てぃーだブログ › カメラと沖縄を歩く

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Posted by TI-DA at

2019年08月31日

ある8月の早朝


                                               
            

 街が眠りから覚める頃。トワイライトの美しい東の 
 空に三日月が浮んでいた。
 と、渚に出る小径の先に一つの人影が現れ、
 しばらく佇んでいる。

 急いでシャッターを押す。
 まもなく影は海の方にふうっと消えた。
 

 シロガシラの鳴き声であたりが賑やかになる。
 渚に出た。どこへ去ったのだろう。人影はもうな
 ない。幻を見たかのようだった。




  月はあおじろくおごそかにのぼってる
  その悲しげな光のなかに
  おもたくうれわしい夏の夜は
  ほのやみと沈黙にみち
  やさしい風のさと過ぎる青空のゆりかごに
  ふるえる樹木 鳴く鳥を 静かにゆすっている



      ヴェルレーヌの詩「鶯(うぐいす)」より
      訳:橋本一郎          
 
                 
 ヴェルレーヌはフランスの詩人。1844~1896。







 グンバイヒルガオが広がる砂利の浜。波音が心
 地よい。渚を歩きながら、故郷の夜の枕元に寄
 せては返す波の音を思いだした。泳ぎ疲れた一
 日の波枕で深く眠りに落ちていく夏の夜。

 人生が舞台なら自由な小鳥を演じていた幼年
 時代。誰もが貧しかったが、離島で生まれ育ち
 確かに自然で心は満ちていた。


 すっかり明るくなった。雲が湧いてきた。公園を
 ウォーキングする人々が行き交う。
 モクマオウの下に座り静かに海を見ている影が
 ある。
 


   寂しさや波打つ岸の音寒く  (新垣善功)




 




 台風が少ない年は、グンバイヒルガオは海に向
 かって浜によく広がるそうだ。
 
 

追記 

 ブログの容量が満杯となり、当ブログの継続が困難
 になったので「カメラと沖縄を歩く」は2019年8月で
 終了しました。ありがとうございました。

 9月から新改装の「カメラと沖縄を歩く」で始めました。
 しかし、ネットの検索ではヒットしないようです。
 ティーダブログさんから

 「 https://sekiun2019.ti-da.net/

 で検索できると教えて頂きました。
 
  



Posted by 流れる雲 at 10:06Comments(2)風景

2019年08月24日

シロオビアゲハ蝶




 小雨の日。通りすがりに民家の庭から屛越しに咲く
 オオゴチョウの花を見かけた。
 

 オオゴチョウは沖縄の三大名花の一つ。他の二つ
 はデイゴとサンダンカ。


 オオゴチョウの花を撮りたかった。車を止め近寄る
 と小雨が落ちる中を蝶が数匹花から花へと飛んで
 いた。シロオビアゲハだった。







 花びらの先のしずくの輝きが美しかった。そして花
 の周りには蝶


 
 どこでも普通に見かけるシロオビアゲハだが、
 小雨に濡れるオオゴチョウの花と蝶の組み合わせ
 にはそうめったに出合えない。車を邪魔にならない
 場所に寄せ、手にした傘の扱いに苦労しながら撮
 った。







 背景に民家の壁や屋根が写らぬよう構図を作る。
 どの蝶も吸蜜に夢中。
 






 黒地に白い帯があるのでシロオビアゲハ(白帯揚羽)
 という。とてもシンプルで名を覚えやすい蝶。

 
 ただ、雌にはベニモンアゲハの斑紋に似せて擬態
 した雌もいる。
 この場合、蝶に素人の我々にはベニモンアゲハや
 他の幾つかのアゲハ蝶と、現場ですぐには識別で
 きない。

 図書館から蝶の本を幾つか借りて調べることにな
 る。
 最もいい本は『フィールドガイド 日本のチョウ』
 (日本チョウ類保全協会編、誠文堂新光社)。
 これは素晴らしい!一冊は欲しい蝶のガイド本。

















 
 10数分ほどたっただろうか、1匹2匹と飛び去って
 やがて花だけになった。
 アゲハ蝶がいなくなると雨に濡れる花はなぜかさび
 しい。








 ここはゴールデンシャワーの花でよく知られた本部
 町嘉津宇。民家裏の通りの仏桑花の生垣。
 
 赤い花を好むアゲハ蝶が吸蜜に寄る。静かな山す
 その小さな集落。空が広いので青空をバックに蝶
 が花の上を飛ぶ姿が撮れる。


 古波(こなみ)さん夫婦は、ゴールデンシャワーは
 今年は花の付きがよくないと残念そうに家の奥か
 ら話す。それでも他より花は咲いていた。

 昨年見た仏桑花の花垣に蝶は来ているだろうか、
 裏の通りに寄ってみた。







 高い枝の花にいる蝶を見つけた。
 うまくいけば飛ぶ姿が撮れる。
 







    夏蝶の放ちしごとく高く飛ぶ 

                (安部みどり女)
   






 風に乗りどこかへ飛び去った。


    
    揚羽蝶吹き飛ばされて戻り来ず 

                 (右城暮石/うしろくれし)


    意のままに飛びて飛び去る夏の蝶   (同上)



 
 俳句では「蝶」は春の季語になっている。

 「蝶は厳冬期を除き一年中見られるが、とくに春は
 花も多く、もっとも多く発生するので春季のものとさ
 れている。春以外の季節に見られるものにはそれ
 ぞれ季節名を付けて呼び区別する」
 と、その理由が入門歳時記に書いてあった。
 
 
 夏には大型の蝶が多い。 
 「揚羽蝶」を詠んだ場合はどうなるか、揚羽蝶など
 のような大型の蝶は夏に多く見かけられるので、
 「揚羽蝶」は夏の季語になるようだ。

 シロオビアゲハの大きさは48センチ内外と本に書
 いてあった。







 シロオビアゲハの雌。

 いい天気だ。雲が流れ葉陰を漏れる日射しにてか
 てかと葉が白く写る。花の色も飽和気味。


 シロオビアゲハの雌には、二つの型がある。
 シロオビ型とベニモン型の二つである。


 シロオビ型は雄と同じで背中に白帯をもつ非擬態
 型。ベニモン型は、毒を持つベニモンアゲハに擬
 態した型でベニモンアゲハに似ている。
 このような擬態を「ベイツ型擬態」というそうだ。


 ベニモンアゲハは喰ってもまずいという。そのまず
 さを学習した鳥などの捕食者に、ベニモンアゲハに
 似た擬態型は襲われにくくなる。


 じゃあ、雌の全部がベニモン型に擬態すればいい
 のではないかと思えるがそうはいかないそうだ。


 そうなると毒を持たないシロモンアゲハの擬態型が
 ベニモンアゲハより多くなり、捕食者の学習効果が
 薄れてしまうという。(東 清二編著『沖縄昆虫野外
 観察図鑑』沖縄出版)


 なぜ雌だけが擬態するのか。知的興味がふうせ
 んのように膨らんでいく。その答えは図書館で借
 りた別の本(伊東嘉昭著『琉球の蝶』)に書いて
 あった。

 でも一般向けでなくマニア向け用。読むには根気
 がいる。それですぐ眠くなった。何回か読み直す。
 年齢をとったとつくづく思う。

 





 
 ベニモンアゲハに擬態したシロオビアゲハと本家の
 ベニモンアゲハとはどう区別するのだろう。


 図鑑を参考にする。写真で見比べると、横から撮っ
 た写真だとすぐ判別できた。
 ベニモンアゲハの腹部は鮮やかな赤い色をしている。
 翅は擬態していてもシロモンアゲハの腹は赤くない。








    夏の蝶日かげ日なたと飛びにけり

                  (高浜虚子)
   

 虚子の句のとおり蝶が飛ぶ。日かげ日なたとカメラ
 を向ける。ときどき逆光になる。
  
 

    夏の蝶高みより影おとしくる

              (久保田万太郎)
    

 蝶や鴉を撮っていると地を飛ぶ黒い影には敏感
 になる。すぐに空を見上げる。まあ、たいていは
 もう間に合わない。


 大型の蝶の多い夏ならではの句だと思う。
 小さくても高く青空や白雲に浮ぶシルエットは美
 しい。







 じっと花からうごかない蝶がいた。蜘蛛の糸にでも
 かかったかと思いそっと触れてみた。そうでもない
 ようだ。注意して見ると仏桑花の花の中に潜んだ
 小さな黄色い昆虫(蜘蛛?」)に捕まれていた。







 シロオビアゲハの雌(ベニモン型つまり擬態型)。

 センダングサにもよく吸蜜で訪れている。


 





 これは中城村の遊具のある公園の林縁で撮った。
 遊歩道入口の端に植栽された房状の花に数匹が
 吸蜜に訪れていた。
 
 花はメキシコが原産のベニチョウジ。2メートルほど
 の低木だった。花の周りを飛び交う姿を遊歩道から
 正面や上からじっくり撮ることができた。
 

 遊歩道は林の中に設置されてる。全長は200メー
 トルほどあっただろうか。遊歩道沿いにセミの鳴声
 やアゲハ蝶以外の蝶も楽しめた。













 シロオビアゲハの雄(右上)がふわりと吸蜜中
 の雌の前を飛んで行った。







 その雄戻って来て、雌の後方から接近。









 

 フラレてしまったのだろうか。






 このあとも雌の蝶に接近を試みていた。
 















 後翅に敵(鳥?)の捕食から逃れたと思われる大き
 な痕がある。



 雌は雄よりも狙われやすいらしいが、この蝶は雄と
 同型(非擬態型)の雌だろうか。


 同じ型のシロオビアゲハの雄雌はどう見分ければ
 よいだろうか。


 『フィールドガイド 日本のチョウ』のページをめくっ
 ていたら、蝶の一般的な「オスとメスの識別」があ
 った。実に到れりづくしの内容がつまった本。

 いくつか参考になるところを抜き書きした。

   
 ●体全体の大きさは一般にオスよりもメスが大きい。
  大型アゲハチョウ類などで特に顕著。

 ●オスの複眼はメスよりもやや大きい。触角も前翅
  の長さと比較すると相対的にオスの方が長いも
  のが多い。 


 ●翅には多くの性差が見られる。

 ●一般に翅形では前後翅ともオスの翅頂部がより
  尖り、メスでは丸みが強い。これに伴ってメスで
  は外縁も丸みを帯び、わずかに横長となるもの
  が少なくない。


