沖縄県立博物館・美術館で「追悼・儀間比呂志~沖縄を描き続けた版画家」展
 (7月14日~9月9日)が開催されている。その展示作品の沖縄戦シリーズの一つに、
 米兵が火炎放射器でアダンのジャングルを焼き払う画がある。

 


アダン

 糸満市荒崎の海岸。砂浜の後背地の低い岩場。前面に3mほどの高さのアダンが生
 えているさらにその後方は低い雑木の茂みとなっている。


 ひめゆり部隊の生存者の手記に出てくる海岸一帯に生い茂っていたアダンのジャング
 ルは戦争で一木一草まで消え果て現在のアダン林は戦後に生えてきたものという。現
 在の光景に当時のジャングルの面影はない。



アダン




アダン




アダン

 荒崎の断崖の上のアダン群落。
 ここから西側(写真の左側)の喜屋武にかけては断崖が続く。



  ・・・後方の丘陵一帯に煙が立ち込めているのが見えます。米軍が火炎放射器で焼い
  ているのだと思うと、また新たな恐怖に襲われました。
  急いでアダンの中をかき分け、崖の上に出ました。逃げ道はもうこの断崖を下るほか
  にありません。決心して崖を下りはじめました。


  途中、何度も滑り落ちそうになります。・・・飢えと疲労で弱り果てた体でよくあの断崖の
  の絶壁を下りられたと、不思議でなりません。傷を負った登美子さんとえみさんが、痛
  さをこらえて必死になって下りているのを見ても、手を貸してあげることはできませんで
  した。


  絶壁の下は大きな入り江になっていて、海に向かって大きな口のあいている、あまり奥
  行きのない洞窟に多くの人々がじっと座り込んで天命を待っていました。・・・岩にぴっ
  たり身を寄せてうずくまったまま、だれも口をきく者はいません。垢にまみれ、長い戦場
  生活に疲れ果てた人々の群れでした。


  ・・・目のまえの喜屋武の海に、軍艦が気味悪くずらっと巨体を浮かべていました。正午
  を過ぎた頃でした。アメリカの小型の船がみんなのいるところに寄ってきて、手旗信号
  で何か合図を始めました。避難民の群れの中を、またも恐怖が走りました。
     

  疲れ果てていたにもかかわらず、みんな立ち上がり、崖の下に行くと、われがちに崖を
  よじのぼりはじめました。そしてまた、もとのアダンのジャングルの中に入って行ったの
  です。
  ・・・アダンの茂みに隠れた私たちの耳に、アメリカ軍の船から、スピーカーの声が聞こ
  えてきました。日本語の声でした。

 
  「ハヤクココニコイ。オヨゲルモノハオヨイデコイ。ミナトガワニユケ。ヒルハアルイテモイ
  イガ、ヨルハアルクナ」


  思いもかけなかった。日本語の声は、私たちを地獄へ誘い込む悪魔の声に聞こえま
  した恐ろしさのあまり、耳をおおいましたが、スピーカーの声はガンガンひびくのです。
  ああ、恐ろしい”鬼畜の声”だと思いました。


  アダンのトゲにちくちく刺されながら、そこかしこに横たわっている死体をとびこえとび
  こえふたたびはぐれてしまった仲栄真先生、石川先生の名を呼びながらさがし歩きま
  した。
                      (『ひめゆりの少女~十六歳の戦場』より)

   



  アダンの幹と気根(支柱根)


アダン

 幹の大きさは幅10cm~15cmほど。周りに棘状の突起がある。



アダン

 幹の根元の方から気根が出て垂れる。根元部に限らず幹の状態によって気根は幹
 を支えるのに必要なところから出る。



アダン


 昔は老成した幹は、納屋、畜舎等の掘っ立て小屋や垣根の柱に利用。貧しい者はアダンを
 家の柱にしたという。
 

          
     一、 ザア マチガニヤ (イーハイ)
          バイフナバマレオーリ
         「ヤーラー ムチム チャハイ」


     二、 サア 家デスヤ
          穴掘リ 家ドウタテ


     三、 サア 柱デスヤ
          アザニバラ 柱立テ



 八重山大浜の古謡「マツンガニユンタ」。

 NPO法人いけま福祉支援センターが、池間島で開催した「琉球孤アダンサミット2017」
 で山里節子さんという方が紹介したユンタ。ユンタとは労働歌のこと。
 

 直訳がないので意味はよく分からないが、「昔の家で、ヌキヤーは、柱の下には穴が
 掘ってあるだけでした。これは貧乏な人の家です。唄では、そんな穴掘り家で、しかも
 柱はアダンだった・・・という内容で、それでもがんばって・・・という唄になっています」
 と池間さんは語っている。


