2017年05月22日
デイゴ
開花したデイゴを探しまわった。
普段、デイゴは公園の植栽や街路樹に多く見かける。
できたら絵になる風景の中のデイゴを撮りたいと思うが、
花が咲いているデイゴさえ少なくなっており難しい。
平和祈念公園のデイゴ(糸満市摩文仁)
栃木県慰霊之塔の参道沿い。高さ8~9mほどの数本のデイゴ
が深紅の花を咲かせている。
並んだ数本の木全部が満開な場所は探した限りではここだけ。
デイゴの開花時期はやがて過ぎるので、とうとう見つけたと
嬉しくなる。

「右側の真っ赤に咲いている花はデイゴ。沖縄県の県花です。
このように咲いたのは3年ぶり。デイゴの花が多く咲くと強い
台風が来ると言われています」と、公園内移送車両の運転手
がマイクで乗客に説明しているのが聞こえて来た。
花びらはかなり散り色が黒ずんだものもある。
もう少し早く来ていれば良かったと少し悔やむ。
梯梧炎ゆ戦跡の塔温めつつ (山城青尚)
外人の子が散った花びらに感動し、散った花びらを見渡し
ながら、一人よちよち歩きで参道に入り込んできた。
視線が低く大地に近い子どもには、一面広がる紅い花びら
は珍しくうれしかったのだろう。雪にはしゃぐ子のように。
家族から離れた子をあわてて連れ戻しにきた母親に頼んで
花びらの中に座らせてもらった。
下から見上げる。
天気が良かったので明るい日差しに映える深紅の花や緑の葉
の色が鮮やかに撮れた。
幹を大きく組み込んだ構図で撮る。
平和祈念堂と深紅のデイゴの花の組み合わせ。
この構図で撮れるのは。この場所一カ所だけ。
雲が晴れるのを待ったが全体が青空になりそうに
なかった見切りをつけて撮る。
デイゴの枝の構図で四苦八苦し何枚も取り直す。
公園内の他の場所にも花の咲いているデイゴがあった。
しかし緑の葉がかなり付いていて花は少ない。
平和祈念公園のみでなく他の地域のデイゴも大方はこのような
咲き具合。
公園内には比較的デイゴは多い。公園内で作業をしていた方
は、ヒメコバチによる被害で枯れてしまったものもある。
数年前からヒメコバチ対策の薬を幹に注入をしている。薬は高価。
数回注入するので県だからできるのだろうという。
花が咲いていないデイゴも多い。ある人がデイゴはオスとメスの
木があるらしいと言っていたのを思い出し、このことを先ほどの
作業員の方に話すと、
「宮城県(と言っていたように思う)の慰霊之塔のところのデイゴに、
これほどの長さの(と両手を広げ)実がついているのを慰霊祭が
終わったあと見たことがある」と語る。
花が咲き終わった7~8月頃かと訊ねると、同じ作業員の女性
が10月頃という。
オスとメスの木があるかどうかは分からない。林業関係の行政の
方に話すと否定的な表情をした。
戦没者慰霊祭が行われる広場のモニューメントの彼方に
もくもくとブロッコリーのような形をした美しい雄大積雲が
立ち上がってきた。若夏5月の美しい雲だ。
ひめゆりの塔のデイゴ(糸満市)
慰霊之塔の前に一本すくっと立っている。高さは7~8mほど。
見上げてスマホで写真を撮る観光客もいた。
デイゴと戦場
5月に花を咲かすデイゴは去った大戦の記憶と重なる。
『デイゴの花』(桜井信夫・文/鈴木義治・絵、国土社)
は主人公の「わたし」が沖縄戦の体験を語った児童書。
本の題名になった「デイゴの花」は、戦場で出逢った
おじいさんとおばあさんについての語り。
語り手の「わたし」が抱いている赤んぼうを見て、こらえ
きれず泣き出すおばあさんの傍らでおじいさんが話し
始める。
(文章が沖縄の言葉で書かれていない理由については、
この本の序の部分に説明がある)
