2018年03月18日
東村つつじ祭り
東村民の森つつじ園はつつじ祭りの最中。
2018年度の祭り期間(イベントのある期間)は3月2日(金)~3月21日(水)。
花見の期間は3月25日(日)までとなっている。
期間が終了すると入園はできないという。
先週行ったとき開花状況は4分咲きほど。1週間ほどして再び訪れた。
写真でよく見るメインの場所のツツジは今が見ごろと満開に咲き誇って
いる。
つつじ園正面の丘
丘全体を色とりどりのつつじの花が埋める。
丘に向かって斜め右側。ここは紅い花が鮮やかだ。
立ったままの姿勢は斜面の土が写る。中腰の低いアングルで撮る。
丘の左側。向かって中央から左側斜面はピンクや白い花のツツジが多い。
正面のツツジの丘に、いざカメラを向けて撮るとなるとどのような絵にするか構図つ
くりに悩む。そのままでは単調で面白くない。低い位置から見上げるようにしていい
角度を探すが、低くすぎると上の方のツツジは見えなくなってしまう。
全体を大きく入れてスケール感を出そうと広角で撮る。花が変形し美しさが崩れる。
広角はここでは適していないようだ。
丘の縁沿いには幾つかの大きな石が配置されている。これらの石を山や庭石に
見立てて構図をつくる。
露出は白いツツジの花に合わせないと「白飛び」(明るさオーバー)する。
スケール感が出た。
つつじ園のツツジは約5万本。8種類。ケラマツツジと平戸ツツジが最も多いという。
山水画の山をイメージして岩を大きく空に突き出す。
咲いたばかりのみずみずしい白いツツジの花は清楚さを感じさせる。
白い花のツツジの花言葉が「初恋」というのもうなづける。ちなみに紅い花の
ツツジの花言葉は「恋の喜び」。ツツジの花全体としての花言葉は「節度・慎み」。
ミツバチが吸蜜に一生懸命。底が深いのか手間取っているようだ。
ツツジはミツバチが嫌いなのかも知れない。
ケラマツツジかと思ったが、色がピンクっぽい。ちがうようだ。
山路で見かける自生したツツジの光景を思わせ風情がある。
自然な形の岩の上に落ちた葉影が気に入った。
まだ蕾を多くつけたツツジもある。
気にいった一枚。
昭和51年(1976年)4月1日、東村はツツジの花を「村の花」として選定している。
ツツジを市町村の花として選定しているのは、沖縄県では東村の他に、
石垣市(サキシマツツジ)、宜野座村、伊平屋村(トウサツキ)、渡嘉敷村(ケラマツツジ)、
久米島町(クメジマツツジ)そして伊是名村(トウサツキ)である。
東側の東屋
つつじ園の中心の丘には東屋が2カ所ある。この二つの東屋のある丘の斜面全体に
ツツジが植栽されつつじ園の中心となっている。植栽の裾はさらに拡げられ他の山へ
も拡張されている。
南(海)側の斜面。
南側の斜面全体にツツジの花が咲き誇っている。
さらに遠くから。全景にツツジの花を大きく取り入れた絵にする。
屋台通り。
花園の華やか光景はもう少し高い位置から俯瞰して撮らないとその素晴ら
しさを伝えることはできない。
北側の斜面。
正面丘の右手。見学路を行く。左は東屋方面。右はつつじ橋を渡り向かいの丘へ。
まずどこから行こうか右か左かと橋のたもとで迷う。つつじ橋は思案橋でもある。
左側から上がってくる見学路はつつじ園の入り口から続いている。
東屋からは遠く山や海の景色が望める。しかし、丘の斜面の素晴らし
い花の景観を眺望するのはややむつかしい。花を眺めるというより
しばしの休憩をする場所。子ども連れの夫婦に了解を得て撮る。
東屋の北側。谷間に架かる橋(つつじ橋)が見える。谷には川が流れている。
橋を渡った見学路は谷へと降り、谷から西側の東屋付近へ至る。
東屋に上る途中にあるツツジ。花咲く樹冠に覆われた山の峰をイメージした。
霞が薄れ一段と明るくなった空と白雲を背景にするといい絵が撮れた。
同じツツジと岩を構図を少しだけ変えて、先のようにとがった積雲と組み合わせた。
「詩人のもとを訪れるのは言葉ではなく『心象風景』である」という。風景や草花を
写しとる者にも心象風景は大切だと思う。
ツツジの花の海と山。枯山水で有名な京都龍安寺の石庭を思い浮かべる。
谷の反対側の山から見た東側の東屋。
西側の東屋
西側の東屋の丘には大きな松の木と落葉したデイゴなど。その下につつじ園の
礎を築いた元村長の胸像が設置されている。
南側の斜面は多くの株の花が咲き乱れている。斜面の傾斜は約40度前後。