 このアダンサミットは『琉球孤アダンサミット2017報告書』という素晴らしい冊子に
 なっている。 この報告書はネットでも公開されている。アダン好きならば読みたい
 報告書である。

 また、報告書の表紙の絵がとてもいい。沖縄タイムスのワラビーで「沖縄おもしろ博
 物学」の連載記事の筆者ゲッチョセンセこと盛口 満先生の絵だという。
 

 「琉球孤アダンサミット」は2018年度も開催されるとのこと。開催地は石垣市だと
 いう。



アダン

 アダンはタコノキ科の常緑の小高木。幹のような太い枝がまばらに分枝し広がる。
 アダンの一般的な樹高は3~6m前後。

 写真のように匍匐性があり、横に匍いまた立ち上がるなどし全長が7~8mほどに
 達しているものも見かける。



アダン

 幹から気根が下り地面に達し支柱根となる。

 

アダン

 琉球石灰岩の岩場。岩の裂け目に気根を食い込ませ根を張り幹を匍わせていく。



アダン




アダン

 崖の上。岩盤の表層土が剥落しても支柱根が縦横に伸び幹を支える。



アダン


 テッポウユリは花は3~5月。アダンのように海岸辺に生える。
 しかし、最近はテッポウユリも見かけなくなった。
 

 写真はうるま市の海岸(ビーチの端)。ここは5mほどの崖の上に毎年テッポウユリの
 花が咲く。冬には崖やその下の砂浜にツワブキの黄色い花が見られる。ツワブキの
 花と打ち寄せる波が一緒に撮れる数少ない場所だ。




アダン

 地面を求めてどこまでも気根は伸びる。現在は1.5mほどの長さ。砂浜の地面
 まではまだある。必要なら地面を求め2mでも3mでも気根を垂れていく。 




アダン





アダン

 地盤の弱い砂浜でも、気根を出して支柱をつくり起き上がり姿勢を立て直す。



アダン
  
 台風で土砂が削り取られ露出した支柱根。




アダン

  
 まるで這って移動していく手足のような支柱根。




アダン

 フレーミングによっては絵になる気根(支柱根)の姿形。




アダン

 気根。

 気根の皮をむいた内部の繊維束はロープ、草草履、かご、もっこなどの生活用具の
 作成に利用された。材質としては地面に達して居らず、写真のように先端に兜をか
 ぶった気根が良いという。


 漢名は「露兜樹」というらしいが、この気根の兜に由来するのだろうか?
 アダンは和名。英名はScrew pine。


 方言名は沢山ある。アザキ、アダニ、アザン、アダシ、アダナギ、アダギ、アダナギ、
 アダナシ、アダシ、アダシギ、アラニ、ウンギ、ンザニなど。(『琉球列島有用樹木志』
 (天野鉄夫)。
 



アダン

  一本の気根の先からさらに数本の気根が生じ岩場の状態を探るかのように伸びる。



アダン





 『琉球孤アダンサミット2017』報告書には、アダンの気根、葉や実を生活に利用した
 ワークショップの様子が丁寧な説明と写真付で詳しく掲載されている。
 



アダン
                                      (うるま市平敷屋の海岸)



アダン
                                       (読谷村渡具地)




アダン
                                    (うるま市浜比嘉島)

 波打ち際に達したときの気根の姿はきっと見事だろう。高さは3mほどある。
 何年要するだろうか。 




アダン





アダン

 15mほどの高さの断崖上に群生している、アダンの一部が崖下に幹が倒れたまま
 身を起こしきれず、枝を張りだし崖下に8mほど伸びている。
  
  

