2019年07月09日 19:00
読谷村残波岬宇座浜のイノー沖。
風に波頭の白い飛沫を飛ばし荒波が押
し寄せる。
大潮の時は沖の岩の近くまで潮干狩り
をしている姿を見かける場所。
潮の流れが早く、風が立つ荒れた日は
高波が起こる。
とても歩きにくく立ちにくい岩場を左右に
移動しながら撮影場所を探し、シャッター
に人差し指を添えいい波を待つ。
運がよければいい絵が撮れる。撮れな
ければ、小さな島おきなわ、また来れば
よい、と自らを慰める。
海の短歌と俳句を一つづつ。
海見れば心なごめり
荒(すさみ)みゆく春の名残
煙草など吸ひぬ
(大城吉秀)
海をまへに果てもない旅のほこりを払う
(山頭火)
戻り梅雨がぐずついているが、蝉が朝か
らせわしく鳴いているのを聞くとなぜか嬉
しい。本格的な夏の到来だという気持ち
になる。
今年の春~初夏は、特にグラジオラスの
花が咲き誇っていた残波岬。断崖の上に
海を背景にグラジオラスの花が咲く風景
が見れる場所はほかにはないだろう。
それだけに今年はよかった。花が枯れる
前に撮れた。タイミングだけの問題では
なく天候にも左右される。今年は、10本
前後のうち、何本かの花がまだ鮮やかに
咲いていた。
断崖のその場所に、今はもうグラジオラス
はない。わかっているが柵の上から眺めて
見る。綠の草が生い茂って風に揺れてい
るだけだった。
薊の花は、グラジオラスやユリの花の数月
前から咲くが、今年は潮枯れし花も葉も黒
ずんだものが多かった。
断崖のグラジオラスを撮った同じ日。どうに
か岬の奥の方の断崖の上に白い花を咲か
せた薊を見つけた。
荒波の風景だけでは寂しい。咲き終わっ
た花の写真を懐かしく眺めて来年を想う。
「人の手になるものは時として醜いが、
自然には醜いものはない。すべてが美
しい。この単純な事実になぜ人は気が
つかないのか。
醜いというのは結局のところ、自分たち
が作りだしたものに対する自己嫌悪で
はないか。
自然は砂の一粒、葉の一枚から大陸を
縦断する山脈まで、銀河系の全体まで、
すべて美しい。・・・自然はそれ自体が
祝福である。」(池澤夏樹)
(補追)
「残波岬の波」のシリーズは(16)以後については、
新改装の『カメラと沖縄を歩く』で掲載しています。
→「 https://sekiun2019.ti-da.net/ 」