 ●腹部は普通オスよりメスが太いが、吸水後のオス
  や産卵をほぼ終えた末期のメスでは判別が難し
  い場合もある。

 ●腹部末端にある交尾器(生殖器)は構造が異なり
  顕著な差があるので識別形質としては最も有効。
  特にアゲハチョウ科・・・ではオスの把握器(バルバ)
  がむき出しとなる。
 
 

 つかまえて観察しないと判別できない事項もある
 が、前翅の形での識別なら、花で翅を広げている
 と容易に観察できるかと思いもする。

 しかし、それも相対的なものなので、同じ型を多
 く見慣れる必要があるだろう。
 
 
 結論。やはりシロオビアゲハの雄と同型の雌の
 判断はすぐには無理か。








 大宜味村大保ダム。花壇のサンダンカの花の上を
 数匹飛び交っていた。大保ダム周辺は蝶が多い。

 それにしてもアゲハ蝶の雄は、年中ホントによく
 雌を追いかけているように見える。







 本部町の伊豆見の山地で見かけた。
 花は、図鑑の写真からするとベニツツバナ。南
 アフリカ原産という。


 右側の蝶はシロオビアゲハの擬態型の雌だと思っ
 ていたが、前翅裏の基部に赤い斑紋がある。
 図鑑で調べるとナガサキアゲハの雌のようだ。
 

 左のシロオビアゲハはシロオビアゲハの雌(擬態
 型)と誤認して求愛しているのだろうか。
 


 アゲハチョウ類が求愛行動でメスを探す最初の手
 がかりは翅の黒い色らしい。そのため、

 「・・・雄にも雌にも接近し、前脚で翅に触れてそこ
 で科学物質を感知する等あらゆる方法で雌を認知
 し、交尾に到る」という。

 上掲の写真のシロオビアゲハの雄は雌を誤認した
 とは言えなくなる。誤ったのは無知なこちらの方。

 
 なぜこんな面倒な進化をしたのかと思うが、この話
 は大城安弘著『琉球列島のチョウたち』のなかにあっ
 た。発行者はユーモアがある。「鳴き虫会」となって
 いる。

 











 クマタケランに訪れたシロオビアゲハ(擬態型)。
 
 本部町伊豆見の山中にある喫茶点の駐車場で見
 つけた。ここも蝶をよく見かけた。







 大里城趾公園の駐車場。仏桑花の鮮やかな赤い
 花が見事に咲いていた。


 一年中咲いている仏桑花だが、これを見ると夏の
 季語になっているのが分る。盛花の時期は夏なの
 だ。
 


   仏桑花日向の赤の深かりき

               (すなかわ喜代)
 

   仏桑花やけつくまでに身をそめて

                  (江牧博司)


 なお、大里城趾公園も蝶が多い。グランドゴルフ
 場左奥の林の縁では、花の時期には5~6種以
 上の蝶を見ることができる。


 




 アゲハ蝶など2~3種の蝶が花々から吸蜜し廻っ
 ては飛び去り、しばらくするとまた戻ってきたりを繰
 り返していた。


 しかし、アングルのいい場所で撮ろうとじっと動か
 ず待っていてもなかなか来ないことが多い。
 

   
   よく見むとせしつかば揚羽来ざりけり

                   (山口誓子)  

  
 適当にその場を離れて待つか去るかになる。
 性格的には大かた去る。道草ついでに来て時間
 つぶしに少し待ってみることもあるが・・。
 蝶よりは雲が好きだ。


 
   我もまた風に吹かれて夏の蝶 



 




 右の蝶は何という名の蝶だろう。
 ナガサキアゲハ?それともクロアゲハ?
 素人には図鑑を見ながらも分らない。














    道草の楽し楽しと夏の蝶  (小松澄子)


 
 あちらこちらうららうららと飛びまわっている蝶。
 蝶も私のように道草を楽しんでいる。

 

    俳諧を少し忘れて蝶になる (平敷千枝子)



 次のような句もある。


    咳き込めば蝶逃げ去りさびしさよ (国頭時雨)


 逃げられない前に出合った蝶とのひとときを共有
 し、しばらくぼーっとしている方が時間の過ごし方
 としてはいいかも知れない。
 句はあでも詠めるが蝶は逃げられたらそれまで。


 
   しばらくは狂ってゐなさい蝶飛ぶまで

                  (山田昌子)  


 掲載した句は、山田昌子句集『薫風』所収。図書館
 の棚で見た。句のイメージを描こうとするが難しい。


 蕪村に「うつつなきつまみごころの胡蝶かな」という
 句がある。「うつつなき」は正気でない夢見心地の
 ような意味だという。それに近い感じだろうかと勝手
 に想像して見る。


 蝶と関係ないが『薫風』から、他に気に入った句を
 ふたつ。
    

    飽きるほどバラ見て草に寝転びぬ


    けんか売りますの札(ふだ)北風の辻  








 もつれもつれつ高く舞上がって行く2匹。













      ふかい
      ふかい
      なんともいえず
      此処(ここ)はどこだろう
      あゝ 蝶々


           山村暮鳥詩「蝶々」 
              








 別の蝶も飛んできた。
 戯れ合うかのようにふわりふわり高く飛ぶ。
 


    蝶と舞う夏の一夜の夢浅く 







 花の名はヤナギバルイラソウ。
 道端の水の流れる溝沿いに群れて生えていた。
 メキシコ原産。今は雑草のように多く咲いている。
 静かなで可憐な紫の花が美しい。

 










 鳥に襲われたか前翅が傷ついている。












 傷ついた勇士の姿にかっこよく撮れた。

 

 シロオビアゲハ。
 日本での分布は奄美諸島以南。九州南部(鹿児島)
 では迷チョウとして希に記録されるという。

  

Posted by 流れる雲 at 10:00Comments(0)

2019年08月14日

天仁屋バン岬の褶曲




 名護市天仁屋(てにや)のバン岬。
 地元ではバンザチとよぶ。






 
 右手の断崖の中腹の奥に鳥の頭のような影と
  なって見える岩。バン岬で最も美しい岩山。


 ここには数回来た。もう一度あそこまで行きたい。
 天仁屋の浜から1.5キロほどの距離。






 羽を休めた巨大な岩の鳥。バン岬の象徴。


 
 沖縄本島の海岸を歩きまわっていた頃があった。

 天仁屋~バン岬~嘉陽の海岸線を歩いた数年前、
 太ももまで海の中に入り10メートルほど、岬の先
 端を渡るとこの岩山に出合った。


 この下の岩場で休み、それなりにカメラも向けたが
 絵として撮るにさほど美しいとは思わなかった。


 その後、神谷厚昭(こうしょう)氏の著書『琉球列島も
 のがたり』(ボーダーインク、2007)の表紙をかざる
 写真でこの岩山の美しさを知った。

 





 神谷厚昭さんは、表紙はバン岬の写真である。太
 陽が順光になる午前中が写真を撮るにはいいと
 教えてくれた。


 しかし、まだ思う絵は撮れていない。 
 海底の滑りやすい足元と波に注意しながら岩壁
 沿いに海中を歩くことを思うと気が重かった。


 潮位がとても低くなる大潮の日であれば海岸を歩
 いて行ける。そのような大潮は年に数回だと嘉陽
 でカフェを営む男性が最近教えてくれた。


 その年に数回の大潮の日が数日後にあった。
 






 
   
   峰雲や大褶曲は空に切れ  (一香)


  
 『琉球列島ものがたり』所収の句を引用。
 この読みやすく教科書のような素晴らしい本は
 もう絶版のようだ。書名を変えて新書版が発行
 されている。

 


 名護市嘉陽層の褶曲を見に行こう。 

 
 この文句は、名護市教育委員会が発行した小冊子
 『名護市嘉陽層の褶曲 ハンドブック』(平26、全38
 ページ)の中ほどに記されていた。


 天仁屋川の河口からバン岬にかけて見られる嘉陽層
 の褶曲は国指定の天然記念物(平成24年指定)。
 素晴らしいダイナミックな景観は一度は是非見てお
 きたい。  


 ハンドブックには現場での見所のポイントのカラー
 写真が載っている。
 

 300円~500円するかと思った。「無料」だと親切
 な係員は嬉しくなる言葉を返す。
 もっと早くハンドブックのことを知っておれば良かっ
 た。


 名護市教委の文化財係(名護市博物館内の2階。
 雨の日は2階に上がる外階段で濡れる。つまり傘
 が必要)でもらえる。バン岬に行く前に是非手に入
 れておいた方が良い素晴らしい冊子である。

 
   文化財係 0980-53-3012







 天仁屋集落から天仁屋の浜に下る坂道の途中か
 ら望むバン岬のある天仁屋後原(クシバル)の山。
 やや満潮どきの海岸。
 






 坂道途中の曲がり角に海岸を一望できる場所
 がある。
 
 左端は天仁屋川から海への流れ。


 向かいの海中の岩山(中央)はトゥバヤーとい名。
 集落の信仰の対象。天仁屋集落の拝所は5カ所、
 そのうちの1つである。
 ニライカナイからの神が降り立つ場所として崇めら
 れたのではないかという。
  


 八チウクシ(初起し)やウニムーチー(鬼餅)の日の
 集落行事では他の拝所とともに拝む場所だった。
 集落にある4カ所を拝んだあと、トゥバヤーを拝み、
 最後はアサギに帰る。

 
 「イノーには、海の彼方から文化・幸福をもたらす
 ニライの神様を祀る御獄(ウタキ)、あるいは休息・
 滞在なさる岩島、そして死んだら自己の産まれた
 原郷に帰るとの思想に都合のよい葬地の霊地な
 どが存在している。」