アダン





アダン





  アダンの葉


アダン

 葉は細長く尖り剣形。固く革質。枝の先にらせん状に多数ついている。
 長さは1~1.5mほど。風で中央あたりから折れ曲がっていることが多い。葉の幅
 は3~6cmほどで葉の両縁と裏面の中脈にするどい棘がある。



 アダンの葉はトゲを掻いて、筵(むしろ)、ぞうり、袋、パナマ帽などの材料となった。
 パナマ帽については「読谷村におけるボーシクマー調査概要」(『読谷村立歴史民
 俗資料館紀要(第28号)』(2004年)がかなり詳しい。ボーシクマーとは帽子を編む
 従事者又は編む(組む)作業のこと。

 

       わすた山原のあだん葉のむしろ敷かばいりめしやうれ首里の主の前

  
    これは恩納なべ詠んだ琉歌。「いりめしやうれ」=お座りください。    


 現在、伝統の技を復活させようと努めている沖縄パナマ帽のボーシクマーが1~2
 名いるそうだ。 


 葉は食することもでき新芽の部分を利用するという。
 琉球孤アダンサミット2017の報告書には新芽の天ぷら料理のワークショップの様
 子が載っている。



 『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(仲宗根政善)にアダンの葉が出てくる。


   ーー十二名の生徒をひきつれては、とうてい生き抜くことは望めない。絶望の淵
  に突き落とされ、あお向けになって寝転び、アダン葉の間から空を眺めていた。耳
  もつぶれそうな爆音をたてて、幾度か超低空の飛行機がすぎた。・・・誰一人話か
  けようとする者もいない。”命を救うビラ”と書かれた赤紙が束になって飛行機から
  落ちてきた。
 

  生徒は物めずらしそうに拾ったが、すぐにバリバリ破って捨てた。銃声がいっそう
  激しくなったので、・・・しげみへにげこんだ。タコの足のようにはびこっているアダン
  の中をトゲにさされながら進んだ。あちらこちらで、かくれている兵隊にもあった。


  陽も西にかたむいた。今夜はアダンのしげみの中で明かすことにしよう。海岸へ出
  ると、岩のくぼみに雨水がたまっている、と、兵隊が知らせてくれた。二・三名を水
  汲みにやったら、塩からい水を水筒にいっぱい汲んできた。煙がアダンの上まであ
  がらぬように用心しながら炊事をはじめた。


  四・五名の生徒とアダンのかげから出て岩の上に立っていると、昼間別れた平良
  松四郎兄が一高女の生徒をつれてわれわれの前を通り過ぎた。
 
  「いったい、これからどうするのだ」
  「ここでぐずぐずしてはいけない。今晩中にここを脱出して、糸満方面へ突破する
  のだ。明日はこの一帯は火炎放射器で焼かれる危険がある」
   

  ・・・炊事が終わった。垣花秀子が弁当箱にアダンの若芽を炊いてあった。生徒は
  タマゴ大のおにぎり、一個ずつ、私にはとくに二個渡してくれた。私は素直にその
  好意を受けた・・・その晩はアダン葉をかき集めトゲを下に向けて敷いて休んだ。
 

  今朝、雨で、地べたはしめり、アダンの下葉もぬれていた。・・・・疲労と飢餓の苦
  しみ。あといくばくの命か。ガダルカナルの兵士のジャングル生活を思い続けた。 




アダン

 葉の表側。縁につく無数のするどい鋸のような棘。棘は葉の上(先端)に向いている。
  上から見るとらせん状についた葉が3列になっているのがわかる。 
 



アダン
  
 葉の裏側の中脈の棘。棘は下部は上向き、中央あたりから下向きと上向きが混合
 している。 



 アダンのトゲが詠まれた琉歌(「さっく節」)。


   あだん垣だいんす(アダンガチデンシ)   
   御衣かけて引きゆり(ンスカキティフィチュイ)
   だんすもとべらへや(デンスムトゥビレヤ) 
   手取り引きゅさ(ティトゥティヒチュサ) 