左下に屋台のテントが見える。
東側と西側の東屋をつなぐ見学路。見学路は広く整備されている。
東側から西側の東屋を撮る。北側は総じてツツジの成長や開花は遅いようだ。
写真の坂道は谷川の方から昇ってくる見学路である。
谷から坂を昇ってくる途中に見える西の東屋。
西の東屋前。低い位置から数種の色の花の樹冠が撮れた。
つつじ園の創設に尽力した元村長宮里松次(まつじ)の胸像。
銅像の台に嵌め込まれた碑文。
昭和50年から5カ年かけてつつじ園を整備したことが記されている。
宮里松次先生詠歌の石碑。展望台の入口に設置されている。
山やまに咲きほこりおるつつじ花
幾代久しくとどめおかなむ
見るべきものはなかったであろう荒れた丘に、リーダー力と情熱で素晴ら
しいツツジの花のやすらぎの園をもたらした偉人に敬意を表したい。
東村平良出身。大正7年(1918年)7月生れ。昭和58年(1983年)2月
25日に宮里松次先生はその生涯を閉じている。
碑文を読みながら、ジャン・ジオンの『木を植えた男』を思い浮かべた。この
本は絵本にもなっている。絵も文も素晴らしい感動的な手元に置いておき
たい絵本である。
その絵本の第1ページは次の文で始まる。
人々のことを広く深く思いやる、優れた人格者の行いは、長い年つき
をかけて見定めて、はじめてそれと知られるもの。
名誉も報酬ももとめない。まことにおくゆかしいその行いは、いつか必
ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、のちの世の人びとにあま
ねく恵みをほどこすもの。
(絵本『木を植えた男』ジャン・ジオン原作/フレデリック・バック絵/
寺岡 襄(たかし)訳、あすなろ書房)
花越しに平良湾を望む。岬の山は霞でくすんでいる。
東屋前から花越しの海や西方の光景を何枚か撮った。
朱い瓦屋根の建物は東村役場。
ツツジはヤンバルの赤土でよく育つようだ。土のちがう中南部では鉢植えにする。
成長につれ大きな鉢に取り換る。そのとき根まわりを切り取り植えるといいと祭り
の出店の方が教えてくれた。
質問し話は聞いたが苗木は買わなかったので少々心苦しい気持ちで礼をいう。
見学客が通るのを待って撮る。この場所は通行人がいないと写真では曲道になって
いることがわかりにくい。雨の日に色のついた傘の通行人が通ると風情のあるいい
絵になる場所である。
去年訪れたツツジ祭りは雨の日だった。こぬか雨のつつじ園もいい絵になる。雨の
長崎が歌になるのと同じように・・・。
花園の中で
東屋前のツツジの花園の小径に入る。花満開の背丈より高いツツジに囲ま
れる。花の間を進むと一瞬かすかに花の香りがただよう気がした。
重なる花の山間を進むと遠くに黒い山脈の肌が見える。
この山脈は見学路脇の立岩。遠くから見上げるとまるで山脈になる。
分け入っても分け入っても花また花の園。
山頭火の「分け入っても分け入っても青き山」の歌が浮かぶ。
七重八重に花山が重なる。
なんという名だろう。羽のあるアリに似た昆虫が花びらにとまっていた。
世を捨ててひと日は居たいつつじ園
西側の東屋から谷側の斜面を撮る
西の東屋の谷側の斜面もツツジの花が満開。
ここは斜面中腹の見学路から下は緩やかに傾斜している。このため裾が広がり
東屋から見下ろすように満開のツツジの光景が撮れる。
みごとに落葉した樹木はデイゴ。張り出した枝や幹が寒々しいが手前にツツジの
花を大きく配置すると明るい絵になった。
上と同じ場所。少し横に移動し手前を濃いピンク色の花にした。
見学路を歩きながら
見学路を歩き撮りする。
谷に架かる大橋を渡り→谷向こうのツツジの花が咲く地帯を抜け→桜並木の坂道を
谷に降る→谷の小川→橋を渡り→坂を昇る→西の東屋の丘をぐるっと周り→屋台の
ある区域 →正面広場。
車いすに載った見学客も多かった。息子さんだろうか若い男性が押す車いすの見学客
が通り過ぎていった(写真右上)。昨年亡くなった母のことを思い出した。
風速(かざはや)の 美保(みほ)の浦みの 白つつじ
見れどもさぶし 亡き人思へば
(万葉集 巻3ー424)
ツツジの花壁の道。100メートルほど続く。
小さな東屋もある。つつじ橋を渡ったすぐの丘の上にある。
ツツジの後方の林の中を谷へ坂道を降る。
谷までは30~40メートルの距離。
見学路の右側に桜の並木が続く。ツツジの花は見当たらない。