 「遙か遠い彼方に満ち足りた国、かつあらゆるも
 のの根元の国が存在する。・・・その国はニライ
 カナイと呼ばれる。」

 「海の彼方のニライカナイから神が我々に幸福を
 与えるべく白帆の船に乗って来訪する。神は天上
 からではなく、水平線の海からくるのです。」
 
 と仲松弥秀先生は『うるま島の古層』(梟社、1993)
 で語っている。
 また、このような思想・信仰は琉球弧の島々以外で
 もあるとその例をあげている。







 満潮の時は海岸沿いをバン岬に歩いていくことは
 出来ない。潮の引くのを待つ。






 潮が引いた浜。


 潮が引くまでのしばらくの時間は辺りを散策し蝶を
 撮ったりしながらつぶした。







 天仁屋集落内を海岸に向かってまっすぐ進み、
 S字になった急な坂を下ると浜に出る。


 右端の流れは天仁屋川。
 左端に、嘉陽層の褶曲が国の天然記念物(地質)
 に2012年(平24)9月19日に指定された説明の
 碑が設置されている。指定は最近のことなのだ。


 浜には車が数台駐車できる。
 初めてだと潮が満ちたら車は大丈夫か気になるが、
 心配ないと地元の方はいう。

 
 雨による天仁屋川の増水時の様子は見たことが
 ないので分らない。駐車も出来なくなるのではないか。







 浜に降りてきた坂道を振り返リ見た風景。
 川の対岸には墓地がある。






 普段の天仁屋川の流れ。
 川幅は3メートルほど。川底は浅い。車によっては
 流れに車を乗り入れ川向こうの浜に渡ることも可能。
 

 この天仁屋川の流れを渡らなければバン岬には
 いけない。
 
 川の中に踏み石が幾つか並べて置かれているが、
 それらの石はあまりに小さく足を踏み外さず渡れる
 かどうか。グラッと揺れる石もある。
 
 慎重に渡れば靴を濡らさず渡れないことはないが、
 避けた方がよい。

 
 




 川は左端の崖にぶつかり折れて海に流れ込む。

 
 この付近がより浅く渡りやすいように思う。しかし、
 適当な踏み石を見つけきれないと、やはり足を踏
 み外し靴の中まで水を入れてしまう。
 

 どの場所を選ぼうと、濡れるべきか濡れざるべきか
 ハムレットのように悩む。
 

 その点、長靴なら安心で適しているのだろう。
 濡れてもよい服装に靴そして予備の替え靴と着替
 えを持っていれば気も楽になる。
 そのほうがいい「帰宅時も快適です」と名護市の
 ハンドブックも教えている。







 バン岬に向かって浜から進む。
 約1.5キロの距離は大人の足で片道おおよそ40
 分~50分。 


 途中、崖や岩塊が海川に突き出した数カ所あり、
 前述したようにある程度潮が引いていないと途中
 で海の中に入ることになる。

 
 市教委のパンフレットは気象庁の潮位表の時間を
 「天仁屋の場合、30~40分前倒しする」と細かく
 親切なアドバイスをしている。


 靴や服を濡らすことを気にしなければそんなに神
 経質になることはないと思うが・・・・。
 事前に潮の満ち引きの時間帯を調べておくことは
 どうしても必要。

 
 海岸の遠くに見える車は釣り人のもの。
あの辺り休日にはキャンプのテントを見ることもある。







 岬の方に向かうゴムボート。岬を廻り嘉陽の方角
 へ消えた。

 
 去った8月1日~3日は大潮。
 しかも潮位が数センチ以下に下がる大潮の日。た
 またまだが幸運だった。ゴムボートはなくても歩い
 てバン岬を越えて行ける。 



 人の気配は意外と感じる。
 釣り人、サーワァー、干潟や浅瀬で遊ぶ親子づれ
 など見かける。観光客の車ともときどきやってくる。
 さびしい場所ではない。








 奥に横たわる岬は天仁屋の東の天仁屋岬。
 天仁屋の海は天仁屋岬(ティンナザチ)とバン岬
 (バンザチ)に抱かれている。


 天仁屋岬までも大潮に歩いて行ける。
 天仁屋岬を越えてさらに海岸を北に向かうと美しい
 数百メートルも続く砂浜がある。
 

 バン岬への海岸を歩きながら遠く天仁屋岬を眺め
 る天仁屋の海は美しい。



 「毎月1回、15日の大潮には必ずムラの南~東の
 海に出てヒシ(干瀬)まで渡った。引潮の時間の
 関係で、夏の時期は昼に、冬は夜のイジャイ(松明
 漁)である。魚を突き、タコを探し、貝をとった。
 これらは老人や女子供の楽しみであった。」(名護 
 市史)と昔を知る老人は懐古する。
 
 






 ミジュンの影を求めて海面をじっと眺め渡す。
 ミジュンの群れの黒い影は浅瀬近くま遊泳してくる。
 それを、腰を低くかがめゆっくりと進み狙いすまし
 て網を投げる。

 この時期ミジュンの群れが寄せてくるそうだ。 






 ミジュン(小鰯/こずん)はイワシの仲間の十数センチ
 ほどの小さな魚。

 沖縄民謡の谷茶前節(たんちゃめぶし)に唄われてい
 るあのミジュン。

 
 昔、天仁屋川の河口と隣の有津川河口は山原船の
 寄港地。

 船主の姓か屋号だろうか、松堂、川端(ともに平安座)、
 伊礼小の山原船が帆をあげて出入りしていたという。


 薪や木炭などの林産物と生活物資の交換が行なわ
 れ、その積み出しで賑わっていた時代があったのだ。
 
 今は船着き場の痕跡もなく、その光景を思い描くこと
 は難しい。諸行無常。
 






 すぐ上の写真の露出した地層に近寄り、低い
 アングルから空と雲を入れダイナミックな構図
 をつくった。


 




 大小の礫石が多く歩きづらい。







 砂岩優勢互層に見られる大規模な褶曲と逆断層。

 名護市教委のハンドブックに添えられた写真と同じ
 場所である上の写真。説明を読みあらためてじっく
 り見る。右上の黒褐色の山肌部分をよく眺めると、
 左側に倒れた大きな褶曲のカーブが描けてきた。



 「天仁屋川河口からバン岬にかけては褶曲構造に
 ともなって、南に向かって倒れ込むような形の逆断
 層がいくつも観察できる。

 褶曲は、砂岩層が多いところでは大きく褶曲し、頁
 岩(泥岩)層が多いところでは細かく褶曲するといっ
 た違いを示している。

 「これらの地層は、全体的にバン岬に向かって倒れ
 込んだ形の逆転した地層群で、南側(バン岬側)か
 ら北側(天仁屋側)に向かって動いたプレートの運
 動によってできた構造だと考えられている。

 つまり、嘉陽層の褶曲・断層構造は、プレートの動
 きに忠実な記録というわけ。

 嘉陽層は、当時の海溝を埋め立てた堆積物で、琉
 球列島に付加した地層の中では、もっとも新しい地
 層ということになる」

 ーーこの『琉球列島ものがたり』の記述を念頭に風
 景を見て、地球的規模の地殻変動と時間をイメージ
 すればいいのだろう。と思うが、浮ぶのは本の中の
 いくつかの図。しかたがない。 
 


 海岸沿いにはバン岬先端まで崩落カ所が多い。
 また、山反対側の嘉陽側では山頂近くから海岸まで
 大きく崩れ落ちている場所もある。
 嘉陽層は極めて崩落しやすい地層なのだろう。







 斜面や崖の崩落があちらこちらで起きている。
 
 
 ここらあたりまでは満潮でも来れる。
 

















 ときどき振り返る。写真を撮りはじめた頃からの癖
 になっている。
 歩いて来た場所がまるで新しい風景に見えること
 がある。
  






 バン岬はまだまだ先。

 潮に濡れた岩場は滑りやすい。うっかりしてまだ乾
 いてない岩の上に足を踏みだし滑りそうになった。

 カメラを持っている場合は特に気をつける。

 





 数分進むと1.5メートルほどの岩壁が行くてを遮る。
 岩は低いので乗り越えられるが、角度があるので身
 体が重たいと、多分にやや手間取る。

 面倒臭がらずに、滑りやすくなった足場に気をつけ
 ながら潮が引いている海側から廻りこんで横切る。

 










 断崖を見上げる。白雲が流れていく。いい天気だ。
 鼻先には磯の匂い。太陽もかなり高くなり動いている。
 







 崩れ落ち波に洗われ丸くなった大小の石は、岬の
 先端まで海岸を埋めている。

 なかにはサンゴの丸くなった白い石も混じっている。
 イノーが海を囲み、干潮時には沖に白波が立つ。












 大規模な褶曲と逆断層。






 上の写真の中央部分。
 褶曲が急角度で折れ曲がり倒れ込んだ部分では地
 層の逆転が見られる。








 遠くから全体を一見すると、山水画を思わせる
 風景。







 この間を通って進む。
 ここも潮が満ちると歩けなくなるのが分る。













 雨が降り続いた後などは頭上要注意。
 
 事前に地元で「当日の海の状況や崩落カ所につい
 ての情報を確認する」ことと『ハンドブック』は注意を
 している。







 山腹にユウナの樹。目をこらしてよく見ると黄色い花
 が無数に咲いていた。

 ユウナは潮風の厳しい環境にも強い。そして黄色い明
 るい花を咲かせる。ウチナーンチュの根性と開放的な
 気風を持った樹木だ。

















 茜色の地層の色合いに惹かれ岩壁を強調して撮
 った。

 朝陽の当る時間だとこの崖は美しく輝き、いい作
 品が撮れるかも知れない。絵が浮んでくる。







 海岸の半分ほどは歩いて来ただろうか。
 
 写真中央奥に見える岩塊が海にせり出した場所を
 越えれば岬の先端が見えてくる。

 途中の地層や褶曲、空の雲を追い海を眺めなが
 ら。
 











 
 上の写真の左(南)側。つまりバン岬の側。

  
 ここら辺りから南側では地層の単層の厚さが薄く
 なり、また泥岩の割合が増加する。層の厚さが薄
 くなると細かな褶曲が発達する。とハンドブックは
 教える。

 教えられた目や脳はそのように地層を眺める。













 海と空が大きく開けた岬の先端が前方に見えてくる。








 崖はかなり高い。人間の数倍の高さ。
 







 近寄りやや斜め横から見る。






 さらに岩壁に寄って迫力を出す。











 バン岬先端。




















 バン岬では約5000~4000万年前という気の
 遠くなるような時代(始新世中期)に水深3500
 ~5500メートルの深海の底に棲んでいた生物
 の化石(生痕化石 せいこんかせき)が見られる
 という。(『琉球列島ものがたり』)