    
   (歌意)
  阿檀の垣でさえ(葉のトゲで)着物を引っかけるくらいだから、別れても、古いつき合
  いの男女は、手で引きとめて、昔語りをするものであるよ。




アダン



 アダンの葉は子どもの玩具にもなる。風車、ウマ、ヘビなど。風車をつくって遊んだ年
 配の方々は多いのではないか。


 風車の作り方を思い出そうとしたがどうしても浮んでこない。市立図書館へ。
 『沖縄わらべ風土記~子どもの遊びとわらべうた~』(琉球新報社編、永山絹恵江著、
 昭和44年)に掲載されていた。


 この本には、子どもの遊び87件、わらべうた(歌詞)28件が収録されている。
 アダンについては、「アダン葉の腕時計」「アダン葉のカジマヤー(風車)」と「アダンの
 ナカグ笛」の3件がある。




アダン

 砂浜で芽を出したアダン。



アダン

 根を掘ってみた。



アダン

 これから大きく成長して島守になる。  



アダン

 防潮・暴風林の中でもアダンの幼木が育っていた。



アダン

 上の写真と同じ場所。少し離れたところでがさがさと葉ずれの音。ヤドカリがいた。


 ヤドカリは臆病だ。少しでも小さな音を立てたり、立ち上がったりするなど気配を感づ
  かせるとすぐに殻の中に閉じこもるか背中を見せて逃げる。




アダン




アダン

 アダンの枯れ葉。池間島では最も重要な焚き物であったという。


  
 
  アダンの実


アダン

 アダンの実。集合果。50個前後~90個前後の核果が集まっている。楕円~球状楕
 円形。大きさは幼児の頭~大人の頭ほどまである。 

 
 完熟した実は癖のある芳香を発する。核果がこぼれ割れた実は芳しい香が風にのっ
 て3~4mほど辺りに広がることもある。マンゴーの香に似ているという人もいる。
 熟しきり毀れると汁がわき出てさらに芳香は強くなる。近くには寄りたくないほど濃厚
 な香りでこれを嫌がる年配の方もいた。
 




アダン




アダン


 黄赤に熟したアダンの実は旧盆の仏前への供え物でもあった。
 

 ウンケー後は、子どもたちが実をぶつけ合わせたりして遊んだという。(『南島俳句
 歳事記』瀬底月城著)



アダン

 アダンの実は1年かけて熟する。  


 

アダン


 恩納村の真栄田岬で見かけたアダンの実。数個の核果が熟し幾つかこぼれ落ちた
 実が甘い香を放っていた。2~3個核果をもぎ取って食べた。核果の根元をサトウキ
 ビのように歯で噛んで汁を吸う。何十年ぶりだろう。遠い昔の懐かしい味と香りが口
 のなかに広がった。この実はかなり大きく核果の数は96個以上あった。大きい実は
 100個近くあると見ていいだろう。
 
 
 完熟した実が芳香を発するといっても、それだけでは香りは漂ってこないので、普通、
 芳香を感じることはまずないだろう。核果が剥落し中身が露出していない場合は鼻を
 ぐっと実に寄せないと香りは感じない。
 


 子供の頃はアダンの核果をよく食べた。甘くうまかった。まずかったという記憶は不
 思議とない。

    
 木から実をもぎ取るときは、アダンの実を両手でつかみ同じ方向に何度も捻っても
 ぎり取る。核果が素手で直接もぎとれないときは、実を固い石や岩などに投げつけ
 てたたき割った。

 

アダン

 熟していないと芳香もなく実も美味しくない。繊維質が多く感じ味気ない。
 


アダン

 熟した集合果の核果をもぎ取ったみずみずしい果軸。
 このまま食べられるが、ひとくちふたくちがせいいっぱい。甘いがとにかく繊維質が
 多く吐き捨てることになるかも・・・。水分補給にはなる。



 『琉球孤アダンサミット2017報告書』から、アダンと昔の暮らしについての池間島
 の年配の方々の話をいくつか拾い出した。


  ーーアダンというのは捨てるところはないよ。薪もやるしね。実(核果。核果のこと
  を池間島ではツガキ」いう)も取ってきて食べるし、中の実(池間島ではこれをバス
  という)はおかずにするし、これがすごくおいしいわけ。煮付けして食べたら。わし
  のお母さんはタコと一緒に炊いて食べていたよ。
 
