残波岬の波(10)

流れる雲

2018年04月07日 23:00




  ザンパビーチ。4日の大潮のイノー。干瀬の上を青空が広がった。
  ビーチ突堤先の海中になぜか赤青の対の風船の浮き標識。海の自然と風船との
  コントラストが面白かった。

  こんな光景をみたら金子みすずなら詠うだろう。

       あんなに青い 青い青空
       こんなに清んだ 清んだ海。
       ふたりふたり じっとじっとして
       波の優しさにふれるのは 
       どんなにどんなに いい気持ち。 






  いつの間にか雲が大きく広がっていた。ゆっくりと北へ流れながら形をくずしていく。
 

  環礁の真ん中に鎮座しイノーを護るシーサー岩の辺りも2週間前の「二月風廻り」
  (ニンガチカジマーイ=旧2月の大しけ))の荒れがうそのようにとても平穏だ。
 

   
  2月風廻りで荒れたイノー沖の光景(3月27日)。


  

  オートバイで一日旅をしていた青年と海岸で出会った。雑談をしている
  とシーサー岩の方に波飛沫が高く舞あがるのが見えた。  


  

  オートバイ乗りの青年は海岸に生えるアダンの実をパイナップルという。
  本土出身かと尋ねると浦添だという。  



  

 

  

  イノー沖シーサー岩の波濤。


  



  
  
  雲間からスポットライトのように陽の光が射した。


   
  「2月風廻り」(方言ニンガチガジマーイ)には三つのパターンがあると比嘉朝進
  著の『沖縄の歳事記』に書いてある。
  
  その1 三月中頃から彼岸明けまで続くもの
  その2 七日頃から一週間続いて中休みがあり、中間から彼岸明けまでの2回
  その3 冬のように周期的に変わり。2月風回りのない年 
  
  「あまり前兆がなく弱い南風のとき急に北風が強くなるので漁師は警戒する。
  〈冬の南風は雨。隣回りするな〉とか〈冬の南風は鬼〉といわれているのは、一日
  の間に南風が瞬間的に北風に変わり、また急変するから恐ろしいという意味」と
  もある。
 
  今年はその1のパターン。

  その2月風廻りが去った休日ののどかな春の海の大潮。 




  海岸の砂浜を歩きながらふと振り向くといい風景があった。
  海岸の後背の低い丘に並らぶ落葉樹。そして空には白雲。眼は喜び踊る。



  磯の匂いのするサーフベンチに下り浅瀬の岸に寄せる波を撮った。

  この数日後にも青空が広がったので再び訪ねた。冒頭のイノーはこの時に撮ったもの。
 




  引き潮で海底は浅い。波が逆巻くと海中の岩床が見えて美しい。海に入らずに
  サーフベンチ上から撮れた。







































   
  サーフベンチとは荒波によって削られ平均海面よりも高い位置に形成された平
  らな岩床面の地形呼称。残波岬の他に糸満市の荒崎海岸がよく知られている。
  

   残波岬のサーフベンチ




  サーフベンチ。奥の白波がたっているところはザンパビーチのイノ-沖。




 
  波に浸食され鋸の歯状になったサーフベンチ。
  大潮の日、引き潮時の礁縁で釣りや貝採りをしている人々。膝近くまでつかり採って
  いるのはサザエ。


  

  子どもの頃、硬い蓋をビー玉のように指で弾いて当てる遊びをした。  



  

  サザエの殻は大型のやどかりの住居になる。


  





 
  イノーに寄せるさざ波で海の面はゆれうごくが底は見える。しかし慣れた目でないと
  サザエを見つけるのは難しい。 

  少年の頃、海水浴しながらサザエをよく採った。たき火であぶり殻を割って中身を取
  り出し、潮で洗って口に入れる。





  サーフベンチ。波のベンチとはしゃれた名前だ。





  灯台のすぐ下のサーフベンチ。





  上と同じ場所の後方。奥は岬の先端。






  灯台の方からはサーフベンチの一部が見える。
  観光客や一般の人たちが普通眼にするのはこのカ所だけ。





  琉球石灰岩のごつごつした岩場が灯台側から西に広がる。
  サーフベンチの全体は灯台側からもビーチ側からも見えない。ひょっとすると灯台の
  上に昇ると全体を眺めることが出来るかも知れない。





   
 
  