 名護市教委のハンドブックにもその生痕化石の
 写真が載っている。

 バン岬の現場で直に見て撮りたかった。素人で
 も容易に観察できる場所を教えてもらった。それ
 が上の写真の岩である。


 なお、化石の採取は文化財保護法により禁止さ
 れている。行なえば犯罪になる。
























 干瀬の岩の上から天仁屋側を望む。
























 上の写真中央下の褶曲(大きく切り取った)。






 
 
 このイノーに突出た岩場を渡り反対側に進む。
 この日(8月1日)は干潮時の水位が3センチ
 (翌日は1センチだった。歩いて行ける最高の
 日だ。

 
 写真中央の暗い陰になった窪みに鋭角の褶曲
 (次の2枚①②)が見られる。
 また、左端の岩にも見事な褶曲が見られる(写
 真③)。
 






 写真①







 写真②







 写真③ この褶曲は岬の反対側へ渡る途中の岩
 の上で間近で見れる。
  




  岬の反対側へ向かう


 しばらく岩の上で休憩。ペットボトルの水を飲み辺
 りの景観を楽しんだら、岬の反対側へ。







 岩壁に足をかけたりしながら渡った。
 潮位はまだ完全には下がっていない。
 帰りの時間も考慮し渡れるときに渡る。


 過去3回はここを海に中に入り渡った。
 カメラや予備のバッテリーなどをビニール袋に入れ
 防水しリックを背に恐るおそる進んだことが夢のよ
 うだ。







 渡りきる途中、前景の写真に見える岩壁に登る。
 その上から撮っておきたかったのがこの写真。

前面からだと,横倒しなった大褶曲であることが
 わかる。 



 左端が冒頭に掲載した先端を空に突き出した岩。
 











 すばらしい心打つ岩山の姿。来て良かったとつく
 づく思う。


 できれば、辺りを飛ぶ鴉になってあの天辺の岩の上
 に休みたい。


 眺めながら数千万年前という地球の時間にふたたび
 想いをめぐらす。

 

 雲が湧き多くなった。
 遠く眺めると嘉陽の海のイノーを薄綠色の干瀬が広
 がっている。嘉陽にはよく来ているが初めてみる光景
 だった。


 









 周りは剥落した大きな岩塊が多数転がっている。


 
 これも昔のこと、バン岬には烽火(のろしび)台が
 置かれ山詰所も設置されていたと、名護市の市史
 に書かれている。以下にその引用。


 「1644年に沖縄本島や各離島に烽火台が置かれ、
 唐船や異国船それに大和船などの監視にあたら
 せた。

 バン岬の烽火台は、本島東海岸の監視にあたらせ
 現在の東村のイユー(魚)からの連絡を受け、与那
 城間切の宮城島に連絡したという。
 また、日露戦争のときも監視所として指定された。」


 
 その烽火台はどこに設置されていたのだろうか。
 忙しいだろう文化財係の係員がハンドブックの地図
 でその位置を示し教えてくれた。

 烽火台の場所を指した指先が指された小さな地図
 の上をはみ出し、岬先端のかなりの範囲を覆う。
 点ではなくて大きな面なので分かりづらい。それを
 あとは言葉で補う。


 教える係員の頭の中にあった具体的場所と、それを
 聞いて想い描いた場所がどれほど一致していたか。


 自信はないが、 たぶんに、おおよそこの辺りだろう
 と思ったのが、上の写真で山の稜線がへこんだ辺り
 か、その右側の岩山の近く。
 当らずとも遠からずだろう。


 無風なら烽火の煙が空高く舞上がり、潮風が強いと
 横にたなびき上下し流れていったのだろう。煙にまか
 れながら一生懸命薪をくべ火を焚く詰め所の遠見係
 の姿が目に浮ぶ。


 見たいと思った烽火台の跡は残念ながら残っておら
 ず正確な場所は特定できないようだ。


 なお、沖縄本島に設置された各烽火台の場所が記
 された図が今帰仁村立博物館に掲載されていた。












 
 岬側から嘉陽方面を望む。
 図で見ると、バン岬の天然記念物指定の範囲は、
 嘉陽側は長い砂浜のある辺りからになっている。


 遠くに大きな崩落カ所が見える。


 嘉陽までは1時間ほどの距離(約3キロ)。途中、
 海にせり出した岩場が数カ所ある。
 嘉陽側の海岸線も大潮のときでないと歩くのは
 難しい。


 
 天仁屋よりもイノーは発達しており、海岸には砂浜
 も何カ所かある。
 しかし、嘉陽集落の浜まで行くと、満ち潮で天仁屋
 にはおそらく海岸線を戻れなくなる。







 バン岬を去る。
 大潮の時の海岸や嘉陽の海のイノーの様子を
 見ておきたかった。






 海岸にぽつんと1つ転がっている褶曲岩の塊。

 その形から勝手に素人想像する。先端のあの岩
 山の褶曲の一部が剥がれ、ごろごろとここまで転
 げ落ちてきたたのではないかと・・・。













 山反対側もこのように巨大な褶曲の一部と思われ
 る地形が露出している。

  
 長い海岸をてくてく歩き嘉陽へ向かう。天仁屋には
 国道を越えて帰ろうと決めていた。







 岩礁の上に黒い傘が見えた。年配の男性がひとり
 イノーを眺めていた。








 海岸で嘉陽でカフェ(共同売店の近く)を営んでいる
 という髭の男性に出合った。数日前に話したことが
 あった。


 天仁屋からバン岬を歩いて来たことを話すと、
 「歩けましたか」と嬉しそうに髭の顔がほほえんだ。

 この方から、年数回だが大潮にはバン岬から嘉陽
 まで歩いて来れる。イノーも干瀬が広がり歩ける。
 だが途中で途切れたところがあり、そこは泳がなけ
 れば渡れないと教えてもらっていた。








 顎髭の男性と最初に会った数日前の日の嘉陽の浜。
 発達した巨大な積乱雲がその下に降雨のカーテン
 を垂らし遙か水平線を南からゆっくりと北へ流れて
 いた。

 朝日の名所でもある嘉陽は、実に積乱雲も絵になる。


 左端の縦に伸びた雲は飛行機雲が広がったもの。
 大気が湿っているため長く消えずに巻雲に変化して
 いる。


 砂浜に座り背をかがめているのがその男性。
 積乱雲も素晴らしかったが、それと同じくらいに男性
 の太く黒々とした濃い顎髭も印象に残った。
  

 少し話して男性と別れる。お礼の気持ちもあり男性
 のカフエに立ち寄った。初めて入る。ほんとに小さな
 カフエで手作りの芸術的な雰囲気がある。奥さんが
 いた。ジュースを一杯注文した。


 壁の棚にサーフィンの写真集があった。素晴ら
 い写真だった。カウンターには数冊の同じ詩集。
 表紙の写真に見覚えがあった。オオシッタイで
 会ったことがある四国遍路の話をしていた陶芸
 家の詩集であった。


 ジュースで喉をうるおし、嘉陽の集落を出て国道
 331号線を一路天仁屋へ。
 暑い。日陰から日陰へ移動しながら、再びてくてく、
 てくてく歩く。



 車のクラクションの音に振り向くと、海岸で出合った
 青年が運転する軽トラックが横に止った。
 天仁屋入口でいいと云ったが天仁屋の浜まで送っ
 てくれた。感じのいい親切な青年だった。感謝。


 翌日は天気が崩れた。その後、国道331号線の
 嘉陽~天仁屋間で山崩れがあったことを知った。



 
 〔補追

 天仁屋に伝わる伝説 狩人と牛盗人


 天仁屋の部落が未だ無く、そこがうっそうとした森林
 だった頃、海岸の洞窟を住処にしている3~4人の
 盗賊がいた。
 盗賊達は近くの村から牛を盗み村人たちを困らせて
 いた。

 
 ある日、嘉陽の狩人が犬を連れ狩りをしていたが、
 道に迷っているうちに天仁屋の海岸に出た。

 見ると海岸の洞窟で盗賊たちが牛鍋を前に酒を飲
 んでいた。村人を困らせている盗賊はこいつ等だと
 思った狩人は、犬を使って盗賊たちを捕えた。


 その時、狩人は辺りの地形の良さや水利の良さを
 見て、いい所だと思い、村(嘉陽)に帰ってそのこと
 を話した。

 それから天仁屋の開墾が始まり、今の部落が始ま
 っという。(『久志村誌』より) 


  

Posted by 流れる雲 at 01:00Comments(0)風景

2019年07月19日

沖縄慰霊の日~フォト俳句(4)






   沖縄忌なお地に迷う霊のあり

                       (志多伯得寿)




 日本の国土で唯一地上戦が行われた島。
 一般住民が巻き込まれた未曾有の地上戦で血塗
 られた島。人類の戦争の歴史で類例のない一般住
 民の自決という惨劇が起きた島・・・・沖縄。

 
 太平洋戦争の終結から70数年たった現在も、遺骨
 が不発弾が掘り出される島・・・・沖縄。

 

 沖縄戦の戦没者数。
 米軍1万2520名、本土出身軍人6万5,908名。
 沖縄県出身12万2、228名。総計20万656名。


 沖縄県出身12万2,228名のうち、
 軍人・軍属2万8,228名、戦闘参加者(住民)
 5万7,044名。一般住民(推定)3万6,956名。
 実に県民4人に1人が犠牲となった。
(戦没者数は『ひめゆり平和記念資料館』より)


 6月23日は沖縄慰霊の日である。
 沖縄全戦没者追悼式が糸満市摩文仁の平和記
 念公園で行われる。



 句は『復刻版 南島俳句歳時記』(瀬底月城著)より。
 以下、用いた句は同上書か『沖縄の歳時記』(比嘉
 朝進著)や個人発行の句集などから。












  一日の水断ちにけり沖縄忌

                    (大浜のぶ)
    
 

 大浜のぶさんは自句に次の文を添えている。 
 
 「毎年巡りくる沖縄忌。病身の自分は慰霊祭に行く
 こともできない。せめて一日の水断ちをして、戦死
 者のみ霊を慰めたいと思うのです。」



 上の写真は魂魄之塔。





 