  生の葉っぱは風車もつくるし、帽子とかもつくってねよく遊んでいたよ。アダンの
  ツガキは捨てないで集めてとっておいて、乾かして、これで魚の頭とかを乾燥さ
  せて(魚を燻製にして)食べておったよ。強く乾燥したら燃えるさ。


  ーーアダンは熟したものをとってきて、子ども達はどこのアダンがおいしいとか、
  どこのものがおいしくないかよくわかっておったよ。


  ーー(アダンの実は)場所によっておいしい・おいしくないがある。みんなわかって
  いたさね。これしかおやつはないからね。一口ずつ食べ比べしたりして。熟してか
  らが食べられる。あんまり熟したら中もだめさね。実が下に落ちるさ。


  ーーバス(アダンの中実)は煮つけて食べるけど、子どもの頃はそのままも食べた。
  ツガキをもぐと、根元のところに甘いところがあるからそれをしゃぶって捨てて、中
  にバスがあるから、実の柄をつかんで今度はバスを 食べて。要領のいい人は、
  実のほうだけツガキをもがずに残しておくと、その先と柄のところを両方もって、
  トウモロコシを食べるみたいに、バスを食べれるわけ。
 

  ーー(アダンに石アダンと水アダンという違いがあるが・・という質問に対し)知って
  いる。石アダンはツガキがつまっているけど、水アダンはツガキの間がひらいてい
  て、ひとつひとつ、もぎやすいよ。   
    

  
 話を記していると、小学生の頃、核果でアダン筆をつくったことを思い出した。また、
 気根ではコマの横を叩いて回転させるムチをつくった。  




アダン


 「蝙蝠の喰い散らしたる阿檀の実」(沢木欣一)という俳句があるが、蝙蝠がやった
 のだろうか? 甘い下部のほうでなく核果の堅い皮の上部がかじられている。
 堅すぎてあきらめたのか?



アダン

 熟して自然に核果が外れて落ちている。実の中もぼろぼろになりごっそり抜け落
 ちている。


     阿檀の実赤きが弾け終戦日     (西銘順二郎)
     
 


アダン

  芳しい香りが風に乗ってかすかに漂ってきた。核果が落ちた黄赤の実が葉陰に
  見えた。強い潮風で核果の頭部分はかなり傷み黒ずんでいる。
  1個もぎ取り囓る。甘かった。もう1個、そしてもう1個・・と4個ほどになる。

    
           

アダン





アダン




アダン



     阿檀の実はじけ浜蟹たかりゐる    (西銘順二郎)  



アダン


 核果は乾燥したものは焚き物になる。


 木が少ない池間島では昔から枯れて乾燥したアダンの葉、乾燥した核果、柔らか
 くくねくね曲がっているアダン(これを水アダンというそうだ)はまき代わりの重要な
 焚き物だったという。


 なお、柔らかい水アダンに対し、堅くまっすぐに伸びて生えるアダンを石アダン」と
 呼んで区別していたという。石アダンは家の柱に利用。この柱から春に新芽が出
 るということもあった。(アダンサミット報告書)


 与那国の昔の写真を展示会で見た。屋敷の庭木にアダン(石アダン)が植栽され
 ていた。




  アダンの花

アダン

 アダンは雌雄異株。手前の赤い実がついているのが雌株。奥の方の白いもの
 が垂れているのが雄株。白い物は雄花である。。



アダン

 左が雌株。右が雄株。



アダン

 雄花。



アダン

 雄花に群れているのはミツバチがほとんど。




アダン




アダン




アダン




アダン

  


アダン

 柄が朽ち散り落ちた雄花。


 次は雌の花。



アダン

 雌花。
 花と呼んでいいのかどうか自信がない。雌の木の葉の先端の方をトゲにさされなが
 ら開いてみたが、他の木々での花からイメージするようなものは何もない。

 それにしてもこの姿形を見ると、受粉はどのようにして行われるのだろうかと不思議
 になる。雄花を手に持ってふると、無数の花粉が風にのって飛び散った。ひょっとし
 たら風媒花?・・・・・。



アダン


 高い位置に咲いている場合、遠目では初期の雄花と区別しにくい。雄花の場合は
 上に向いていてもやがて傾いて垂れる。



アダン





アダン





アダン



  

アダン




  