「家は焼かれる。ガマにもおられん。南にいけといわれて
赤んぼうだいた嫁といっしょに、逃げまどうてきましたんや。
ところが嫁だけが弾にあたって死にました。赤んぼうのこし
てな。
だいじな孫じゃもの、生きられるだけは生きよう、こういって
一日、もう一日と、孫を抱いて逃げてきましたんや。
けれども、かあさんのお乳がない。赤んぼうに食べさせる
ものなど、これぽっちもない。
「赤んぼうはひもじくて、かあさんのぬくもりがこいしくて、
わしらの腕のなかでなきますんや。
なあ、ばあさんどうしょう。こういうとなあ。
わしらの手で、あの世へなあこの子のかあさんのところへ
なあ、いかせてやろう。
こう心にきめましたのや。けれどな、こう、年寄りの手で孫の
首に手をかけることができのうて、あっちへいき、こっちいき、
したらデイゴの木の根もとに、砲弾があけた孔がありました
のや。
そう、ここにしようか。孫をなあ、うめました。
生きとるまま、生きとるまま・・・
おばあさんの手にはまっ赤なデイゴの花が握られていま
した。
「また、敵機があらわれました。機銃掃射がはじまりました。
わたしは、くぼみに身をふせました。
ダダダダッ。おじいさんがまえに、のめるようにたおれました。
次の一機が、ダダダダッ。おばあさんがのけぞりました。
そのとき、まっ赤なデイゴの花びらが、おばあさんの手から
とびちったように見えました。」
ここで「わたし」の話は終わる。
まっ赤なデイゴの花の下には赤んぼうが埋まっている。
南部戦跡の真紅のデイゴの花は思い出させる。
5月、6月に美しい花を咲かせるデイゴやゲットウ。
悲しい記憶を秘めた南国の花だ。
デイゴの花言葉の一つは「夢」だという・・・。
喜屋武の金満之卸獄のデイゴ(糸満市喜屋武集落内)
具志川城址に向かう道路途中の喜屋武集落内。
喜屋武コミニュティーセンター(奥の建物)隣にある
獄(うたき)にデイゴの木が数本ある。
普段通る国道や県道からはなかなか見えないが、
獄や湧泉などがある古い集落には大木のデイゴが
見られることから、数百年前の古い時代からデイゴ
は移入されていたと思われる。
ちなみに「沖縄の名木百選」に選定されているデイゴ
の推定樹齢を見ると、伊是名村のノロ殿内のデイゴ
350年、久米島謝名堂の南謝門(なんざじょ-)の
デイゴは300年である。
獄の最も威厳のある姿をしている2本のデイゴ。
樹高約8m。幹周り3m以上の立派なデイゴ。
満開だったら素晴らしい眺めになるだろう
近くの喜屋武公園でゲートボールをしていた地元の方
から「子供の日」以降が多く咲くと教えてもらったが、
今年はあまり咲いていなかった。
この2本のデイゴは「沖縄の名木百選」に認定されている。
百選での名称は「ナカヌトゥンのデイゴ」となっている。
100mほど離れた場所にも大きなデイゴがあった、と
その場所を指さし、デイゴヒメコバチの被害で枯れたと
近くに住む方が残念そうに話す。
なお、「沖縄の名木百選」には、沖縄全島から11カ所の
デイゴ15本が選定されている。
余談。この「沖縄の名木百選」は「百選」とあるが、百以上
の名木が選定されている。沖縄らしい。
二つのうちの右側のデイゴ。この木の花が多い。
獄のデイゴなので樹齢も古い。二つのデイゴとも100年以上
という。
花は少ないが幹がかなり上まで太い。深紅の花をアクセントに
し、幹と緑の葉をつけた枝で構図をつくって撮った。
カデシガー(嘉手志川)のデイゴ (糸満市大里)
糸満市立高嶺小学校の道路(県道77号線)向かいにあるデイゴ。
県道側とカデシガーの方に各1本ある。
県道7号線が整備される前はカデシガーから眺めるこのデイゴは、