 魂魄之塔を必ず訪れるという遺族は多い。

 

 同様に国立墓苑でも多くの遺族が供花する。
 

 墓苑の祭壇背後の納骨堂(庫)には、火葬場で
 焼いた遺骨を納めた箱が数多く積まれてある。


 昨年、納骨庫の入口を探している遺族がいた。
 親から供花・供物は、祭壇ではなくて入口の前
 で行うように言われたという。


 国立墓苑で、ここではないと祖母から言われ
 戸惑っている遺族にも出合った。
 墓苑と魂魄の塔を間違えて来ていた。しかし
 魂魄之塔の名も場所も若い孫たちは知らなか
 った。
 


 なお、沖縄戦没者追悼式に出席する前に、総理
 大臣はSPにぐるっと囲まれた国立墓苑で供花し
 合掌する。今年も祭壇には総理大臣名の花があ
 った。







 

   涙ついに落す語部沖縄忌

                     (具志堅政正)
  



 写真は糸満市荒崎海岸のひめゆり学徒散華
 の跡地の碑。
 碑のある岩場の海岸へ向かう雑木林の中の
 小径は雨でむかるみとても歩きづらい状態で
 あったが、花が添えられていた。

  
 「最後の場面はほんとに惨(むご)いものでし
 た。一瞬の出来事で4名が即死。10名が自決
 です。地獄そのものでした。」
 と語る宮城喜久子(旧性・兼城)さんの証言を
 末尾に追加した。




  沖縄忌おさげの姉も征きしまま

                       (新垣恵子)









   慰霊の日平和祈念像手解かず
    

                            (大山春明)  
    


 平和祈念像。山田真山画伯(1885~1977)
 が晩年の全生涯を捧げ72歳から満18年の歳月
 をかけて制作した合掌座像。

 国家、人種、思想、宗教を超越した世界の恒久平
 和を祈念し合掌している。








 摩文仁の平和祈念堂に安置されている。


 高さ(座高)12メートル。幅(両膝の葉幅)8メート
 ルの立体堆錦(ついきん)の像。
 鎌倉の大仏(座高11.3メートル)より大きい。


 



 
 像の周りを回りながら角度を変えて撮る。像に
 向かい右横のアングルから見ると、慈愛深い
 顔立ちをしていた。









  果て見えぬ戦後は令和へ沖縄忌
  

   この島の戦後終わらず慰霊の日




 「島に風の絶えることはない」は芥川賞作家大城
 立裕の言葉。昭和~平成と絶えることなく吹き続
 け、令和もさらに強さを増して吹く。

 

 平和の礎前で、白髪に長い白いあご髭の老人に
 出会った。「ようやく親の名前を礎に刻銘できた。
 それを位牌に見せに来た」と念願を果たした喜び
 の顔で、位牌の入った袋を掲げて見せた。
 


  位牌抱き礎と語る沖縄忌

   







    
   沖縄忌夫より老けりし子とともに

                        (大宜味とみ) 




   永遠に若き母なり沖縄忌

                         (芳澤史子) 
                      


 永遠に止った時間のなかの夫あるいは母の顔。
 過ぎた歳月が重たくのしかかる。
 






 


  
  沖縄忌まぶたの中をはしるもの

                        (前城 功)
                 


  沖縄忌が父母の命日糸瓜咲く

                        (安島涼人)
 



  沖縄忌わが名ばかりの戸籍なり

                        (許田耕一)




   誰が化身か黒蝶飛ぶ沖縄忌



     
 







 6月23日。沖縄守備軍司令官が自決し日本軍が
 壊滅した日。この日を沖縄県は条例で慰霊の日と
 定め公休日とした。

 司令官の自決は6月23日ではなく前日の6月22
 日だという方もいる。墓標に六月二十二日と刻され
 ている当時のモノクロ写真を図書館の戦後資料の
 本で確かに見たことがある。 
 



 逃げまどう南部の戦場。中部方面に海を越えて逃
 げようと東海岸に出た数名の敗残兵。しかし逃げ
 ることは不可能。ここで自決をしようと海岸で全員
 が肩越しに腕を組んで輪となって目をつぶり、

 一・二・三の掛声で手榴弾を爆発させる。


 一瞬、肩を組んでいた手が離れ手榴弾を爆発させ
 た沖縄出身の兵以外は一斉に逃げ去り爆発させ
 た本人1人重傷を負う。

 この重傷の沖縄兵は「畜生、畜生」と逃げた戦友た
 ちを恨み叫びながら6月23日の前日息を引き取っ
 たという。

 遺骨収集していた頃、遺骨の情報提供者から聞
 かされた話の一つである。

 




















 
 朝鮮人の労役夫のことは語りつがれず闇に消え
 去ろうとしている。



 ある島に戦時中にあった実話。
 スパイの容疑を被せられた朝鮮人3名。穴を掘ら
 されその前に座らされた。斬首刑のためである。


 必死に無実を訴え「海ゆかば」を唄う3名の首を
 日本刀がはね、3つの首が落ちる。その途端首
 のない1人が、すくっと立ちあがり駈け逃げ倒れ
 たという。

 この話は自決の生き残りの方から聞いた。
 
  
 なお、朝鮮半島出身者の沖縄戦における戦没者 
 数を調査した資料はあるのだろうか。
 一体どれほどの命が失われたのだろう。

 

  

 


 慰霊の日。
 若い米国人の青年が小旗と花を供えた壁の前
 にしばらく無言で座っていた。  

 星条旗は米国の全ての壁の前にある。他の二
 つはここで初めて目にした。
 戦死した軍人の思い出を忘れないために遺族
 に与えられる旗だという。連れの日本人の女性
 が通訳してくれた。


 黒い旗には「あなを忘れない」と英文字が読める。  
 










  
  くわず芋ひそやかに咲いて慰霊の日

                          (安島涼人)


 
 句集『琉球切手』(昭57)に所収。
 クワズイモが咲くのは梅雨の前後。月桃と同じ
 く沖縄戦の頃。群生した大きな葉の陰に咲く。

 なお、先に掲げた「沖縄忌が父母の命日糸瓜
 咲く」も同句集から引用。
 安島氏には「慰霊の日断崖百合の白ともる」の
 句もある。








  岬うつ濤(なみ)や滔滔と沖縄忌

                      (後藤黙石)









 摩文仁海岸の荒波。









  波の背にわだつみの声慰霊の日

                         (湧川新一) 









     沖縄忌闇うつ波の声きかむ

                    (玉城一香) 


                    

 『玉城一香遺句集』所収。
 「またもどる戦の話夏いくたび」という句も詠んでいる。













   潮騒の慟哭となり沖縄忌

                         (上江洲満三郎)
 


 

 次のような句もある。 



   沖縄忌皿に唐いも二つ三つ
      
                    (山城青尚)


 二つ三つの芋を慰霊の日の一日の糧食とし、
 沖縄戦の苦しみを忘れないようにしていると思
 われる。


 「一日水断ちにけり沖縄忌」(大浜のぶ)の覚悟に
 通じるものがある。
 二つの句を詠むと「過越の祭り」のことが思い浮かぶ。 
   






 平和記念公園の池。

 





 同じ池の縁。
 雨上がりの綠に浮かぶ垂れた赤い花房が美しかった。 
 
 花の名はハナチョウジというようだ。メキシコ原産。
 年中咲くがこの時期の花が最もきれいだという。 




  
 〔補追〕
      
 地獄の果てーー荒崎海岸


 
 ひめゆり学徒の生存者宮城喜久子(旧・兼城)
 さんーー当時16歳の証言。

 以下『ひめゆり平和資料館』より。


 ーーーそれから後は喜屋武岬の海岸を潮が引い
 たら歩き、満ちたら蟹のように岸壁にへばりついて
 逃げていたんです。岸壁の下は凄い波しぶきでした。
 ・・・精も根もつき果てた私たちは、もう皆で自決しよ
 うと話し合っていました。


 特に3年生は「平良先生、今のうちに死にましょう」
 と苛立っていました。「早くやりましょう。先生」と追
 い詰めているんですね。
 先生は先生で、11人の運命を託されているという
 責任感と悲壮感で、とても苛々しているようでした。

 
 私は平良先生から手榴弾1つもらって持っていまし
 た。宮城貞子、宮城登美子、板良敷良子と私の4名
 は、「もう最後だから、歌を歌おうよ」と海に向かって、
 『ふるさと』を歌ったnです。皆かすれ声で後は声に
 もならなかったんです。


 すすり泣きに変わってしまいました。「お母さんに会
 いたい」と板良敷良子さんが泣きながら言いました。
 「もう一度、弾の落ちない青空の下で大手を振って
 歩きたいね」とも言いました。

 それを聞くと、皆声を出して泣きました。こんなに追
 い詰められて死ぬのは悲し過ぎると皆思っていた
 のです。だから一度に泣き崩れたのです。



 6月21日の朝、岩穴を見つけて一緒に隠れました
 が、狭くて比嘉初枝さんと私と平良先生がはみ出
 してしまい、それですぐ側の岩にもたれて座ってい
 ました。

 敵はぱったり攻撃を止めて、砲声は絶えていました。
 不気味な静けさに包まれた入江の海は無数の敵艦
 が巨体を浮かべ、岩陰には沢山の避難民、兵隊と
 私たちが恐怖に包まれながら息をひそめていました。



 皆が怖がっている放送がまた始まりました。投降呼
 び掛けのその気味悪い声だけが辺りに響き渡りまし
 た。「助けてあげるから手を上げて来い。出てこい」

 
 そしたら兵隊が1人、両手を上げて船に向かって行
 ったんですよ。・・・そしたら突然、パパーンと後ろの
 岩陰から同じ日本兵がその人を撃ったのです。
 兵隊は撃たれて倒れ、海に浮きました。