  アダンを撮る   
 

アダン
                                      (伊計島シキマバマ)            


     おなじ木に熟も未熟も阿旦の実    (新 桐子)



アダン
                                      (伊計島シキマバマ)  



アダン
                                       (糸満市荒崎海岸)



アダン
                                      (恩納村アメリカビーチ)



アダン
                                     (恩納村アメリカビーチ)         



アダン
                                      (うるま市海中道路)




アダン





アダン
                                        (名護市久志)    
 



 縦構図でアダンの実を海を背景に撮るときは、日本画家田中一村のアダン画
 「アダンの木」が脳裏に浮んでくる。
 一村の「アダンの木」のような風景を探して幾つかの海岸を歩いたがまだ見つけ
 ていない。


 一村は「アダンの木」の画は最後まで手元に残し、また、最後までとうとうサインを
 入れることなく亡くなったという。


 一村には「海辺のアダン」という題の作品もある。このほうが好きだ。

 


アダン




アダン




アダン
                                          )
 人工の護岸があるので撮る気はあまりなかったが・・・・眺めていると何故か懐かし
 い風景のように思えてきた。(宜野座村惣慶) 




 アダンを詠んだ俳句はかなりある。情景が目に浮ぶ句を拾う。

 

    阿旦の実熟るるほめきや浜の昼   (山口きけい)
 

    阿檀の実潮の香ふくみ熟れにけり  (大嶺春蘭)


    阿檀の実海の夕陽を吸い尽くし    (屋嘉部奈江) 

 
 
 漁師の死を詠んだかなしい句もある。


    実アダンの渚に紅く漁師逝く      (伊島 巌)




アダン



    

アダン
                                      (伊計島シキナバマ)                 




アダン





アダン

 くねくねと入り乱れたアダンの幹がなんとも面白い。これは気に入っている一枚。




 
  伊計島東海岸のシキナバマのアダン

 
アダン

 シキナバマの後背の防潮・防風林の中央あたり。7月中頃には多くのアダンの実が
 熟する。

 
 アダンの実をいろいろな角度から撮る。陽も雲も時刻は10時~12時頃が良い。
 東海岸なので午後は逆光になる。




アダン




アダン




アダン

 6月下旬から実は黄赤に熟した。白雲の飛ぶ青空をバックにすると映える。
 東側の海岸なので太陽の時刻は10時頃から12時頃までだと逆光にならない。 


アダン

 白く細かいシキナハマの砂に葉陰が夏らしい美しい影をつくる。
  


アダン




アダン




アダン




アダン




アダン




アダン




アダン




アダン




アダン




アダン





 アダン葉と夕日 


アダン





アダン





  
  アダンの実の静物のある風景

  静物のある風景画のことをふと思い出し、アダンの実の「静物」と海岸風景を撮った。


アダン




アダン




アダン

 


アダン




アダン




アダン



 ここまでは名護市久志~豊原の海岸。ここは変化のある美しい海岸である。
 以下は糸満市の荒崎海岸。



アダン




アダン




アダン




アダン





アダン




アダン

 白く波飛沫が立った。それをバックに撮る。


 「アダンの静物のある風景」ーー やりはじめたら楽しく夢中になる。



 
  アダンの写真を絵画風に編集してみた

  便利になった。絵画作品が素人でも簡単につくれる。絵画風に仕立てる編集
 機能がカメラの中にある。説明書を見ながら操作すればたちまち出来上がる。
 専用ソフトもあるという。


アダン




アダン





  アダンのことではないが

  アダンを撮るため行った名護市の久志~豊原海岸線は素晴らしかった。
  今回で3度目か4度目になるがこれまでのうちで最もいい光景が撮れた。満潮の時
  には、また、ちがう美しさになるだろうなあ・・・と期待が膨らむ。

  開発されていない自然の残った久志~豊原海岸線。静かで美しい砂浜(ビーチ)もある。
  写真を撮る者はモクマオウの根の奇形の美しさにも心とらわれてしまうかも知れない。
  

アダン




アダン





アダン





アダン





アダン





アダン




    
アダン
   



アダン
  


   
  イソチドリが鳴く。もう去るときだ。



 



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Posted by 流れる雲 at 07:00│Comments(0)風景樹木
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