とても素晴らしかったと地元の方はいう。
確かに、木の全体を撮りたかったが背景にある県道のコンクリート
の壁や歩道の柵が、目障りになりどうしても撮る気にならなかった。
写真を撮ったこの4月末はまだ半分ほどの咲き具合。
(昨年撮った満開の写真を最後の方に載せた)
高さは7~8m、幹周りは3mほどある。道路からはよく分からないが
木は1本である。
カデシガー側のデイゴ。
カデシガーのデイゴを湧き水の側から撮る。
以下は、昨年(5月5日)撮った県道77号線側のデイゴの写真である。
昨年はこのように木全体が一斉に満開で咲いて素晴らしかった。
このように素晴らしく花を開花させる大きなデイゴだが
ここのデイゴは「沖縄の名木百選」には入っていない。
花にくちばしを突っ込んでいるシロガシラ。
八重瀬町安里のデイゴ
国道331号線沿い、三叉路の角の小さな花園の中にあるデイゴ
バス路線(国道331号線)の方からは標識や電線が前に
あって写真を撮るには気がそがれる。
コスモスなどの花がデイゴの幹の根元を彩っている。横後方の
低いポジションから撮るといい絵になった。
後方のアパートの黄色い壁が目立ち気になったが、撮った
写真を見ると、黄色の壁もコスモスの花とともに幹回りを賑
やかにしてくれている。
東風平のデイゴ(八重瀬町字東風平)
県道77号線沿いにある。
八重瀬町中央公民館の駐車場脇を流れる小さな丘連川(おかれん川)
沿い約50~60mほどに十数本のデイゴが植栽されている。
写真は去る5月12日の撮影。もっと咲くのかどうかは分からない。
川の道路側からはススキなどが生い茂りデイゴの木は上半分ほど
しか見えないのが残念。
県営新開団地のデイゴ(与那原町)
新開団地のデイゴは毎年開花しているようだが、訪れたときは
開花時期が遅れているのか去年より開花しているデイゴは少
なかった。
縦の構図にして、すぐ近くに設置されている電柱や電線が
写らないように横を切り取った。
昨年は4月には咲いていた奥の方はまだ花が少なかった。
新開団地のデイゴは海岸から川沿いにかけて、十数本植栽
されている。樹高はそう高くない。枝が低く川の側に垂れて
いるので、花をアップで真横から撮ることができるが、建物が
背景に写ってしまう。
昨年の新開団地のデイゴは4月から多くの木が花を咲かせて
いた。以下は昨年撮ったもの。
今年撮った上の写真と同じ場所の後方のデイゴ。
昨年は4月中旬から今年より咲いていた。
河口近くのデイゴ。
画面全体を埋めるように枝を構成的に配置した。
このデイゴの近くで海を眺めて憩っていた地元の方が、
「マスコミの人が来て脚立に上ってこのデイゴを撮って
いたよ」と話してくれた。昨年のことだ。
今年、行ったときはまだ少ししか花をつけていなかった。
同じデイゴでも年によって開花時期が異なる。
ただ、毎年花をつけるデイゴはやはり同じだ。
霞が薄れ日差しもより明るくなってきた。
梢の部分を切り取って撮る。
青い空に深紅の花を咲かせるデイゴの花言葉は
「夢」「活力」「生命力」「和」。
燃えて咲きますデイゴの花は
女心によく似た花よ
好きなあなたに 好きなあなたに
あげましょうか あげましょうか
と田端義夫が歌う『デイゴの花』の情熱的なイメージ
で撮れた。
青空に映える鮮やかな深紅の花。これは、赤色と補色関係
にある葉の緑色による。
沖縄の著名な版画家名嘉睦稔は「補色はすばらしい」と
次のように語っている。
「でもね、赤が赤然として強烈な赤、美しい赤、立派な赤だと
主張するためには、緑色のような反対色が必要なんですね。
その存在があってこそ初めて赤が際立つのです。