 そこはもう地の海でした。皆びっくりして声も出ませ
 ん。咳き1つしない不気味な沈黙が、いつ終わるか
 と思うくらい長く続きました。


 
 その時です。突然私の所に血だらけの兵隊が転
 がり込んできたのです。米兵に手榴弾を投げつけ
 たため、逆にやられてこちらに逃げ込んできたの
 です。


 「敵だ」と言う叫び声が起こると同時に、平良先生が
 反射的に9名いる穴に飛び込んでしまったんですよ。
 与那嶺松助先生のグループがそこにいました。


 ほとんど同時でした。次の瞬間、どこから現れたの
 か、米兵が私たちに自動小銃を乱射しました。目と
 鼻の先の至近距離からです。凄い轟音でした。
 あそこもパーン。こちらもパーンです。


 側の安富祖嘉子さんはウーンと唸って私に寄り掛
 かりました。仲本ミツ子さんと上地一子(かずこ)さ
 んの2人も即死。右側の曹長も即死して私の顔の
 上に倒れてきました。島袋とみ・比嘉園子・大兼久
 (おおがねく)良子さんの3人も大怪我でした。



 私と比嘉初枝さんが自決現場に駆け寄りましたら、
 一面血だらけで10人が倒れていたんです。
 
 平良先生は腸が全部出て、真ん中にうつ伏せにな
 っていました。3年生が一番酷い様子で判別出来
 ない位でした。比嘉三津子さんと瀬良垣えみさんは
 ちょっと離れて死んでいました。

 普天間千代子さんが、ウーン、ウーンと言って息を
 引き取りました。4年生は皆きれいな姿で残ってい
 ましたが、顔面のあっちこっちにポツンポツンと穴は
 あいていました。


 私は立ちすくんで、もう声も出ません。最後の場面
 はほんとに凄いものでした。一瞬の出来事で4名が
 即。10名が自決です。地獄そのものでした。


           
 以上は宮城喜久子さんの証言。



 宮城さんの証言に出てくる平良(松助)先生が逃げ
 込んだ穴の惨劇の生々しい様子は、同じ資料の大
 兼久良子さんの証言で語られている。

 大兼久さんの証言には、また学徒引率の先生どお
 しが自決のことで言い合う状況がある。


 ーー夕方、心配して話し合っている所に内田先生が
 みえて、与那嶺松助先生に「銃殺しなさい」と言って
 いるのを、私は側で聞いていました。

 「誰が引き金をひくのか」
 「それは先生がやるんですよ」
 「自分の子どもたちに銃を向けることは僕には出来
 ない」
 「僕のグループは銃殺が決まり、順番も決めてある」
 と言い合っています。


  
 

    

  

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2019年07月12日

クワズイモ

 クワズイモ(サトイモ科)は人家近くの雑木の茂みや
 荒地、山地に多く見られる。
 赤い実のつく頃はよく撮り歩きをし数多く撮ってきた。


 今年は赤い実がとても多い。
 実の赤と葉の緑のコントラストが鮮やかで美しく、車を
 走らせながらもついつい目が向いてしまう。


 
 




























 雨に濡れた姿が好きだ。 
 雨が降るとふと見たくなるときがある。







 
 




 かたつむりも葉を訪れる。
 傘を手に葉の上のカタツムリを追う。



















 
 思い出すのは文部省唱歌の「かたつむり」。
 でんでん虫々かたつむり。

 また、国語の授業で覚えたブラウニングの詩の
 「春の朝」。
 上田敏訳はすぐに口をついて出てくる。「朝」を
 「あした」と詠むのも、あの頃は詩的でかっこい
 いと思った。



     春の朝  

            (詩:ロバァ・ブラウニング)  
           

    時は春
    日は朝(あした)
    朝(あした)は七時
    片岡に露みちて
    揚雲雀(あげひばり)なのりいで
    蝸牛(かたつむり)枝に這ひ
    神、そらに知ろしめす
    すべて世は事も無し


 
 詩ではカタツムリが這っているのは葉ではなく枝
 だが、まあ、いいか・・・。







 雨粒から吸水するシジミ蝶。
 






 西日に照り輝く矢じり形の大きな葉が美しい。
 畑地近くの茂み沿いで見かけた。












 日本画家田中一村に「クワズイモとソテツ」という
 大作がある。
 一村は「クワズイモとソテツ」と「アダンの木」の作
 品は閻魔大王への土産品だと、売らずに生涯手
 元に置いていたいう。


 その「クワズイモとソテツ」の画の中に尖がった傘
 のような帽子をかぶった赤いクワズイモの実が二
 つ描かれている。


 それまで、帽子をかぶったクワズイモは見たこと
 がなかった。いつか一村の画のように帽子をか
 ぶったクワズイモの実を見つけ撮りたいと思って
 いた。


 2年ほど経った慰霊の日の頃、糸満市摩文仁の
 健児之塔近くの林でようやく見つけた。とても嬉
 しかった。



 クワズイモは4月~5月花をつけ、6~7月に熟し
 赤い実がなる。6月頃は花も実も一緒に撮れる。


 沖縄の俳句歳時記ではクワズイモの花は4月、
 実は7月の季語となっている。 

 

   くわず芋ひそかに咲いて慰霊の日

                 (安島涼人)



   不喰芋咲くや自決の洞(がま)塞ぎ

                 (北村伸治)   



   不喰芋の実のあかあかと自決壕

                (大嶺美登利)   





 





 






 一度見かけると、その後はたびたび見かけるよ
 うになった。頭巾型の姿が多い。


















 一村の「クワズイモとソテツ」には、向きは違うが
 
 この姿に似た実も一個描かれていた。



























 帽子(先端)が付いたまま裂けめくれていた。







 帽子は被っていない。早めの段階でめくれて
 落ちている。むしろこのような姿で見かけるこ
 との方が多い。

 帽子(あるいは頭巾)を被った花は、探そうと
 思うと見つかりそうで見つからないものだ。





























 葉柄の基部腋から二本の長い花梗が伸びる。


 




 葉はサトイモに似ているが、毒性があり食べられ
 ないことから和名の食わず芋(クワズイモ)と名付
 けられた。


 日本では南九州(四国南部も?)から沖縄列島、
 外国では南中国~インド、台湾、マレーシア、
 ポリネシアなどに分布しているという。


 なお、南北大東島には分布してないと中村昇著
 『ふるさとの草木』には書いてある。

 






 匍匐性がある。
 また、アダンのように岩の隙間にも根を張り
 成長する。 







 2メートルほど地を這い、1メートル以上の高さに
 まで立ち上がった根茎(こんけい)。

 地表の状況では、このようにまるでアダンのよう
 に這い立ち上がっているのも見かける。
 












 雨を弾く幅の広く大きな葉は傘代わりにもなる。

 国頭村安波ではクワズイモを方言でヤガニバ、 
 辺土ではヤガニガーサと呼ぶが、これは潮干
 狩りの時にかぶる葉の意味という。


 方言名は沢山ある。

 イバシ、ウバシ、イーゴームジ、イーゴームジ、
 ピユガーサ、ビュウーガサ、カサヌパ、カサヌバ、
 など50余が天野鉄夫著『琉球列島植物方言集』
 には集録されている。


 ウバシは馬来語のウバス(矢毒の意)の転訛。
 カサヌパ、カサンバは本土のかしわの葉の意味
 で、食物を盛る(または包む)のに使ったことに
 由来。ピュガーサ、ビューガーサは中毒して酔う
 かしわの意味という。(天野鉄夫)









    
   ちいさいかたつむりになりたい
   恥ずかしい時や悲しい時 
   すぐ顔を隠してしまえる
   かたつむりになりたい  
   しばらくの間葉っぱの上で
   すきとおった耳だけになって
   雨の音をきいていたい

    
       (詩:クリスティーナ・恵子)     



 図書館で『森の叫び』という詩集をたまたま見つ
 けた。その中に所収されていた「詩編」という題
 の詩の一部である。


 玉城一兵編著『森の叫び』(批評社、1985)は
 玉城病院十周年記念文芸教室作品集から抜粋し
 編集された詩・文集。掲載については編著者玉城
 氏の承諾を得ている。


 他にも心をうつ詩が所収されている。
 日常の会話でさりげなく発した言葉、あるいは心
 のつぶやき・ささやき、そして時に魂の叫びの詩
 が綴られている。なお、詩以外の文も編集されて
 いる。

 詩の文は簡明・素朴かつ。そして真実。







 勝連城跡に登る東側斜面の石積み道沿いの
 クワズイモの群生。


 
 勝連半島の東側斜面全体の林縁でクワズイモ
 が多い。また、斜面にできた道路が縦に走って
 いるので、道路を歩きながらクワズイモを見上
 げたアングルや見下ろしたアングルて撮れるの
 でいい場所だ。車の往来も少ない。
 






















































 実の重さに耐えられず、赤い実をつけた花柄は
 弓なりにしなり実は垂れてくる。



























       種子の唄 (詩:山村暮鳥)

    どこにおちても俺等は生きる
       はなもさかせる
       みもむすぶ
    そしてまあ   
       なんて綺麗なせかいだろう














 枯れて地に臥した葉の上に倒れていた実。
 苞の皮はまだ青い。路傍に伸び出し過ぎたため、
 雑草のように刈り倒されたのだろう。


 半日陰を好むクワズイモは畑地の縁や道端に生
 えることから、人間の生活環境へ侵入した場合は
 刈り倒されてしまう。
 それでも生命力が強い。また生え出てくる。



   開発にあらがう不喰芋に花

                 (瀬底月城)



 葉は切り落としたが、実のついた柄はそのまま
 残されているのもときに見かける。粋な計らいと
 いうべきか。強烈な赤い実の妖艶さに迷わされ
 たか・・・。
 










  
 寄り添う。

 





 









































 クワズイモの花。花は肉穂花序(にくすいかじょ)。


 ・・・と言われてもよく分らない。図書館やネットで
 調べて見た。

 
 包み守っているのは仏炎苞(ぶつえんほう)。
 仏炎苞に包まれた中の白っぽい肉質の棒のよう
 な軸の一面にとても小さな花が密集して付いてい
 る(肉穂花序)。
 

 肉穂花序(にくすいかじょ)と仏炎苞はサトイモ科
 の花の特徴で、ミズバショウの花もそうだという。


 その棒状の肉穂花序の上部が雄花郡で、下部
 が雌花郡だという。つまり一つの軸の上が雄花
 下が雌花。目ではすぐには分りにくい小さな花
 が無数について一つの花になっているので「郡」
 というのだろう。