  ビーチ側のサーフベンチはこのようにかなり浸食されている。ビーチ側に近くなる
  ほどベンチの高さは低くなり150メートルほど前では見られなくなる。


  上の写真の場所近くのサーフベンチにクムイ(潮溜まりの方言)ががあり小さな
  魚が泳いでいる(次の写真2枚)。





  
  

  クムイを眺める。ビーチ側からきた観光客のようだった。





  靴を濡らさずにサーフベンチに下りることができるのは2カ所ある。
  その一つは灯台側の岩場から。もう一カ所は釣り人やダイバー達の通う小径の
  先の岩場から。いずれも尖った岩場を下りるのでおそるおそるになる。

  靴を濡らしていいならビーチからが子供でももっとも楽だ。しかし満潮になる時間
  には注意が必要。イノーは潮が満ちるのは速い。





  大潮の日はサーフベンチ沖側の崖もかなり露出している。 





  


  

  サーフベンチで採っていたのはこれ。ヒザラガイ。方言でクジマという。
  岩の小さな隙間穴に固く貼りついている。



  

  手で直接取るのは困難。このように道具をつかう。





  海の幸。漁の男性は今日は少ない方だと話していた。



  

  炒めて食する。固いため炒めるまでの行程がとても大変で時間が
  かかるという。ここの部分が固いと指し教えてくれる。




 
  見慣れた残波岬灯台はサーフベンチの上からもいい絵になる。





 




  波の泡沫や水の流れが美しい紋様を描く。何枚でも撮りたくなる。 





  サーフベンチから岩場に上がり遠くに灯台を望む。
 

  残波岬灯台はどの方角からもいい絵になる。






  潮が満ち始めてくるとサーフベンチを打つ波が激しくなってきた。
  波は腰掛けるというよりベンチを破壊するかのように押し寄せる。

 











  岬の東側の断崖の下にもサーフベンチらしき平坦な地形が見える。




  岬東側。展望所近くの崖下。波が被さり泡沫が広がる。








  

  さらに東側の崖下。潮がもっと退けばサーフベンチの状態が分かるだろう。








  
  ことのついでに、糸満市束里の荒崎のサーフベンチも掲載する。残波岬よりも荒崎の方
  が研究者には知られているようだ。


  糸満市荒崎のサーフベンチ





  荒崎海岸のサーフベンチ(写真左端)。
  隆起した岩場の右上奥に一つ小さく見える岩はカサカンジャーと呼ばれている岩塊。
   
  この荒崎の岩場の丘も残波岬のように4~5月には百合の花が咲く。





  荒崎海岸。反対方向からの眺め。

























  





   荒崎の岩場に咲くユリの花。2016年の5月。
   左上の岩はカサカンジャー。
 

  
  
   カサカンジャー。1832年の台風で打ち上げられたと歴史書の『球陽』
   に記されているとのこと。
  


  荒崎の海岸はここまで。


 

  シマアザミ

  3月~4月の残波岬はシマアザミの花の野になる。
  









 
  どこもかしこもシマアザミが群生しはびこっている。その範囲は年々広がっている
  ように感じる。3月は雨が少なかったためか、白い花よりこげ茶に朽ちた花が多く
  目立ち4月は荒れ野の様相。


     
       島あざみ張り付き米軍上陸地  (瀬底月城)

 

  朽ちていないきれいな白い花をつけたシマアザミを探して断崖の端を歩く。


  





  















  眼下に紺碧の海が広がる断崖の上に咲くシマアザミの白い花。
  「青い海を見つめて伊豆の山陰に・・・」と西田佐知子が歌う『「エリカの花』の一節
  を思いだす。


  しかし、アザミには倍賞美津子が歌う素晴らしい『あざみの歌』がある。
 
          
         あざみの歌  
                     (作詩:横井 弘、作曲:八洲秀章)

      山には山の 愁(うれ)いあり
      海には海の 悲しみ
      ましてこころの 花ぞのに
      咲きしあざみの 花ならば

      高嶺の百合の それよりも
      秘めたる夢を ひとすじに
      くれない燃ゆる その姿
      あざみに深き わが想い

      いとしき花よ 汝(な)はあざみ
      こころの花よ 汝はあざみ
      さだめの径は 涯てなくも
      かおれよせめて わが胸に   

            







   シマアザミはトカラ列島以南の琉球各島が生育地の固有種。根を食用すると『琉球の植物』
   (初島住彦・中島邦雄共著、講談社、昭54)に記されている。
   
   沖縄にはイリオモテアザミもありシマアザミと同属。花は紫。久米島、宮古。八重山、西表、
   与那国に分布しているという。 

























  