あらゆる色はそのように自分の色を際立たせるための色を
もっている」のです。(名嘉睦稔著『ポクネン』サンマーク)
葉がつ付きすぎたデイゴは花が少なく見映えのしないことが
多い。また生い茂った葉のなかに埋没してしまっている場合
もある。花が咲くのが少なくなりこのようなデイゴが多くなった
気がする。
偶然、ミツバチ(中央やや左)が近寄ってきた。
デイゴの葉は長い葉柄の先に小葉が3枚ついている。
今帰仁村今泊のデイゴ
国道505線沿い。今帰仁城址方面へ向かう道路の今泊の
入り口近くにあるデイゴ。
北部でも花を多くつけたデイゴを見つけるのは難しい。
ここは道路沿いなので目立つ。写真は昨年5月上旬に
撮ったもの。近くの民家に鯉のぼりが泳いでいた。
道路側から上と同じデイゴを撮る。
県総合運動公園のデイゴ(沖縄市)
県総合運動公園にはデイゴの木は多い。
今年は昨年より多くのデイゴが花を鮮やかに咲かせている。
郷土館の東側のデイゴ(1本)。ほぼ満開。樹高は7~8m。
昨年は咲いていたのかどうかさえ記憶にないが、
今年は素晴らしかった。風景的にもいい絵になっている。
来年も楽しみになる。
同じ場所を離れて撮る。デイゴの印象は弱まったが、最初
見たときに印象が強く心に残った散った花びらを入れた。
ベンチの周りに散ったデイゴの深紅の花びらと梢の影が美しい。
違う角度からベンチを数枚撮る。シャッターの音が耳に響く。
カメラを持つ手に花びらが散った。
陽が樹木の影を芝生やベンチに落としている。美しい。
ベンチの上に時が流れる。プレヴェールの詩の節が浮かぶ。
シャンソン (プレヴェール)
今日は何日?
今日は毎日だよ
こいびとよ
今日は一生だよ
愛人よ
ぼくらは愛しあい生きている
ぼくらは生きて愛しあっている
これが人生かどうかは知らない
これが日なのかどうか知らない
これが愛なのかも僕らは知らない
(訳:嶋岡 晨)
プレヴェールはフランスの詩人。1900年2月4日~1977年
4月11日。「枯葉」や「バルバラ」「愛しあう子どもたち」の詩が
ある。
ベンチに座る者はいない。その周りで多くの紅い花びらの色
は静かに朽ち、明日には黒ずんだ死骸となる。
郷土館の西側のデイゴ。 花は日当たりのよい面だけに
咲いている。
上の写真と同じデイゴの木を別の位置から撮る。
ゆい池入り口のデイゴ。
休憩舎が民家風の瓦屋だったら、いい絵になるのだが
仕方ない。
低い位置からシ-サーと、その背景に高く空をつくデイゴを
取り入れて撮ってみた。
花や葉を、入り乱れごちゃごちゃした梢が蔽いちょっと薄汚
れた感じになった。
ゆい池の同じデイゴ。花壇の前の芝から地面ぎりぎりの低い
位置から撮る。
ちびっこ広場。滑り台前のデイゴ。今年は花を多く咲かせている。
このデイゴもちびっこ広場にある。毎年満開に花を咲かせる。
開花も早い。
このデイゴは隣にある遊具の上から、真横や上から花を見下
ろすように逆光を気にせず撮ることができる。
花も満開、梢の色も形もいい。デイゴの花の美しさが撮れる。
好きなデイゴの木だ。
デイゴの花は「蝶の形」に似ていると言われるが、
どう眺めても似ているようには思えない。
見る視点がちがうのだろうか。
2~3羽のメジロがいくつかのデイゴの木をせわしく往復していた。
紅い色の花は鳥を呼び寄せるという。
「花の色の違いは、一度花を訪れた昆虫が他の花と
区別しやすくするため、という面が大きい。
鳥を相手としている花は、一般に鮮紅色であることが
多いし、蛾の類いを相手としている花は、夜でも見や
すい白や薄緑のものが多い」(塚本裕一『植物のこころ』)
吸蜜なのか虫を補食しているのか?