 仏炎苞の袋状の部分を筒部、筒部のボート形
 の内曲した上部を舷部と呼ぶという。
 ウィキペディアには、この構造は寄ってきた虫
 を内部に閉じ込め滞在時間を長くして受粉の
 確立を高めていると考えられると記されている。
 


 花の用語について辞典の説明は次ぎのとおり。
 
 ※肉穂花序(にくすいかじょ)=穂状花序の特殊
 化したもので、多肉な花軸の周囲に柄のない花
 が多数密生するもの。仏炎苞をもつ。

 ※花序=花の並び方。 


 花の構造、植物用語に関する基本的知識に
 欠けるので、知らないことの連鎖でいつまでも
 あれこれ調べ続けることになり飽きる。






 
 役目を終えた雄花はやがて枯れ朽ちて落ち、
 雌花は実をつくり実は赤く熟す。

  
 




 仏炎苞は花の穂を包むような形で色も目立つ。
 花粉を守るとともに虫を引き寄せる花びらのよ
 うな役割を担っているという。





































 クワズイモの群落。
 

 クワズイモは亜低木の多年生草木。
 湿ったところで、かつ水はけよくて半日陰を好む。
 その点ではツワブキと好みが同じ。

 成育条件によっては2メートルほどの高さまで成
 長することも。葉も相当な大きさになる。長さ1メ
 ートル、幅が広いところで80センチ前後の葉も見
 かけた。































 





























 群生しているクワズイモの広い葉に覆われた中を
 覗くと赤く熟した実が無数に垂れていた。
 丈が高くないとなかなか見かけられない光景だ。

 丈が2メートル近くあるのも見かける。













 西日に照らされこおろぎが数匹むらがり実を食べ
 ていた。国頭の山、林道沿いで見かけた。

 ヤンバルの山路を歩いているとこおろぎをたまに
 見つける。





   こおろぎがわたしのたべるものをたべた
                
                      (山頭火)          

 山頭火は、托鉢行乞の旅僧で放浪の俳人。
 こおろぎと共に山頭火がたべたものは、まさか
 クワズイモではない。托鉢でもらったおにぎりか何か。

 裸になってシラミをつぶしていたか、ションベンを放っ
 ている間にコオロギにたかられたのだろうと、勝手に
 山頭火らしい想像する。 

 
   からだぽりぽり掻いて旅人  (山頭火)   


  














 ・・・赤い実をつけたクワズイモは実に美しい。
 そう思う。 







 花の付きがあまりよくなかった今年の八重岳の
 桜。坂道の端を歩きながら月桃やクワズイモの
 葉に散った桜を撮った。 


  

Posted by 流れる雲 at 03:00Comments(0)

2019年07月09日

残波岬の波(15)




 読谷村残波岬宇座浜のイノー沖。
 風に波頭の白い飛沫を飛ばし荒波が押
 し寄せる。


 大潮の時は沖の岩の近くまで潮干狩り
 をしている姿を見かける場所。
 潮の流れが早く、風が立つ荒れた日は
 高波が起こる。
 

 とても歩きにくく立ちにくい岩場を左右に
 移動しながら撮影場所を探し、シャッター
 に人差し指を添えいい波を待つ。

 運がよければいい絵が撮れる。撮れな
 ければ、小さな島おきなわ、また来れば
 よい、と自らを慰める。




 海の短歌と俳句を一つづつ。


  海見れば心なごめり
       荒(すさみ)みゆく春の名残
         煙草など吸ひぬ   
       
               (大城吉秀)
            

  海をまへに果てもない旅のほこりを払う

              (山頭火)




 戻り梅雨がぐずついているが、蝉が朝か
 らせわしく鳴いているのを聞くとなぜか嬉
 しい。本格的な夏の到来だという気持ち
 になる。


 今年の春~初夏は、特にグラジオラスの
 花が咲き誇っていた残波岬。断崖の上に
 海を背景にグラジオラスの花が咲く風景
 が見れる場所はほかにはないだろう。

 
 それだけに今年はよかった。花が枯れる
 前に撮れた。タイミングだけの問題では
 なく天候にも左右される。今年は、10本
 前後のうち、何本かの花がまだ鮮やかに
 咲いていた。


 断崖のその場所に、今はもうグラジオラス
 はない。わかっているが柵の上から眺めて
 見る。綠の草が生い茂って風に揺れてい
 るだけだった。

   
 

















 薊の花は、グラジオラスやユリの花の数月
 前から咲くが、今年は潮枯れし花も葉も黒
 ずんだものが多かった。


 断崖のグラジオラスを撮った同じ日。どうに
 か岬の奥の方の断崖の上に白い花を咲か
 せた薊を見つけた。  











 
 荒波の風景だけでは寂しい。咲き終わっ
 た花の写真を懐かしく眺めて来年を想う。



 
  「人の手になるものは時として醜いが、
  自然には醜いものはない。すべてが美
  しい。この単純な事実になぜ人は気が
  つかないのか。

  醜いというのは結局のところ、自分たち
  が作りだしたものに対する自己嫌悪で
  はないか。

  自然は砂の一粒、葉の一枚から大陸を
  縦断する山脈まで、銀河系の全体まで、
  すべて美しい。・・・自然はそれ自体が
  祝福である。」(池澤夏樹)



 (補追)

 「残波岬の波」のシリーズは(16)以後については、
 新改装の『カメラと沖縄を歩く』で掲載しています。

 →「 https://sekiun2019.ti-da.net/ 」 
 

  

Posted by 流れる雲 at 19:00Comments(0)風景波・怒濤

2019年07月02日

残波岬の雲風景

 梅雨明けの休日、残波岬に行った。
 天気は上々の青空。特に雲が素晴らし
 い一日だった。

 雲を組み入れていろいろな場所から
 岬の風景を撮った。


 




 濃密雲。形もほとんど崩さず風に流れる
 こともなく同じ位置に長く現れていた。


 雲のなかで最も上層にできるのが巻雲。
 濃密雲(のうみつうん)はその巻雲の種
 類の一つ。






 沖縄本島の上に横たわった積雲。
 先は本部半島の山に覆いかぶさっている。
 ゆっくりと雄大雲へ成長していた。



 画面で縦の直線になる人物や碑は、小さ
 な存在でも画面のバランスに欠かせない。
 











 岬の東端の方。ここから望む景観は
 ぐっと変わる。











 向かいは恩納村やさらに名護の山脈。


 停泊や行き来している船はダイバーを
 乗せた観光船。 







 この石積は、確かな記憶ではないが、昨年
 だっただろうかマラソン(?)のイベントがあ
 った頃から見かけるようになった。


 だんだんと増えているように感じる。百十数
 あるのでないか。
 この日も、保育園児くらいの子供が二組周
 りの石を拾い集め自分の塔をつくっていた。



 この石積の塔群を見た時、低いアングルか
 ら空に雲を入れた構図で石積を撮ることが
 ハタと思い浮かんだ。


 周りの風景から目障りで余計なものは切り
 落とし構図を作った。

 撮ったものを確認する。なかなか悪くない
 絵になっていた。
 それで、あとは辺りの石積を眺めまわし背
 景の雲を確認しながら撮り続けた。 







 もちろん空に雲は欠かせない。雲があればの
 風景。
 






 高い灯台を背景に入れるには地面に仰向
 けに寝転んで撮るしかない。観光客の行き
 交う前で・・・。恥はしばらくかき捨てる。
 
 

 撮った風景をこう見てくると、石積が何か
 意味を持ったもののように思えてくるから
 不思議だ。

 20~30センチほどの石積みであれ、天に
 向かうものは精神的なものを感じさせる
 からだろうか。


 




 灯台の上空に浮かんでいたもう一つの濃密
 雲が崩れ薄く広がり形を変えていく。






 よく眺めると肋骨雲(ろっこつうん)になりそう
 だ。
 












 巨大な積雲が横たわる前に赤と黒の男女
 ひと組が現れた。いい絵になっていた。







 赤と黒のカップルの移動をフレーミングし
 ながらカメラで追った










 毎年やってくるアジサシが断崖下を飛
 んでいた。





 ダイバーたちを乗せた小型船が洞窟
 の前に立ち寄ってきた。

 アジサシを見学させるためだったかも
 しれない。しばらくするとダイビングス
 ポットに波をかき分けて去った。






 20~30羽ほどのアジサシが群れ飛
 んでいた。数分飛び回ったあと、一斉
 に断崖下に隠れ見えなくなった。






 灯台遠望。
 頭上と違い水平線上はどこまでも雲
 だった。夕陽を観るのは無理だろう。

  

Posted by 流れる雲 at 02:05Comments(0)風景

2019年07月01日

残波岬の波(14)




 残波岬灯台西側の岩場の4月。西日の
 逆光で銀色に輝く波に観光客の男性の
 シルエットが見えた。

 灯台の近くから俯瞰するように撮った。

 




 荒波が次々と岩壁に打ち寄せる。
 





 





 後方で波飛沫が高く舞い上がった。












 高まる波の荒れに心も高鳴る。
  












 満潮になるにつれ波は穏やかになっ
 てきた。







 撮影位置を岩場の下に移動。
 低いアングルから岩壁をトレーミング。






  



 下の写真は冬11月の同じ岩場。
 夕陽に怒涛が素晴らしかった。
 








           
                     詩:シェリー
                     
   底知れぬ海よ! 歳月はおまえの波なのか
      「時」の海よ おまえの深い悲しみの波は
   人の世の涙で あまりにもにがい!
      おまえ はてしない汐(うしお)よ
   干満の中に おまえは人の命の際限をにぎりしめ
   餌食に飽きながら さらにうなり求めて
  荒れた岸べに 残骸を吐き出す
   穏やかな海には裏切りが あらしの海には恐怖が
        おまえへ漕ぎ出すものは だれ?
        底知れぬ海よ!