そのためだろうか引返す見学客もいる。写真の後ろ姿の二人連れも少しして引返
してきた。
サクランボが朱く熟し始めている。実を食べてみた。まだ酸っぱい。
朱く熟したさくらんぼの桜も美しい。ついうっかりし撮る時期を逸してしまうことが多い。
(2017、4、29 那覇市内)
サクランボや桑の実を採って食べる子どもたちは全く見かけなくなった。
桑の木に登り口の周囲を紫にして実を食べた昔が懐かしい。
川の上に設置された遊歩道。ヒカゲヘゴが遊歩道にせり出している。
沖縄らしさを感じる光景だ。
この沢の水だまりまで遊歩道が設置され小さな東屋がある。
岩盤の上を流れ落ちる沢の水。上の写真では角度の関係でわかりにくいが近寄る
と絵心を楽しませるほどの水流はある。
ツツジの花がひとつよどみに浮いていた。
辺りを探すと水だまりに浮んだ幾つかのピンクや白い花びらを見た。
丘の上で華やかに咲くツツジの花のこれもまた真実。
櫻ばな いのち一ぱいに 咲くからに
生命をかけて わが眺めたり (岡本かの子)
もっと前にこの歌を知っていたら花を見る心のありようもまた変っていただろう。
岡本かの子。明治22年(1889年)3月~1939年2月。小説家、歌人、仏教
研究家。芸術家岡本太郎(1970年大阪万博の「太陽の塔」で有名)の母。
次の歌もある。
年々に わが悲しみは 深くして
いよよ華やぐ いのちなり (岡本かの子)
川の水量は少なかった。この辺り流れはほとんどない。
川の奥の方を撮る。傾いた大きな竹が川面におおい被さっていた。
川辺に立つ木の幹にからむツタ草。ツタは幹を上まで登り枝まで広がっていた。
谷底の橋から川辺のヒカゲヘゴなどを見やっている見学客。
紅いツツジの花、松、そしてヒカゲヘゴ。
谷の登り降りは丘の上とはひと味ちがう静かな見学路。
谷のツツジは自然な姿で成長していた。
谷底の橋を坂の上から見下ろす。
谷から昇る見学路。
西側の東屋の北側。デイゴの下方に見えるつつじ園はかなり広く、そこで撮った
ツツジが次に掲載した写真(6枚)。
円筒形の同じ姿で並んだツツジは整然とした西洋の庭を思い出させる。
5~6本ほど一列に並び目を引いた。
ここの場所は土地が平坦であることや花園の中の道が比較的大きくて歩き易いこ
とから中へ入り花の間を歩いたり記念写真を撮る見学客もかなりいた。
ひまわり畑のように花の間を歩き回れるこの区域はこれから人気スポットになるか
も知れない。子供たちや車いすの方々には特に人気がでるだろう。
斜面中腹の見学路から眺める花園。東屋から見たよりも広がりがある。
これは「議会の森」区域のツツジ。
議会と同じく「議会の森」も丘の裾の最も低い位置にあり園を支えているかのようだ。
つつじ園には議会の森のほかに青少年の森、青年の森、婦人の森、老人会の森
の区域がある。これはつつじ園開初当時に各団体の分担区域を分けて奉仕活動
で整備したことに由来するという。
なお、現在でもつつじ祭りに向けて村民のボランテイァ活動があるという。
写真上に見える屋根は東屋。
紅い花はケラマツツジだろうか。紅い色の花が多いと緑の葉が黄緑っぽくなって
しまう。
午後すぎると青空になった。白い雲がわき立ち流れる。
空を広く取り入れた絵にした。
変りやすい春の空。雲も形を変えながら流れる。空の大きさを変えながら絵を作る。
花を眺め歩く。雲を眺め歩く。心だけでなく腹も満たされる。
手前はデイゴ。右手の奥はガジュマル。
ガジュマルの樹陰の向こうは拡張されたツツジ園。花は少ない。
上の場所を反対側から見る。
ガジュマルの木の下の方。ツツジが高く成長している。
このツツジの後方が次の写真である。
西側の裾に広がっていくつつじ園。まだ一般の見学コースではないようだ。
写真中央の丘は東屋のある丘。丘の左手の濃い緑は先ほどのガジュマルの葉
の茂み。
見学路はやがて屋台が数件並んでいる南側の区域に出る。
写真左上に見えるのは東側の東屋。
反対側から見た屋台区域。
右側の階段は丘の上の見学路に出る。
屋台のある見学路から見上げるように斜面のツツジを撮る。下の3枚も同じ。
イベント広場近く。
イベント広場正面の丘を斜め下から大きな山のような情景になるように撮る。
つつじ園正面のイベント広場。
イベントの一コマ(3月10日)。
RBCRadio 上原直彦の「民謡で今日(ちゅう)拝(うが)なびら」の
公開生放送が行われていた。