国盗りの城に燃え立つ島ざくら (山城美智子)
今帰仁城跡の桜は、本門(平朗門)から大庭(ウーミヤー)まで続く七五三構造の階段
道の桜並木が写真や絵にも描かれよく知られている。
今年2018年の「今帰仁グスク桜まつり」は1月27日(土)~2月12日(月)だった。
本部町八重岳より開花は遅く、名護グスクと同じ頃になる。
以前水彩画で見た美しい参道の桜並木を脳裏に浮べ今帰仁城跡へ行った。
※ 俳句は『南島俳句歳時記』(復刻版、瀬底月城著)より。
琉球が三山に分かれ国盗りしていた頃の山北王は今帰仁城を拠城とする攀安知。
1416年(1422年という説も)北山は尚巴志率いる中山の連合軍に攻め滅ぼされる。
しかしながら参道沿いの桜は未だ満開ではなかった。特に本門(平朗門)のすぐ隣の桜は
2~3分咲き。観光客の往来も頻繁で本門からの構図で参道の桜並木を撮ることも難しか
った。早朝でないと無理だと城趾関係者が教えてくれた。
なお、現在見る平朗門は昭和37年(1962年)に修復されたものだと資料にある。
「(この本門)は今次の大戦前までは、なかば壊れ、片方ののぞき穴がつる草におおわれ
残っていたが、昭和18年に城内に比山神社を創建することになり城内の参道を広めたた
めに壊されたものであったが、昭和37年(1962年)琉球政府の文化財保護委員会によっ
てありし昔の姿に復元された」(『今帰仁村史』)。 比山神社は結局建設されなかった。
「のぞき穴」は門の両サイドにある。上の写真でも右側に見える。のぞき穴の内側には門
番が立哨できるスペース(壁に四角い窪み)がある。
『今帰仁村史』には、本門を「平朗門」と称していることについての説明もあった。
以下に引用する。
「(本門は)昔は門の上には牌樓があって、支那と交易して頃に「牌樓門」あるいは「平樓門」
とよばれていたのが、いつの間にか「平郎門」と書き改められたのではないかと思われる。」
参道の左右の桜全体をカメラの枠内に入れて撮るのは難しい。
桜並木の旧道側の桜を大きく組み入れたものと、その反対側の桜を取り入れた場合に分
け2枚に撮った。
参道の大庭近くの桜の木は背丈は高いがまだ花のつかない枝が目立った。場所や個体に
よって花の咲き具合は違う。全て一斉に満開というようにはならないようだ。
もし城趾内の撮りたい場所があるならば、「満開ですよ」と返事をもらっても、どの場所が満
開なのか確認する必要があることを学んだ。
観光客は多い。あまり接近しすぎると互いに困惑する。また、桜の花も人影に隠れて
しまう。観光客の衣服にもう少し明るい色が欲しかった。
参道から上の郭には桜は少ない。なお、今帰仁城跡には八つの郭がある。
大庭。この桜の前は記念撮影の場所になっている。
夜間照明用の設備が近くにあってこれが映り込むため観光客は桜の花を
覆い隠すようにして前の方に立たざるを得ないのが残念。
後方に霞で青く見える山はクバ御獄。
御内原(ウーチバル)の桜の花びらの下にミツバチが尻を見せていた。
旧道を降る観光客。古期石灰岩のごつごつした荒い石で歩きにくい。
参道を登る観光客。旧道から撮る。ツワブキの花はもうかなり枯れている。
旧道沿いの桜とツワブキ。
5月になると百合の花も楽しめるという。
参道から旧道の下(参道から入った曲がり角付近)を望む。
幹や枝はダイナミックなのだが・・・惜しいかなまだ花が少なかった。
個体差があるので、イメージした絵を撮るためには何度か通う必要があるが遠いと思う
ようには行かない。
旧道の下の方。後方はカーザフの上(北東側)の城壁。
カーザフ(川迫。かわさこ)は本門右手にある窪地(下の写真)。
旧道の下の方から参道を望む。雑草の茂った窪地がカーザフ(川迫)。
カーザフは湧水が小川となって流れている小さな谷間の意味という。
正門前の参道。
上の写真と同じ場所で低いアングルで撮る。
桜の花に接近し一眼レフカメラを向けている観光客。かなり集中していた。
いい桜の花が撮れただろうか。
参道から大隅(ウーシミ)に入る。
大隅は城跡の雰囲気がある桜の写真が撮れる場所。
写真の左手の城壁が低くなっている所が大隅への入口。
