2018年04月07日 23:00
しかし、アザミには倍賞美津子が歌う素晴らしい『あざみの歌』がある。
あざみの歌
(作詩:横井 弘、作曲:八洲秀章)
山には山の 愁(うれ)いあり
海には海の 悲しみ
ましてこころの 花ぞのに
咲きしあざみの 花ならば
高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い
いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径は 涯てなくも
かおれよせめて わが胸に
シマアザミはトカラ列島以南の琉球各島が生育地の固有種。根を食用すると『琉球の植物』
(初島住彦・中島邦雄共著、講談社、昭54)に記されている。
沖縄にはイリオモテアザミもありシマアザミと同属。花は紫。久米島、宮古。八重山、西表、
与那国に分布しているという。
シマアザミの花は白。たまに淡い紫色の花もまれに見かける。
吸蜜にミツバチがやってきた。
ふれてみてあざみの花のやさしさよ (星原立子)
花はやわらかくやさしい。句のとおりだ。香りもまろやか。
ミツバチはそのことを知っている。どんどん頭を花のなかに突っ込み吸蜜する。
尻を見せ夢中で吸蜜する。
シマアザミの場合、花の周りを飛んでいるミツバチを撮るのは意外と容易。ピントが
合いやすい。花の大きさがミツバチが飛ぶのを小範囲にしているためかも知れない。
最も濃い「淡い紫色」の花を咲かせていたシマアザミ。頭にも足にも花粉をつけた働き
者のミツバチがやってきた。
蝶は吸い口が長い。ミツバチのように頭を突っ込まなくても蜜は手に入る。
忘れねばならぬ旅きて野のあざみ (稲垣きくの)
ヒルサキツキミソウ
ヒルサキツキミソウも今の時期は満開。
美しく咲いた薄いピンク色の可憐な花。だが咲いた周りの環境が雑然とした駐車場
や道路脇なので観光客も気に留めないで通り過ぎる。
絵のイメージをつくり角度を工夫して撮った。
春の陽に輝きそよ風に花や穂がたのしそうにゆれる。
低く身をかがめ灯台を入れた構図をつくった。
広い春の野のようになった。木立の彼方はとおく高原に続くと想像する。
この絵なら汽車のない沖縄だが萩原朔太郎の詩を寄せてもいいだろう。
旅 上 (萩原朔太郎)
ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもわむ
五月の朝のしののめ
うら若草もえいづる心まかせに
夕陽を撮るため構図のいい場所を探していると画架を立て絵を描いている
外国人を見かけた。
断崖と遠くに見える北部の山並みをハガキ大くらいの用紙に水彩ではなく油絵具で
描いていた。色は白、茶などごくわずかな数。青、緑は全く使用していなかった。
絵を公開している自身のホームページのアドレスを教えてくれた。
二羽のイソヒヨドリ。
芝の上でバタバタともつれ騒いだあと右と左とに別れ飛び去った。
あきらめきれないのか?遠く飛び去った相手を見ようとしきりに首をのばす。
人の世は出会いと別れの春。鳥たちには恋の季節。
断崖の下。飛ぶのに倦いたかサギがねぐらに帰る。
あたりは「潮吹き穴」に通じる洞穴のあるあたり。
残波岬灯台を撮る
残波岬灯台は昭和48年に建設着工。翌年(1974年)3月30日に完成し初点灯。
当時は岬一帯は米軍の「実弾射撃場の立ち入り禁止区域。他の建設工事にはない
苦労があったという。残波岬灯台の高さは約31メートル。南西諸島では最も高い。
(灯台内でいただいたパンプレットから)
残波岬の魅力は、変らぬものは2キロ近く続く断崖絶壁と白い灯台。
常に変り通い続けさせるものは波濤に雲そして夕焼け。
陽が傾き斜光がクサトベラの葉を照らす。
岩場の低いアングルから灯台を撮る。
灯台を主役に幾とおりものダイナミックな構図の絵が撮れる残波岬は素晴
らしい絶景地だとつくづく思う。
夕陽が沈んでいく。水平線に横たわる雲に今しも隠れてしまいそうだ。
急ぎ灯台と釣り人をシルエットに撮った。カメラは「夕焼け」モードにした。
断崖の上で三本の釣竿を海に仕掛け、釣り人は今日は一晩中釣りをする
そうだ。
一日一生なりと言われし言葉心に秘めて今日も過ごせり (原田道雄)
原田道雄は国頭出身の盲目の歌人。歌集に『海鳴』がある。明治44年出生。
昭和17年愛楽園に入園。園で生きた日々の短歌を多く詠んでいる。