 訳詞は新潮文庫『シェリー詩集』(上田和夫 訳)より。 
  
 パーシー・ビシュ・シェリー(1792~1822)はイング
 ランドのロマン派詩人。1822年のイタリア、7月8日
 乗っていた帆船が遭難に会う。

 同18日水死体が海岸に打ち上げられた。上着のポケ
 ットにはキーツの詩集とソフォクレス戯曲集が入ってい
 たという。

 妻メアリーは小説家で『フランケンシュタイン』の作者。 
             

  

Posted by 流れる雲 at 21:30Comments(0)風景

2019年06月22日

rat&sheepの窓際で




   
 rat&sheep(鼠&羊)。客が数名。窓際
 の席が空いていた。


 窓の風景の空を雲が流れていく。
 いい風情の光景に心がそわそわする。撮り
 たくてしょうがない。

 注文の料理を待つ間、店の時間はゆっくりと
 流れる。雲は少しずつ変化しいつ失せるか分
 からない。どうしょうかと悩む。

 思い切って車からカメラを取り出し店に戻り窓 
 枠をフレームに見立て何枚か撮った。駐車場
 の赤い標識がいいアクセントになった。








 





 「P」のある光景。








 まきやしほさんという方の展覧会が行われ
 ていた。


 棚にイラストふうの絵画のある詩の冊子が
 数冊(手作りのようだった)。

 壁には、絵日記のようにやはりイラストふう
 な画を表に、裏には文章が記されたハガキ
 が多数展示されていた。


 客の男性がそれを観賞しようと入口近く
 に立った。その気配で何気なく横を向くと
 ドアのガラス越しに庭のあざやかな綠と
 黄色の花が見えた。







 アメリカハマグルマの花だ。
 北アメリカ原産。よくはびこる生命力の強
 い雑草の花。

 rat&sheepさんは伸び放題にしていてと
 語るが、今がいいぐらいと観れば風情が
 感じられる。







 奥の方にベンチが見えた。







 ドアのガラスになにやら英文字。
 これも雰囲気がある。何回かでピントを
 合わせることができ、文字が浮き出た。


 客として店に来ていることを忘れてしま
 っていた。もちろん恥も忘れていた。

 ともかく思いがけずいい絵が撮れた。なか
 なか撮れない絵。この日のいい贈り物。 
 






 壁に展示されたハガキの絵画。
 裏に書かれた文章が気に入った一枚を作者
 のまきやしほさんの了解を得て撮影した。






 裏の文章。

 どのハガキの裏にも、表に描かれた絵に
 関連したウィットやエスプリのある、爽やか
 な風に吹かれたような短い文が記されて
 いた。


 一枚ひっくり返して読むと、他も次々とひっ
 くり返して読みたくなる文章だった。
 何枚かひっくり返して読んだ。

 質朴な手作り感の詩集も良かった。 


 展示会のタイトルは、「まきやしほ絵画展~
 私からあなたへ~」。来る6月29日(土曜日)
 まで開催されているという。


 rat&sheep。
 店のことはHPで確認できる。
 所在地は浦添市港川2-13-9
 TELは 098-963-6488

 料理はうまい。経営者のご夫婦もまたいい。
   
 
 国道や市道からの入口が分かりにくいので、
 事前確認した方が良い。






 rat&sheep。 
 





 旧外人住宅街。観光客が多い。
 レンタカーが道路に多く駐車している。
 
 rat&sheepは、この路地をまっすぐ進ん
 だ突き当たりの左側。突き当たりは駐車
 場で4~5台可能。






 帰りに通りから見えた別の店の窓。
 セザンヌの静物画のようだった。





 rat&sheepとは全く関係ないが、この日に
 撮った朝陽の写真を同じ日のよしみで掲載
 する。


 朝陽が撮れそうな天候だった。浜比嘉島
 か平敷屋あたりに行こうと向かった。

 浜比嘉島は間に合いそうになかった。屋
 慶名漁港方面に向けて進む。途中、三脚
 を据えて朝陽を撮っている男性がいた。
 
 見ると海中道路に架かる橋の後方を朝陽
 がゆっくりと昇っていく。






 近くに位置取ると邪魔をしてしまう。
 状況を活かすしかない。男性のシルエット
 をつくり後方のやや横から撮った。







 男性が位置を変えたので、朝陽を正面から
 捉えることができた。男性のシルエットをや
 はり組み入れた。

 男性の写っていないショットも何枚か撮った
 が、男性のシルエットのある方がいいように
 思う。







 朝陽の撮影後、男性の方と話をすることが
 できた。野鳥の撮影に強く興味があるよう
 だった。

 

  

Posted by 流れる雲 at 17:00Comments(0)風景その他

2019年06月21日

夕暮れのガントリークレーン





 夕暮れの那覇新港ふ頭。雲が多くなった。
 輝きを放っている夕陽は次の雲に隠れようと
 していた。

 水平線は濃い霞。僅かに雲の隙間が横に広
 がっている。


  「あの間から夕陽がまた見られるかも知れな
 い」と釣りをしている男性は希望を持たせる。
 そのあと、「どうかなあ・・・」とも小さな声で言う。


 しばらく水平線を眺めていると、雲間から夕陽
 が現れ希望も見え始めた。
 やがて2基のガントリークレーンが赤く映えた。

 
 雲の変化が激しい。夕陽の上は美しい夕映
 えになった。期待していた光景だった。遠くを
 旅客機が上昇していく。  
 


  夕暮れてきりん佇むふ頭かな



 「きりん」はガントリークレーンの愛称。




 


 以前に撮ったことがある場所からの撮影。
 盛り土され小さな丘のようになった場所の
 石の上から撮る。

 丘に生えた芒のシルエットを配し、広い野
 に立つキリンをイメージした・・・・。


 冒頭の写真を撮った場所とは少し距離が
 ある。

 










 夕陽の沈む位置は夏にかけてキリンの右側
 に移動していく。
 冬から春ならばキリンの近くに夕陽を配置し
 た構図で撮れることだろう。

 
 キリンのシルエットが美しく撮れる位置は限
 られる。ふ頭を往来し、太陽の沈む位置と
 撮影場所を下調べし前もってイメージを描
 いた。 


 新港ふ頭地区国際ターミナルのガントリー
 クレーンは4基。南側に2基、北側に2基。
 今回撮ったクレーンは北側の2基。

 

 那覇新港は4つある那覇港の港区の一つ。
 他の3つは①那覇ふ頭(那覇港)②泊ふ頭
 (那覇泊港)③浦添ふ頭。


 那覇港の外貿貨物のほぼ全量を新港ふ頭
 で取り扱っているという。
 その主役がガントリークレーン。クレーンの
 運転士は通称ガンマンと呼ばれ港のエース
 職種らしい。



 ガントリークレーンのガントリーとは、
 「複数の高脚の上部に水平な梁を備えた
 門形構造物」のことを意味するという。


 荷役作業中はキリンの首は水平に伸して
 いる。作業終了後は、船舶の航行の邪魔
 にならないよう横行桁(ガータ)を折り曲げ
 キリンに戻る。

 そしてニライカナイを見つめて静かに佇む。


 ガントリークレーンについては、ネットでかな
 りの情報を得ることができる。荷役作業中の
 動画も見れる。
 






 北側の干瀬から望む。梅雨明け後の天気の
 いい日に撮りに訪れたい風景。
 藻の綠のイノーの彼方の青い空に入道雲、
 その下にガントリークレーンの絵が浮かぶ。

 夕陽に映えるキリンの姿もこの位置から見
 てみたい。 







 
 国際ターミナルの後方。道路向かいに
 消波ブロックの置かれた作業ヤードが
 ある。


 背景の空は南の空。夕焼け雲になるの
 を期待したがならなかった。







 海中から引き上げられた消波ブロックに
 貝殻が付着していた。白雲と組み合わせ
 て撮ろうと思ったが、思い描いた雲が現
 れない。今日は無理なようだ。
 





 消波ブロックには数字があった。
 赤い数字は海中に設置する前に書かれた 
 ものだろう。3288と読める。


 引き上げられた後と思われる数字は黒で
 記されていた。
 












 ↓印のある風景。
 






 クレー作業船が3隻停泊していた。その色彩
 のカラフルさにすぐに惹かれた。
 






 キリンはここの岸壁から撮影。
 




 

 辺りには適当な距離で7~8名ほどの釣り
 人がいた。夕陽を背景にシルエットを撮る。
 
 近くでうかうかと撮っていると釣り針に引っ
 かけられかねない。





 

 別の男性の釣り竿が大きく弓状にたわんだ。
 かなりの大物だったかも知れないが逃げら
 れた。
 
 男は何事もなかったかの如くかごの餌をばら
 まき、釣り糸を投げ込んだ。



  ググィッと釣り竿たわむ夕焼け空







 


















 帰る途中に見上げた空。
 夕陽が沈んだ後もしばらくは空から
 眼が離せない。








 東の空に白く淡い満月。

 夕陽の会話をした釣り人が、「うしろ振り向
 いて見て。白い満月だよ」と教えてくれた月
 が雲間に隠れようとしていた。

 幻想的な月だった。 




 那覇新港の北側は浦添市の伊奈武瀬。
 太陽が高い時間はここの海岸を散策した。
 











 護岸に描かれたストリートアート。
 まだ新しいものが多かった。

 薄く霞のあるようなすっきしない空。雲にも
 ちょっと不満足。忘れないために撮った。

















 
 護岸の抽象的なアートにイノーを組み合わ
 せる。意外とおもしろい絵になった。






 護岸のアートは多い。癖になりそうだ。
 色あせないうちに撮り歩きがしたくなる。







 沖の防波堤の海を20~30羽ほどの海鳥
 が飛び交っているが見えた。遠すぎて小さ
 な姿でしか写らない。


 一人で釣りに来ていた近くの中学校の少年
 が、「ここまで飛んでくることもあるよ」と教え
 てくれた。
 

 少年はサッカーをしているという。
 ボックスの中のまき餌をもみほぐしながら、
 「今日は強い小禄のチームに勝った」と嬉し
 そうだ。

 ユニホームも着替えずに釣りに来ていた。
 釣り道具は大人並みに持っていた。
 クリスマスプレゼントなどで徐々に揃えた
 という。

 丁寧にしっかりした口調で話す、釣りマニア
 のその少年が気に入った。


 時間が過ぎる。キリンが主目的だったので、
 海鳥は待たずに少年に声をかけて切上げた。

 

  

Posted by 流れる雲 at 23:00Comments(0)風景夕陽・夕焼