後方の城壁は大隅の外壁。その向こうに本門前の松の樹冠が見える。
右端の緑の葉はミカンの木。
今帰仁城跡のような城壁の積み方は「野面積み」で、最も古い積み方だという。
中城城跡も一部の城壁は野面積みである。
手前の桜と奥の桜。この二つの桜と城壁でいくつものバリエーションの絵が作れる。
大隅には何故か観光客はほとんど入ってこない(入口が門のようになっていないため
かも知れない)。このため観光客を気にすることなく撮れるのがいい。
城壁の尖ったカ所の方は、写真では分からないが物見所になっている。
上2枚と同じ桜を縦の構図にしてみた。
メジロがやってきた。
いい被写体の桜を探し大隅の郭(くるわ)内を散策を続ける。
大隅の外壁に沿って進むと奥に一本の桜の木がある。色はやや白っぽい。
右手は3メートルほど下がった窪地になっている。
後方に大隅を取り巻く外壁が、天望がいい御内原(ウーチバル)の下の方から本門まで
大きく曲線を描いて続いている。
聞(きこ)え今帰仁に
百曲(ももまが)り 積み上げて
と、「おもろそうし」に謡われる外壁を背景に桜を撮ろうと考えたが、枝が張る下の岩盤
は窪地の上に突き出していてバックして撮ることが不可。
広角レンズに換えて撮る。
大隅の東側(参道側)は古期石灰岩の大きな岩盤があちらこちらに露出している。
露出した岩盤の上に桜が花の枝を落としている。
中央の窪地や岩盤が露出したでこぼこの場所である。兵馬の訓練場所(パンフレットの
説明)だったという。
「この大隅は、守衛兵のたまり場であたと伝えられているが、近年、この城壁を修理する
にあたり、くずれ落ちた城壁の石の下から、多量の馬の骨と馬歯が出土したので、ここで
騎馬が飼われていたことがわかり今なお密生している布袋竹(俗にいうクサン竹)は馬鞭
用として植えられたものであたっと思われる。
この大隅に、村の昔、武具に身を包んだ武士たちが、武術を鍛え、あるいは夢見つつたむ
ろしていたであろう。」(『今帰仁村史』)
中央の窪地には城外に抜けられる洞穴があるという。洞穴は今帰仁村文化財ガイドブッ
クvol.1『世界遺産今帰仁城跡』に写真が掲載されている。この洞穴は、城趾北側の谷
間を流れる志慶真川の崖の中腹に出口があるという。
戦前、洞穴は地域の子供達の遊び場だったようだ。
岩の隙間にオオタニワタリが根をはっていた。そして隣に桜。
岩の上に上がって撮るといい感じの絵がつくれた。
岩と桜の花のある情景は中国の山水画の世界を思わせる。
大隅は中国風の風情のある庭に仕上げることができる場所だ。今はあまり観光客は
この場所に入らないが、将来、整備されれば今帰仁城跡内の桜の名所になる可能性
を秘めているように思う。
桜と蜜柑。桜の黒い幹や枝の造形。緑とピンク(紅)の補色のコントラストもいい。
この組み合わせが気にいり何枚か撮った。
城跡に桜の木を植えるとき蜜柑の木も一緒に植えたそうだ。
ミカンは手の届くあたりは賞味されたのか全くない。手の届かない上部の枝に
たわわになっていた。
大隅内の露出した古期石灰岩の間の小さな小道を歩きまわる。本門の方の外壁が前方
に見える。
古期石灰岩についてネットなどで調べて見た。
沖縄に分布する石灰岩は、琉球石灰岩と古期石灰岩の2種類があり、琉球石灰岩は約
130万年~10万年前に形成、古期石灰岩は約2.7億年前~2億年前に形成されたと
いう。恐竜の繁栄より前の時代である。なお、今帰仁城跡の大隅の外壁前にはアンモナ
イトの化石が野外展示されている。
沖縄の城跡で古期石灰岩で城壁が築かれたのは今帰仁城のみ。他の城趾は琉球石灰
岩の城壁。
上の写真と同じ場所、同じ方向。
上の写真左端の桜を手前に大きくしてフレーミングする。
本門から外に出る。
本門に向かって右手の側の窪地(カーザフとは石積みで区切られているが一連の谷間
である)。この窪地の桜を撮る。
城壁の一段と高く築かれたところは見張所。5~6人ほどの兵があがれるスペース
がある。本門の左右の城壁とも隅は見張所になっているが、このカーザフ側の見
張所の方がや広さはやや大きい。
大きく張った桜の木の下から城壁を撮りたいと思い草の上に寝転んで見上げた。
