2016年10月28日
月桃の実
9月~10月は月桃の実の季節。
赤い実のついた月桃は美しい。赤い実と緑の葉のコントラストの鮮やかさが好きだ。
秋の季題としても俳句に詠まれて欲しいと思う。
つる草が月桃に絡み、偽茎や葉が上の方で支えられ穂状についた実がブドウの房
の様に垂れている。
月桃の下にかがみ込み見上げるように撮る。
このような状態で垂れている花はなかなか見ることは出来ない。
この月桃は、後日、他の雑草とともに伐採されていた。クワズイモ同様雑草の扱い。
豊富になった実に感嘆する。
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秋に付く実と同時に、この様に春に咲く花が季節はずれで付いているのを時々見る。
緑の実。これから熟し赤くなる。
割れた実の殻がけものの目に見えるのが面白い。何を怒っているのだろう。
月桃は住宅街、山野どこでも見られる。丈は3メートルほどになる。ヤンバルの山中
のものは他の地域より高いように思えた。普段はついでに撮ることがほとんどだが、
梅雨時など月桃の写真を撮りたいと思うときはダムに行く。特に宜野座のダム。
若い頃、「ムーチー」の日の前に、同僚と二人ムーチーを包む月桃の葉を採りに玉城の
野に行った。雨に降られながらカッパを着けて、風に傷ついていない若いきれいな葉を
選び鎌で刈り採った。カッパは役立たず衣服もずぶ濡れ。
まだ就職したばかりの同僚は、「大学を卒業し山中で雨に濡れてサンニン(月桃)を採っ
ている息子を、おっかあ(母)が見たら泣くだろうな」とつぶやく。惨めな己の姿に嫌気が
さしたようだった。
カッパを脱いでも脱がなくても同じずぶ濡れなので、カッパのまま車を運転。立ち寄った
給油所の年配の女性給油員があきれたように聞く、「あんたたち、車に乗っているのに
何故濡れているの?」 答えようがなく笑って返した。
あの頃は、大きなシンメー鍋まで使って黒白の種類のカーサームチーを毎年つくった。
月桃の偽茎はくだきつぶしてムーチーのくくりひもに利用する。庭で煙にむせびながら葉
に包んだムーチーを時間をかけて蒸した。サンニンの香のする懐かしい思い出だ。
月桃の花 は4~6月に咲く。春の季題で俳句にも詠まれる美しい花だ。
『沖縄の歳時記』 (比嘉朝進著)に月桃の句が掲載されている。
月桃花彩なす山の裾模様 (川上盛友)
カメラ(ニコンD5100)を購入し最初に撮った花が庭の月桃の花だった。梅雨にぬれた
花を標準レンズで撮った。花や蝶などを撮る時はマクロレンズが欲しいと思う。
今でも雨に濡れた月桃の花を撮るが、風や雨で傷み汚れているのが多くがっかりする。
極めて傷つきやすい。ユリの花と同様に風雨での傷みや虫の糞などの汚れは目立つ。
月桃の花言葉は「爽やかな愛」。このような姿を見るとうなづける。
月桃の花の写真をもっと見る。
→ 「雨に濡れる月桃の花」(2018年4月18日)
→ 「月桃の花」(2017年6月5日)
月桃の名前の由来だという桃のような白い小さなつぼみや花、赤い実の付いた月桃は
絵心を誘うと思うが、多くは描かれていないのではないか。奄美の自然の草花を日本画
で描いた田中一村の画集を調べて見たら描いていた(「奄美の杜④ ~草花と蝶~」と
いう題名の絵)。
那覇市か宜野湾市のジミーベーカリーのレストランで月桃の花の写真を見た覚えがある。
構図もよくきれいな写真だと思った。かなり昔のことなのだが今もあるだろうか。
下の絵は、4年前に万年筆と色鉛筆で描いた月桃の実の絵。
野で見つけた赤い実が美しかったので手折ってきて長い間机においていた。だんだん
朽ちてきたので、捨てる前にと大宜味村喜如嘉の窯元で購入した湯飲み茶碗に入れ
て描いた。
この茶碗は売り物でなく、売り場の壁の横柱に無造作に置いてあった。水を入れると少
しずつ減っていく。水が漏るのだから不良品だが、芸術家としては色柄や形に味わいが
あり捨てがたく取って置いた作品だったのだろう。
水が漏るので使用できないことを承知で購入した思い出の茶碗だ。
茶碗の青い模様はオクラレルカの花をイメージしていると作者は話していた。この茶碗
は上部が欠けてしまった。鉛筆立てにしている。
月桃の花を見ると、去った沖縄戦での体験を思い出しつらい気持ちになる方々もい
ることを、慰霊の日の新聞の特集記事で知った。あの時も、今のように戦場にはきれ
いな月桃の花が咲いていたと語る体験者の話が載っていた。
それ以来、南部の海近くや野辺で月桃の花を見ると、壕を追われ艦砲射撃や空爆
から逃げまわりアダンや月桃の葉陰に必死で隠れている母子の姿を思い浮かべる
ときがある。
戦没者の遺骨収集で幾人かの方から戦場での体験を聞いたが、語る機会がなかっ
たか、あるいは語ることの苦しさ・つらさから語らずに亡くなった方も多いことだろう。
私の父親も戦争体験を話したことがなかった。島に残った家族は集団自決で皆亡く
なっている。
「月桃」という歌がある。
海勢頭(うみせど)豊さんの作詞・作曲。悲惨な沖縄戦を描いた『GAMA 月桃の花』
の挿入歌である。
月 桃
1 月桃ゆれて 花咲けば
夏のたよりは 南風
緑は萌える うりずんの
ふるさとの夏
2 月桃白い花かんざし
村のはずれの石垣に
手に取る人も 今はいない
ふるさとの夏
3 摩文仁の丘の 祈りの歌に
夏の真昼の 青い空
誓いの言葉 今も新たに
ふるさとの夏
4 海はまぶしい キャンの岬に
寄せくる波は 変わらねど
変わるはてない 浮世の情け
ふるさとの夏
5 六月二十三日待たず
月桃の花 散りました
長い長い 煙たなびく
ふるさとの夏
6 香れよ香れ 月桃の花
永久(とわ)に咲く身の 花心
変わらぬ命 変わらぬ心
ふるさとの夏
(追)2017年3月12日、沖縄タイムスの「タイムス俳壇(3月)」に月桃を
詠んだ俳句があった。
月桃の歌に込めた傷の痕 (徳元麻衣(うるま市))
摩文仁の海
摩文仁の断崖の穴で終戦を迎えたある方が話してくれた。
「わたしたの隣にいた日本の兵隊が、ひとり海に向かっていった。
10メートルほど海に入ったところで突然爆発した。
手榴弾で自爆した。私たちを巻き添えにしたくなかったのね」
摩文仁の海
今日の雲
かなとこ雲
夕陽に染まる積乱雲のかなとこ雲。うるま市の宇堅ビーチから撮影。
この雲は何に見えるだろう
金魚に見えない?一枚撮ったらすぐに消えた。北中城村にて撮影。
宇堅ビーチの入り口で痩せた小柄の黒猫を見た。カメラを向けると古いコンテナの
下に逃げて隠れじっとこちらを見ていた。