花びらの中に頭を突っ込んでいる。
シロガシラもやってきた。
かなり散ってしまった花もある。このデイゴは公園内で最も早く
咲く。他のデイゴが咲くのを待ってから訪れると、このように
散ってしまっているのが多くなる。
緑の芝に散った花びらと芝の間を曲線を描き伸びるデイゴ
の根が美しい。
宮城島宮城中央公園のデイゴ(うるま市)
宮城中央公民館や展望台がある丘の公園内にあるデイゴ。
樹高は8~10mほど。
近寄って見る幹の根の太く異様な相貌やコンクリートのベンチが
この丘の歴史を思わせる。
幹周りは3mほどある。
糸満市喜屋武や沖縄市与儀の「沖縄の名木百選」に選定された
デイゴと比較し、幹周り樹高から推定すると、この宮城のデイゴ
も樹齢100年以上になるのではないだろうか。
デイゴは太く長く根を這っていく。「家壊さあー」(ヤーコーサー-)
なので屋敷内にはなかなか植えない。
根の圧力はコンクリートを持ち上げ
あるいは破壊する。(那覇市)
なお、デイゴの根には、窒素を取り込み木を大きくする根粒菌
が共生していて、痩せた土地でもよく成長するという。
丘の上にあるデイゴを瓦屋根の上に望む。
集落の民家の後背の山に住みついた鶏。
餌をあげたらなついて毎日庭におりてくるという。
退職後、島に戻り一人暮らす老人の友となっていた。
ピンボケ。取り直しを試みたが、警戒して草陰のなかに
すぐに入り込んでしまう。老人が鶏の鳴き声で呼ぶが、
見馴れないよそ者を警戒し姿を現せない。
集落の拝所に猫が2匹寝ていた。
気配に気づいた一匹は塀に飛び上がり身をかがめ窺う。
この一匹はずっと眠ったままだった。島ののどかな昼。
デイゴは県花
デイゴは、1967年(「昭和42年)7月7日沖縄県の県花に
選定されている。
(色調を変えて油絵ふう作品に仕上げた)
「深紅の花は南国沖縄を象徴するのにふさわしく、観光資源と
して大きな効果があること。また幹は、漆器の材料として用い
られ経済的価値も高い」
というのが選定の理由。(『県民ハンドブック』
なお、「県木」はリュウキュウマツ、「県鳥」はノグチゲラ、「県魚」
はタカサゴ(方言名:グルクン)である。
「琉球三大名花」という花の言い方もあるそうでデイゴはその一つ。
他の二つは、オオゴチョウとサンダンカ。
デイゴ
インド原産。加えてスリランカやマレー半島も原産地と書いた
本もある。マメ科。さし木で簡単に増やせるようだ。
漢名は梯梧。その音読みが和名のデイゴ。沖縄の方言で
ディーグ(首里、石川)。歌にも詠まれ県民に親しまれている。
世界には140種近くのデイゴがあるという。
沖縄では街路樹にタイワンデイゴ(これはヒシバデイゴの方言名)
もよく見かける。
柔らかく軽くて加工しやすい。乾燥しても裂け目を生じない
ことなどから伝統工芸の琉球漆器、伝統芸能獅子舞や宮古の
アンガマの面の材料になる。
落葉高木。桜のように落葉したあとに花が咲く。
樹高は本島中南部で見たデイゴでは、高いものは7~8m
ほどのデイゴが多かった。
「沖縄の名木百選」には、10m以上のデイゴが6本ある。その
うち15mが3本もある。
開花期間は3月~5月。
先島からの花便りで3月に咲いているデイゴの写真が見られる。
沖縄本島は4月~5月が開花期間といっていいだろう。
季節がめぐってきても紅い花は咲かさず、年中、あおい
葉を生い茂らせているデイゴも見ることも多くなった。
『日本で育つ 熱帯花木植栽事典』(アボック社出版局、1998)
に次のような説明があった。
ーー (デイゴは)沖縄では11月から4月、つまり冬から
春にかけて落葉し休眠状態になります。そのあと、4~5
月ごろ暖かくなると、新しい葉が展開する前に一斉に開花