  シマアザミの花は白。たまに淡い紫色の花もまれに見かける。
    吸蜜にミツバチがやってきた。







       ふれてみてあざみの花のやさしさよ   (星原立子)



  花はやわらかくやさしい。句のとおりだ。香りもまろやか。
  
  ミツバチはそのことを知っている。どんどん頭を花のなかに突っ込み吸蜜する。




  尻を見せ夢中で吸蜜する。
 










  シマアザミの場合、花の周りを飛んでいるミツバチを撮るのは意外と容易。ピントが
  合いやすい。花の大きさがミツバチが飛ぶのを小範囲にしているためかも知れない。 
 




  




   




  最も濃い「淡い紫色」の花を咲かせていたシマアザミ。頭にも足にも花粉をつけた働き
  者のミツバチがやってきた。   





     蝶は吸い口が長い。ミツバチのように頭を突っ込まなくても蜜は手に入る。  









    





    

        忘れねばならぬ旅きて野のあざみ    (稲垣きくの)
 


  
  ヒルサキツキミソウ

  ヒルサキツキミソウも今の時期は満開。
  美しく咲いた薄いピンク色の可憐な花。だが咲いた周りの環境が雑然とした駐車場
  や道路脇なので観光客も気に留めないで通り過ぎる。

  絵のイメージをつくり角度を工夫して撮った。




  春の陽に輝きそよ風に花や穂がたのしそうにゆれる。
  低く身をかがめ灯台を入れた構図をつくった。
 




  広い春の野のようになった。木立の彼方はとおく高原に続くと想像する。
  この絵なら汽車のない沖縄だが萩原朔太郎の詩を寄せてもいいだろう。


         旅 上     (萩原朔太郎)

     ふらんすへ行きたしと思えども
     ふらんすはあまりに遠し
     せめては新しき背広をきて
     きままなる旅にいでてみん。

     汽車が山道をゆくとき
     みづいろの窓によりかかりて
     われひとりうれしきことをおもわむ
     五月の朝のしののめ
     うら若草もえいづる心まかせに





  夕陽を撮るため構図のいい場所を探していると画架を立て絵を描いている
  外国人を見かけた。



  
  断崖と遠くに見える北部の山並みをハガキ大くらいの用紙に水彩ではなく油絵具で
  描いていた。色は白、茶などごくわずかな数。青、緑は全く使用していなかった。
  絵を公開している自身のホームページのアドレスを教えてくれた。 





  二羽のイソヒヨドリ。
  芝の上でバタバタともつれ騒いだあと右と左とに別れ飛び去った。





  あきらめきれないのか?遠く飛び去った相手を見ようとしきりに首をのばす。
  人の世は出会いと別れの春。鳥たちには恋の季節。





  断崖の下。飛ぶのに倦いたかサギがねぐらに帰る。
  あたりは「潮吹き穴」に通じる洞穴のあるあたり。





  残波岬灯台を撮る

  残波岬灯台は昭和48年に建設着工。翌年(1974年)3月30日に完成し初点灯。
  当時は岬一帯は米軍の「実弾射撃場の立ち入り禁止区域。他の建設工事にはない
  苦労があったという。残波岬灯台の高さは約31メートル。南西諸島では最も高い。
  (灯台内でいただいたパンプレットから)





  残波岬の魅力は、変らぬものは2キロ近く続く断崖絶壁と白い灯台。
  常に変り通い続けさせるものは波濤に雲そして夕焼け。









   
  陽が傾き斜光がクサトベラの葉を照らす。





  岩場の低いアングルから灯台を撮る。


  灯台を主役に幾とおりものダイナミックな構図の絵が撮れる残波岬は素晴
  らしい絶景地だとつくづく思う。






  夕陽が沈んでいく。水平線に横たわる雲に今しも隠れてしまいそうだ。
  急ぎ灯台と釣り人をシルエットに撮った。カメラは「夕焼け」モードにした。

  断崖の上で三本の釣竿を海に仕掛け、釣り人は今日は一晩中釣りをする
  そうだ。




    一日一生なりと言われし言葉心に秘めて今日も過ごせり  (原田道雄) 


  原田道雄は国頭出身の盲目の歌人。歌集に『海鳴』がある。明治44年出生。
  昭和17年愛楽園に入園。園で生きた日々の短歌を多く詠んでいる。      





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