手前の大きな桜の木全体を取り入れたかったので広角で撮る。(次の一枚も同じ)
この正門前の窪地の方までは足を運ぶものは見かけない。
サトウキビの絞り汁を販売している店の角を右折した道路。この道路は城跡の東側の
囲むように走り一般道路に通じている。一般道路側からは通行止めになっている。
今帰仁へ向かう途上で撮る。
中部から名護→本部→今帰仁車を走らせる道筋で見かけた桜。
毎年満開時期が気になる桜。県道115号線沿い。今帰仁城跡に近い民家の敷地内に
ある(500~600メートルほどだろうか)2本の桜の大木。道路から下がった敷地なので
道路上から撮れる。
桜の前の他の樹木が成長してきて桜の木の根元が見えにくくなってきているのが残念。
数年前はこの桜を撮る人をよく見かけたが、最近は見かけなくなった。
敷地内で撮りたくて許可を得るため敷地に近寄ると番犬に吠え続けられる。
手前の白い穂の野草の描く線(直線と並び)に変化を与えてみた。
上よりこの方がどことなくいい。
上の写真の桜(右側)をズームアップして撮る。
これも県道115号線沿い。今帰仁城跡に近い。約200メートルほど。道路脇なの
で目立つ桜。下にはツワブキ。
今帰仁城跡の桜より早く咲き桜まつりの頃には葉桜になる。
角度を変えた同じ桜。この桜の花にはメジロや蝶がよく訪れている。特にメジロは
4~5羽飛び交っていた。木が高く見上げて撮るので逆光になりうまく撮ることは出
来なかった。
やはり県道115号線沿い。
桜の上部はもっと大きく枝を広げているが手前の木の茂った葉に隠れて見えない。
今帰仁城跡の東側にあるクバ御獄の後方の静かな山間にある。
城跡から200~300メートルの距離。廃屋。最近屋根の修理をしているのを見かけた。
左手前はバラの花。桜より早く咲きながく花を保っていた。
「廃屋の桜」 桜が満開だといい景観になるだろうなあと思うが、まだ満開に出会ったこと
がない。
隣接しミカン畑がある。その敷地内には山羊や鶏が飼育されている。
廃屋の敷地内。
先の廃屋のある一帯の山間。今帰仁城趾から400~500メートル。
上の写真の場所から200ートルほどの距離に在る一軒家。
本部町山里。円錐カルストの山の並ぶ一帯へ降る坂道から。
写真左上に見える畑と道路沿いの桜が次の3枚。
農家の方が一人草取りをしている。のどかな風景。桜の花は田舎には似合う。
畑に降り同意を得て桜と山を背景に撮ろうとしたらピースサインでポーズをつくった。
露出した石灰岩の白い山肌と道沿いの桜の並木。桜はいずれもまだ幼木。枝の張りも
すくない。生長したら美しい並木道になるだろう。
ここのカルスト地形の山間の道を散策するのも楽しい。
1キロほど山間をいくと元の県道115号線に出る。
カルスト地形の山間にある小さな畑地の桜。
今帰仁村。本部町役場前から今帰仁城跡方面に抜ける県道115号線沿い。
農家の敷地内。許可を得て敷地内で桜にミカンを組み合わせて撮る。
115号線が開通しない前、桜のある風景が素晴らしいので撮らせてくれと外人が
訪ねてきたことがあったという。
その外人が眺めただろうと思われる旧道に登って見た。多くの草木で遮られ敷地全体を
見下ろすことは出来なかった。
本部町伊豆味。県道84号線沿い。県道から左手に降った桜並木の桜。
八重岳や今帰仁城跡に向かう途中、ここで車を降り桜撮影をする観光客も少なくない。
上に同じ桜。低いアングルで後方のまだ花が白っぽい桜との組見合わせた。
この手前の桜は土手下を走る道路との組み合わせで幾つかの絵が撮れる。
本部町。伊豆味小学校前の道路を上ったところにある喫茶店の庭。中央に見えるのは竹。
折から降りだした小雨が山水画の風情を醸し出していた。
名護市の県道72号線沿い。山すそにある民家へ通じる路。
クロトンと桜の花の色彩りが美しかった。路はややくねるように奥に続く。
山の斜面にも数本の桜が咲いていたがまだ満開ではなかった。
満開の時はいい絵の景観になるだろう。
同じ72号線沿い。山の中腹にヒカゲヘゴと桜。
名護市。やはり県道72号線沿い。川沿いにある拝所。
近くには名護市営住宅の旭川団地がある。
名護市。山の中腹に咲く一本桜を枯れ木と組み合わせて切り取った。