します。
もし、その葉が冬の間も落ちないでいるような場合には、
そのまま花がつかないこともあります。
このように沖縄ではデイゴの樹によって花つきが違う
ほか、一本の樹の中でも、ある幹には花がつき、別の
幹では葉がついたままで花をつけないという例がよく
見られます。ーー
葉を落とさず花をつけないデイゴが、数少ない例ではなく
なって、現況は、そうとは言えなくなってきているという思い
が強いが、どうだろうか・・・。
デイゴの花には白色種のデイゴもあるという(『沖縄を彩る熱帯の花』
沖縄都市環境研究会、沖縄出版、1998)。
『琉球の植物』(初島信彦、中島邦雄共著、講談社、昭和54)には
シロバナデイゴと説明された石垣島で撮影された白いデイゴの花
の写真が載っている。
デイゴの実の写真を見つけた。摩文仁の平和祈念公園で聞いた
話は事実だった。 移転して新しく開館した沖縄市の図書館で
読んだ『図鑑 琉球列島有用樹木誌』(天野鉄夫、沖縄出版)
に豆のような実を多くつけた写真が載っていた。
「種子は深紅色で長さ1.5~2cm。八重山ではよく結実する
(10月)」と説明がある。平和祈念公園で聞いた話も10月だっ
たので一致している。
『木の実・木のたね』という澤岻安喜氏の本(新星図書出版、
1983)にもデイゴの実(「莢果」)の写真がある。
この本では果実の時期は6月中頃~8月となっている。
『沖縄植物図鑑』(海洋博覧会記念公園管理財団、平成16)
には 「あまり結実しないので、マメを見ることはできない」と
書いてある。
昨日、ウォーキングしていた元小学校長だった方とたまたま
立ち話をする機会があった。
数十年前、沖縄が干ばつで水不足になり、鹿児島から水を搬送
して来るかどうかが行政の課題にまでなっていた年に、勤務して
いた小学校の校庭のデイゴに実がなった。
インゲン豆のようだった。その年は沖縄の多くのデイゴが実を
つけたと語る。デイゴはマメ科だったことを思い出した。
デイゴが多く花をつけると強い台風が来るという天候に関する
言い伝えについて訊ねた。
台風というより雨量と関係があるのではないか、雨が少ない年
に花がよく咲くのではないか。デイゴだけでなく瓜などの農作
物も同じ。デイゴの実を見た年は、畑の瓜も花を多く咲かせて
いたと話す。
場所や年によってもデイゴの花の咲き具合はちがう。雨量と
関係があるのではという元校長先生の話も頷ける。
『沖縄 天気ことわざ』(石島英(すぐる)、正木讓 共著、
琉球新報社)には台風と樹木や草花の花や葉のしげりに
関係したことわざが集録されている。
ーーなぜ、植物の開花や葉の茂り具合が台風の多寡とかか
わるか、筆者をふくめ多くの人にはピンと来ないと思う。が、
そう早合点すべきではないと思う。
これらのことわざが、共通して活発な花や葉の茂りが何を
意味するのかの問いをなげかけているように思う。
植物の成長過程に、たとえば降水量、日射、気温、土壌
からの栄養補給などその他さまざまな要素はどう預かって
いるのか。そういう総合的な科学的な評価はできている
だろうか。ーー
と筆者たちは投げかけている。
この『天気ことわざ』には夕焼けや朝焼けの雲に関する
ことわざも集められている。遠く出かけるとき参考になる。
ことわざにはそれなりの成り立ちの理由、経験的根拠や
社会的意味があると考えている。
ヒメコバチによる被害
ヒメコバチによるデイゴの被害が広がっているそうだ。
2003年台湾。2005年インド、ハワイ、ベトナム。2006年フロリダ。
沖縄県では2005年5月石垣島と西表島で被害が確認され、翌年
宮古島、沖縄本島、奄美黄島へと被害が拡大したという。
関係者は、沖縄のヒメコバチによるデイゴの被害は危機的状況で、その
対策は深刻な課題だという。
(左) ヒメコバチのオス(体長約1mm) (右) メス(体長約1.6mm)
(那覇市建設管理部道路管理室 2010年道路行政セミナー資料より)
デイゴヒメコバチは、通常5月~1月に発生しデイゴに影響を及ぼす。
ヒメコバチの被害によりできた虫こぶ(虫えい)。(うるま市経済部農政課資料より)
ヒメコバチは次のようにしてデイゴに被害を及ぼす。
「ヒメコバチは2004年にKimらにより新種と記載されたデイゴに
寄生する小さなハチである。
雌が新芽や若い葉柄ならびに葉に産卵すると虫えい(虫こぶ)が
形成され、中で複数個体が育ち羽化した成虫は穴を開けて虫えい
から脱出する。
多数の脱出孔を残した虫えいは黒色の腐敗部分が拡大してやが
て落下する。
ヒメコバチの被害が激しいと葉が無くなり、枝のみとなり、デイゴは
開花できない状態となる。」
(喜友名朝次「樹幹注入によるデイゴヒメコバチ殺虫剤効果の検討」
/沖縄県森林資源研究センター『研究報告』No.49、平成18年度)
ネットの「SBI口座 デイゴヒメコバチってなあに? せとうちなんでも
探検隊」も参考になる。
ヒメコバチ被害への対策
県や市町村により、デイゴの幹へ薬剤(アトラック液)を注入する方法が
行なわれている。
糸満市喜屋武のデイゴの幹の1mほどの高さに止められていた
薬剤注入済みの標識。
薬剤注入は、花に訪れるミツバチ等に影響を与えないため、花が散
った後、活発に新葉が展開する8月位までに、日の出から午前11時
までの蒸散が盛んな時間内に、同じエリア内のデイゴは一斉に注入
処理するのが効果的という。(上掲の那覇市資料による)
写真は薬剤注入の状況。(「沖縄県南部林業事務所『業務概要』平成28年度より)
薬剤注入の作業方法(アトラック液剤のチラシより)
デイゴの幹にドリルで穴(直径6mm、深さ5cm程度)を開ける。
その穴に加圧式注入容器を挿入しそれに薬剤を投入する。
注入容器に専用のガスボンベでガスを注入する。
注入容器の薬液が完全にからになったら容器を回収。
穴を融合剤で充填する。さらに雨水等が侵入しないよう被膜剤
を塗布し、完全に密栓する。
液剤の注入穴数や注入本数はデイゴの木の胸高直径と樹高
(5m以下、5m以上)で決まる。注入回数は3回以内。
幹周り3mほどの糸満市喜屋武のウタキのデイゴだと、1本当たり
チラシから推測すると、穴は20近く、注入本数は30以上になるの
ではないだろうか。かなりの経費になりそうだ。
対象エリアのデイゴを一斉に液剤注入するには相当の予算が必要
だということがわかる。
花の咲かないデイゴはもう「県花」とは言えなくなる。
デイゴヒメコバチには、デイゴカタビロコバチという天敵がいるらしい。
天敵導入増殖の事業も行われているようだ。
デイゴのオス・メスの有無について、沖縄県森林資源研究センター
に訊ねた。オス、メスはない。両性具有である、という回答だった。
※ ※ ※
うるま市平安座の彩橋小学校の校庭にデイゴの木がある
と聞いた。素晴らしいフクギもあるという。
フクギの花がもう咲いているかどうかも見たかったことと、
デイゴは今年は時期が遅いが、来年のために確認して
おきたくて平安座島に行った。
平安座で見かけた妙に旅情をくすぐる美容室。

お客さんがいたため、美容室の中を撮ることができなかった。
店頭は了解を得て撮影。

平安座のフクギ。懐かしくなる美しい風景だ。
平安座島は通り過ぎるだけにしてはもったいない。
集落は意外と大きく、歩きたくなる路地や風景がある。
彩橋小学校のデイゴ。手前と奥に計2本。
嘉手納小学校のデイゴ
嘉手納町指定文化財。この大木のデイゴのことを忘れていた。
数か月前に見かけて、5月になるのを待っていたのだが、
糸満市のデイゴに心を占められすっかり記憶から抜け落ちていた。
もう遅いと思ったが気になって見に行った。
一部分にごくわずかしか咲いていない。花も花びらをほとんど
散らしていた。去年もこの感じの咲き方だっただろうか。
近くの遊具で遊んでいた子どもたちに聞いた。首をかしげる。
印象に残っていないようだ。あまり咲いていなかったのだろう。
このデイゴを知る方は、以前は全体満開に咲いていたという。
瞼を閉じると、次の文章に書かれた光景が浮かぶ。
「炎のようなデイゴの花。沖縄の小学校の子供たちが、卒業式
や入学式を思いえがく花といえばデイゴ、そして、デイゴの花が
満開したころ、沖縄はいつの間にか夏になっています」
『沖縄まるごと大百科 ①沖縄の自然』(ポプラ社、2005)に
あったデイゴについての12年前の説明だ。
今はもうこのような説明は見られない・・・。
昔は「別れ」や出会いと結びついたデイゴの花。
別れ。
成底ゆう子作詞・作曲の歌に「まっ赤なデイゴの咲く小径」がある。
咲いた咲いた春の花
晴れ渡るデイゴの咲く小道
涙こらえて手を振った
母親の姿がありました
夢見てたようにはままならん
生きるむずかしさ知りました
いつからか都会の渦の中
親のお金遊びに消えました
島で過ごした夏休み
空港に駆けつけた
父が手渡したのは
土がついたお金でした
成底ゆう子が歌う。歌詞はまだ続くが省略。
出会い。
花梯梧仰ぎ着任の辞短し (島袋常星)
俳句は比嘉朝進著『沖縄の歳時記』より引用している。
根元からいくつかの幹が分かれた1本の大木。樹齢は110年以上。
これは左側のデイゴ。これも大木。花は咲いていない。
学校の庭や周りにはデイゴの植樹は多い。特に歴史
古い学校の場合は樹齢を重ねた大木もある。
宮良長包が作曲した「赤ゆらの花」(1922年、大正11)は、
長包と同じ石垣島出身の大浜信光が作詞したもの。
赤ゆらの花
一、 黄金の光 空にみち
風さわやかに 白雲飛ぶ
ふるさとの野に ふるさとの野に
春の訪れ
赤ゆらの花 赤ゆらの花
花咲けり
梢に遠き花よ花
赤き焔よ 赤き夢
赤き夢 我胸に咲かずや
我胸に 咲かずや
二、 稚児(おさなご)あまた 花をとり
木陰に集い 戯れ遊ぶ
ふるさとの春 ふるさとの春
花に暮れゆく
赤ゆらの花 赤ゆらの花
花に暮れゆく
思い出の花 夢よ夢
遠き日の花 若き日よ
若き日よ 我胸にかえらずや
我胸にかえらずや
石垣では深紅の花のことを方言で「アカヨーラ」と言っていた
という。「赤ゆらの花」の「赤ゆら」とは、アカヨーラ(深紅の花)
のこと。
「赤ゆらの花」を作詞した大浜信光は、沖縄県立第一中学校
を卒業し石垣島に帰った。その三年後、再び那覇に出て沖縄
県立師範学校第二部に入学・卒業し教師になっている。
「赤ゆらの花」は、大浜信光が教師の夢を抱き島から出て来
た多感な学生時代の作品。宮良長包はそのとき師範学校の
教師であった。
三木 健(たけし)は著書『宮良長包』(ニライ社、2002)で、
「大浜の胸中に登野城(尋常)小学校のデイゴの木陰で戯れ
た若き日のことがあったのだろう」「ふるさとの野に春が訪れ
燃えるようなまっ赤なでいごの花に青春の思いを託したもの
である」と書いている。
現在も、登野城小学校の校庭や周りではデイゴの木が三月
には花を咲かせるという。しかし、古いデイゴの木はデイゴヒ
メコバチの被害で枯れ、現在は数本しか残っていないようだ。
今のデイゴの多くは1972に植えられたものだという。